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第15話「しぜんとバスの終点」
バス停には、ベンチがひとつ。
看板には「しぜんとバス」とだけ書かれていて、時刻表はにじんで読めなかった。
けれど、不思議と「次はくる」と思わせる静けさが、そこにはあった。
ナギはベンチに座っていた。
ミント色のTシャツのすそが風でふわりと揺れ、ハーフパンツのポケットに入れたイベント帳が少し重たかった。
くせ毛の髪は汗でしめり、首もとに張りついていた。
「来るよ」
ユキコが言った。
彼女は隣に立っていた。
クリーム色のワンピースは今日、いつもより少し透けていて、
光の加減で向こう側の景色が通りすぎるように見えた。
それでも、足元にはしっかりと影が落ちていた。
ゴトン……と、何かが地面を踏む音がして、カメのような形をした大きなバスがやってきた。
車体は苔むしたような緑で、ガラス窓には木の葉が貼りついている。
運転席には、カメバスさんがいた。
灰色の作業帽をかぶった老人のような人。
顔の半分が帽子の影に隠れていて、目だけがゆっくりと瞬いていた。
「のるかい……今日は、四度目の昼だよ……」
ナギは思わず立ち上がった。
バスのドアが、きい、と音をたてて開いた。
中は広くて、やけに静かだった。
座席には誰もいないのに、誰かがさっきまで座っていたような“ぬくもり”だけが残っていた。
風鈴が天井から揺れていたが、音は鳴らなかった。
ナギとユキコは並んで座った。
座った瞬間、なぜか少し眠くなった。
「ねえ、ユキコ……このバス、どこに行くの?」
「“おわりに近い場所”かな。でもね……出発するとは限らないんだって」
「え?」
「うん。“動かないこと”も、移動になることがあるらしいよ」
ナギは外を見た。
バスは、まるで動き出そうとしながら、ただ“ゆらいで”いた。
景色も揺れていた。でも地面はそのままで、葉は風にゆれることなく止まっていた。
「ナギちゃんは、動きたい?」
「……うん、たぶん。止まりたくないと思う」
ユキコは少しだけ目を伏せてから、こう言った。
「わたし、動けないんだよ。形がゆるいから、止まるしかできないの」
その声はやわらかく、風より静かだった。
ナギはそっと、となりに置かれたユキコの手にふれた。
つめたい、でも“ここにある”手だった。
「それでも、となりにいていい?」
「もちろんだよ」
その瞬間、バスが少しだけ進んだような気がした。
ほんの、数ミリほど。
でも、ナギにはそれがとても大きな変化に思えた。
カメバスさんが、前を見たまま、低い声で言った。
「……おりたいときは、いまじゃない」
ナギとユキコは、ただ黙ってうなずいた。
外の景色は変わらないまま、光だけがすこしずつ傾いていった。
夢と現実の境界が、今日もまた、乗り物のなかで揺れていた。