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第14話「ネコをかぞえる」
「今日はネコをかぞえる日だよ」
そう言ったユキコの声は、いつもより軽かった。
空は白んでいた。
晴れているはずなのに、影がなかった。
草も葉も、すべてがすこし色を忘れたように淡くて、まるで誰かの記憶の裏側にいるような空気だった。
ナギは、片手にメモ帳を持っていた。
薄い鉛筆の芯で、“ネコ”という文字を10回書いた。
ミント色のTシャツはすこし土ぼこりを吸い、ハーフパンツのポケットには何匹目かのネコの毛が入っている気がした。
「じゃあ、見つけたら数えてね」
ユキコは微笑んで、石段のほうを指さした。
そこには、ネコがいた。
1匹。
そして、また1匹。
ゆっくりと歩いて、すぐに消える。
次の角をまわったとき、さっきのネコがまた現れる。
「……今、3匹目?」
「ううん。さっきの子とは、ちょっとだけ目の色が違うよ」
ナギは少し困った顔で立ち止まった。
「かぞえる」ということが、こんなに難しかっただろうか。
ネコは、どこかですれ違って、すぐにどこかへ行ってしまう。
呼んでも返事はなく、気配だけを残して影に溶けていく。
「ねえ、ユキコ。ほんとにいるの? このネコたち」
ユキコは、うっすらと笑ったまま首をかしげた。
今日の彼女は、いつもより少し背が高く見えた。
ワンピースは濡れてもいないのに、水気をふくんでいるような質感で、光の中にぼんやりと輪郭をにじませていた。
「いるよ。でもね、ネコって、数えられたくない日もあるの」
「……そんな日あるの?」
「うん。きっと、今日はそういう日なんだと思うよ」
ナギはふっと息を吐いて、もう一度ページをめくった。
「ネコ 6」「ネコ 7」「ネコ?」──その文字列の途中で、書く手が止まった。
遠くの屋根の上に、白いネコが座っていた。
こっちを見ていた。
けれどその目は、ネコというより“人”のようだった。
「ユキコ、あれ、誰?」
「知らない。でも、前に見たことがある」
「わたしも……」
ふたりは黙ったまま、屋根の上を見上げた。
風がふく。
でもネコは毛もなびかせず、ただ“存在”だけをそこに置いていた。
しばらくして、ユキコが言った。
「ねえ、ナギちゃん。ほんとうのネコって、ちゃんと“終わり”があるんだって」
「……ここには、“終わり”ってあるの?」
「ないけど、忘れることはあるよ」
ネコがふっと消えた。
ナギはその消えた空間を、目でなぞった。
数えることの意味が、少しだけ遠くなった気がした。
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