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思わず取っ組み合いになるかと思って身構えたのに、マリは正座したまま。
すぐ後ろにあるセミダブルのベッドからは、むせかえるような生々しい気配が立ち上がる。
ちょうどいい感じに盛り上がったところで、私が入ってきたというところだろうか。
「あなたをひっぱたいても、私の手が痛いだけ。それよりも、聞かせてほしいんだけど…」
「なんでしょうか?」
私は呆然としてる健二を一瞥して、マリに問う。
「コイツ、欲しい?」
「いえ、欲しくありません」
「でも、こうやって隠れて会ってたわけだし、することしてたんでしょ?それは健二が好きだからじゃないの?」
マリは一点を見つめている。
「好きだからじゃないです、むしろ嫌いです。私が欲しかったのは健二…ご主人ではなく、性欲むきだしの男です。やりたくてたまらないという男とセックスがしたかっただけです」
「はぁ?それじゃまるで、依存症ね、セックスの」
「そう言われてしまえば、そうです。奥様にはお借りしてるつもりでした。ですから決してバレないようにと…。で、このまえバレたと聞いたので、もう会わないつもりでしたが…」
「コイツがのこのこやってきたのね」
「…」
「で何回もチャイムを鳴らして強引に中に入って…」
先ほどの、健二が部屋に入るまでの様子を思い出す。
「その後も、強引にベッドに押さえ込んだんじゃないの?」
「納得だよ、強引じゃないよ」
「うるさい!黙れ!バカ健二!ねぇ、マリさん、いっそのことレイプされたと言って警察に訴えたら?」
「え?」
「私が証人になってあげるわよ」
マリは驚いた顔でじっと私を見た。
「綾菜、何言ってるの?警察なんか呼んだらさ…」
「現行犯逮捕ね、会社もクビかなぁ?私も恥ずかしいからさっさと離婚するけど?」
「俺、レイプ犯?」
「どう見てもそうでしょ?なに、そのかっこ!」
まだ中途半端な服装のままだ。
「そっか、マリさんもいらないのか、私もいらないんだ。じゃあ、捨てちゃおっか?」
「やめて、お願い!警察だけは!通報しないで」
スマホを手にした私に、泣きそうな顔で訴える健二。
こんな男が私の夫で翔太の父親だと思うと、無性に腹が立つ。
セックス依存症なのは健二かもしれない、それも私以外の女に。
「マリさん、もう一つ質問。コイツ、なんで私とはしたくないか、聞いてない?」
「あ…、確か、ニオイがダメだと言ってました。赤ちゃんが産まれてから、女のニオイではなくお母さんのニオイになったからとか」
お母さんのニオイとは、母乳や石鹸のニオイのことだろうか?
先日の千夏のご主人のことを思い出した。
でも、まぁ、できないことはないってことは、この前の夜証明されたけど。
「この前の土下座といい、オレンジの薔薇といい、健二が思い付いたとは思えないんだけど…」
「……私です」
「だよね?なんで?」
正座したまま、表情は変えないマリ。
うまく言えないけど、健二が言うことより、マリの話の方が信用できる気がした。
夫の浮気相手なのに。
「私は同棲していた相手にフラれて、ヤケクソみたいにこの人を誘いました。奥さんとお子さんのことが一番大事なんだということは、最初からわかってました。
家族が一番大事だと言う人は、後腐れもないし隠し事も上手いと思った…けど」
「思いの外、バカだったのね、コイツ!」
うなだれるマリ。
「私、どうしてかわからないけど、無性に腹が立ってるのは健二に対して。今すぐ捨ててしまいたい!」
「え?離婚?それはイヤだ!!」
健二が泣いてる。
自分がしたことを棚上げして、おかしな格好のままで座り込んで泣いてる。
でも、同情の気持ちさえも湧かない私は、健二には好きという気持ちがなくなってしまったのだろうか?
「すみませんでした。私の身勝手な欲望でご夫婦の関係を壊してしまいました。私はご主人をとってしまおうとかそんな感情はなく、いっとき相手をして欲しかっただけです。それがどんなに浅はかで、みっともなくやってはいけないことか?わかってるつもりで、わかっていませんでした…」
「ね?どうして健二なの?独身男だったら何も問題なかったのに」
しばらく考えているマリ。
「子供が産まれてすぐくらいの男性のほうが、性欲が溢れてるから…」
「奥さんに相手してもらえないとかで、欲求不満ってことか」
「だと思います」
「そこを見透かされてるの?健二は。情けない…。これなら風俗の方がマシかもね」
私は踵を返して、靴を履く。
「え?綾菜、帰るの?」
健二が止めるのは分かってたけど、これ以上話しても意味がないと思った。
思い切りドアを閉める。
ここでもっと取り乱して暴れるほうが普通のような気もするけど、そんなことをするとマリに負ける、と思った。
なにより、そこまでの感情が私にはなかった。
この後、マリはもう夫とは会わないだろう。
それは、マリと話して感じたことと、さっき郵便受けの写真を撮ったときに確信した。