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「ただいま!」
「おかえり!どうだった?」
「ん?んー、あ、翔太は?」
「ついさっき寝たとこ、で?」
お母さんの目が爛々としている。
少しだけ面白がってるのかも?
「その前に、私に部屋に入るタイミングを指示したのはなんで?」
「あー、あれ?あれはね、お母さんから先に健二君に電話して、ビビらせたところで綾菜に登場して欲しかったのよ」
「まぁ、本当にビビってたように見えたけど。なんて言ったの?健二に」
ふふん、と鼻を鳴らすお母さん。
「綾菜が、大事な話があるってそこに向かったから、もう着く頃よって言っただけ。昔あった、…私、メリーさん、今あなたの後ろにいるの…って電話がかかってくる都市伝説があったじゃん?あれの綾菜バージョンよ」
「なに、それ!」
「いきなり綾菜が行っても、部屋に入れるかどうかもわからないし。ちょうどいま浮気してることをお母さんも知ってるのよって脅しよ♪で、効果は?」
「あったよ。健二にしてみたら、もう逃げられないって思ったかもね」
どうぞと冷たい麦茶を出してくれるお母さん。
ものすごく喉が渇いていたと、今になって気付いた。
おかわりする。
「で?女は?」
「マリ?マリの方は、健二に特別な感情はないみたい。ただやりたかっただけ、みたいな。で、私にバレたってわかったからそこで終わりにしたかったみたいなんだけど、のこのこと出かけて行ったわけよ、アイツが」
マリが健二を部屋に入れようとしなかったことを話した。
「でも、部屋に入っちゃったわけだ…」
「まぁね、でも、強引にされたのならレイプで訴えてもいいよって言ってやったけどね、それは嫌だって健二が止めたけど」
「そりゃ止めるって、いくらバカでも。で、別れさせてきたの?慰謝料とか?」
「マリは正座して、殴るなり蹴飛ばすなり気の済むようにしてくださいって言ったけど。健二は、慌てて服着てる途中の変な格好のままで、ぼーっと立ってたよ。情けない」
冷たい麦茶が熱くなった感情まで冷却してくれたからか、どこか面白がって深刻な話にしないお母さんのせいか、気持ちはぐっと落ち着いた。
「じゃあ、あの二人が別れるかどうかわからないってこと?」
「別れるよ、マリから。今度こそキッパリと」
「なんでわかるの?」
「直接会ってわかったの、健二のことを好きでもないってことと、最初から深く付き合う気もなかったってことが」
「ん?」
「マリ自身もそう言ってたけど、これ見て」
スマホで郵便受けの写真を見せた。
マリの部屋の名前が[田所優香]だった。
「名前も嘘みたい。ということは、全然本気じゃないってことでしょ?それに健二は気づいてないみたいだけどね」
「なるほどね…で、これからどうするの?健二君のこと」
真ん中に翔太を挟んで、お母さんと3人で寝る。
「どうしようかなぁ?」
「やっぱり、離婚?」
「それなんだけどね、今になって思い出したんだけど。健二って、付き合ってる時からちょくちょく女の影があったんだ、そのたびに問い詰めると綾菜だけだよ、そんなの嘘だよって言ってた」
「結婚する前からそんなことあったってこと?」
「うん、まぁ、こんなにハッキリ浮気してるとこに遭遇したのは初めてだけど。アイツ、根っからの女好きなんだわ、気づくの遅いけど」
うぅ…んとタオルケットがはだける翔太。
「ということは、またやるね、健二君、間違いなく」
「私もそんな気がする。だから、この際別れた方がいいのかな?って思ったりもするんだよね、でもね…」
翔太の柔らかい髪を撫でる。
「女好きなとこだけが、問題。あとはギャンブルはしないしお酒も少しだし、DVやモラハラもないし、翔太にはいいお父さんだし、お小遣い制でも文句言わない。家庭の決め事も私が主体だし…」
「ね、綾菜、それってさあ、もう健二君のこと、夫としてよりまるで子どものように見てない?というか、健二君が、綾菜のことをまるで自分のお母さんみたいに思ってるというか…」
「えーっ!」
「ちょっとくらいのイタズラ、この場合は浮気だけど、それくらいなら綾菜は許してくれるって勘違いしてるのかも?結婚する前もそうだったのなら、ね」
そう言われるとそんな気もする。
結婚する前の女のことも、マリのことも、もっと逆上して泣いて怒って暴れたらよかったのかもしれない。
それをしなかったのは、心のどこかで健二が本当に好きなのは私だけ、という自信のようなものがあったから。
実際、女の影があったのは一度や二度じゃないけどそのどれも、すぐに消えていた。
もしも、マリのことも、健二がうまく隠していたら私もこんなに強く出なかったかもしれない。
私が腹立たしく思ったのは、奥さんとしての私のことを軽く見ている健二の言動だ。
結婚して子どももいる今なら、毎日好きだとか愛してるとか言われたいと思わないけど。言われても鬱陶しいだろうけど。
それでも、他の女の前で私のことを貶めたことに腹が立っている。
さて、じゃあ離婚する?
離婚するデメリット。
まずは経済的に、苦しくなる。
慰謝料や養育費を請求しても、ちゃんと払われるかどうかわからないし、今の健二の収入からだとそんなには出せないだろう。
離婚のメリット。
精神的な安定?
自由?
再婚できる?
あれ?天秤がものすごく偏ってる。
「私、離婚しない。いつかはするかもしれないけど、今はしない。でも、健二のことは油断しないでおく。今までの女は健二のことを本気で好きになったりしなかったから、まだマシ。でもこれからはわからないから」
「……」
「お母さん?」
「ん?ん…綾菜の人生だからね…」
「寝言?」
「……」
娘が離婚するかもって時でも、お母さんはマイペースだ。
でもだからこそ、私も安心していられるのだろう。
健二の女好きが直らないとしたら、そこはしっかり手綱を絞めて、私はいつかするかもしれない離婚の準備を始めることにした。
見方を変えれば、健二のような夫は、扱いやすいのかもしれない。
次の日。
翔太を連れて家に帰った。
健二は起きて仕事に出かけたあとだ。
「あれ?」
洗濯機には、脱いだ靴下がきれいに伸ばされて入っていた。
ハンカチも広げて入れてある。
食べた食器は洗ってあるし、飲んだビールの缶も水洗いしてある。
モップの位置も変わっていたから、おそらく床のモップ掛けもしたのだろう。
これで、離婚を回避しようとしてるらしい。
私は、千夏さんに会うために、カニさんの公園に出かけた。
「おはよう!」
「おはよう!ねぇ、あれからご主人のこと、進展あった?」
「それを報告しに、ここに来たの」
私は、マリの家に乗り込んだこと、マリの性格と、情けない夫の姿、お母さんの電話、マリという偽名のことを話した。
「そうだよね、小さい子がいると離婚には躊躇するよね?」
「離婚するメリットの方がまだ少なかった…こんなことちゃっかり計算するあたり、あざといけど…」
「母親なんだからね、仕方ないね。でもさ、だから熟年離婚になるのかもね」
「熟年より前には、結論出したいけどね
。そのために準備はしとくつもり、仕事とか貯金とか人脈とかね」
それでね、と私は夫の写真を千夏に送った。
「その顔おぼえておいて。で、万が一、浮気してそうな場面を見たら私に報告してくれないかな?ガッツリ手綱はつかんでおきたいから」
「わかった。防犯カメラになってあげる!」
千夏さんもどこか楽しんでるみたいに見えるけど。
でもその方がいい、たかが浮気と思えるから。
何もお金を騙し取られたり命を取られたりしたわけじゃないし。
「私も女としては図太くなったもんだわ」
「違うわよ、綾菜ちゃん、女から母になって強くなったのよ」
「そうだね」
「おかあちゃん、おてて、すなまみれ」
「くるみも!べとべとだよ」
翔太と胡桃ちゃんが砂場から走ってきた。
この子たちには、安心して暮らしてほしい、そう思った。