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(――やばい、さっきの態度はさすがにまずかった気がする!)
お兄様に言われたことも、殿下に言ったこともすべて破ってしまって、逃げてきてしまった。そんな自分のふがいなさと弱さに腹が立ってくる。でも、きっと腹を立てたいのは殿下だろう。あの場で婚約者に「違う人とお似合いですね」と言われて置いてけぼりにされた殿下がかわいそうなのだ。もし大勢の人がそれを目撃していたら。殿下がうまくいっていないと、じゃあ、次期皇帝は第二皇子か? なんてなったら本末転倒なのだ。やらかさないようにと頑張ってきたのに、自ら台無しにして、私は殿下の人生をめちゃくちゃにしたいのだろうか。
(そうじゃない、したいわけないじゃない……)
殿下が心から笑える日を望んでいる。彼が安心できる日が来るのを望んでいる。そして、彼が皇帝になるのを望んでいる。
それは、幼いころ殿下が私に誓ってくれたから。彼はきっと覚えていないだろうけれど、まだ彼が皇太子という責任を背負いつつも、無邪気で今よりも子供でまっすぐだった時のこと。あの時殿下は私に誓ってくれたのだ。
『俺は皇帝になる。なって――』
(なって、なんだったっけ……?)
大切な部分が抜け落ちていた。なんでその流れになったかはだいたい覚えている。皇帝になると誓ってくれた、宣言してくれたことも鮮明に。でもその理由が思い出せなかった。あの時私も幼かったし、覚えていない部分が多いけれど。
そんなことを思いながら、ようやく一人になれる場所、テラスに出ることができ私はふぅ、と詰まっていたものをすべて吐き出すように息を吐いた。
夜風が火照った体を冷ましてくれる。少し寒いくらいがちょうどよくて、サーモンピンクの髪がゆらゆらと夜風に揺られていた。毛先の濃いピンク色は情熱的にまぶされた星屑が煌めいている。せっかくきれいに着飾ってもらったのに、私はそれに見合う女の子にはなれなかった。
「はあ……こんなことになるならいっそ、家で素振りでもしていたら」
「素振りでもしていたら……何ですか?」
「えっ……っ」
気配に気づかず、耳元でささやかれたことで私は初めて人が近くまで来ていることに気が付いた。そして反射的にその人から距離をとってしまった。
闇夜に怪しく光る深紅の瞳、そして黄金を集めた髪は殿下とそっくりなのに、まとう雰囲気が異質で常に上がっている口角は不気味で、何を考えているかわからない。お兄様のような意地悪な笑みというよりかは、もっと邪悪で底が見えないような笑みともいえない笑みに私は無意識に眉間にしわが寄ってしまっていた。
「……ディレンジ第二皇子殿下」
「ふふ、初めまして。ペチカ・アジェリット公爵令嬢」
「……」
ディレンジ・ブルートシュタイン第二皇子殿下。殿下の腹違いの弟で、皇位継承者第二候補の男……殿下とは仲が良くないと聞いていて、彼が参加する夜会には参加しないくらい険悪だと。だが、お兄様からの事前情報を聞いていた通り今日はなぜか夜会に出席していたのだ。自身の存在をアピールするためか、それともほかの目的があるのか。
(私が……殿下に婚約者ができたって知ったから、それを見に来たのよね。多分)
さすがの私でもそれくらいはわかった。婚約者とはいえ、名ばかりではないのか。殿下に皇帝になる意思はあるのかとその他もろもろ自ら偵察に来たという感じだろう。
私もディレンジ殿下のことはよく知らない。ただ、お兄様曰く「俺もよくわからない、そこの見えない男だね」と、危険人物らしい。あのお兄様が言うのだからきっとそれは本当で、お兄様が声を大にして「性格が悪すぎる」というくらいひん曲がっているらしい。それを体現したような真意の読めない表情に、私の背筋に冷たいものが走る。彼は前にいるのに、後ろからナイフを突きつけられている感覚だった。
(いつの間に私の背後に……? 私が、気配に気づかなかったなんて……)
今まで、殿下であろうがお兄様であろうがだいたい気配には気づけていた。気を張っていたというもあるけれど、騎士として、不覚をとればその首がはねると、命がないと思って生きてきた。だから常に、背後には気を付けていたはずなのに、彼は風のように何の違和感もなく私の背後にまでやってきたのだ。
すぐに、危険と体が反応し硬直し始める。会話一つで何か情報を抜き取られるのではないかと、そんな不安にも駆られるのだ。
「そんなに警戒しないでくれると嬉しいですね。取って食ったりはしないので」
「……何か御用でしょうか。第二皇子殿下」
「ディレンジでいいですよ。ペチカ・アジェリット公爵令嬢……さきほど、兄のことをゼインと呼んでいたみたいにね」
「……っ」
「ああ、その表情いいですね。すごく、いいな……」
いつから会話を聞いていたのだろうか。いつからそばにいたのだろうか。それすらもわからなかった。目立たないようにはしていたつもりなのに、すべてを知っているような濁った赤い瞳で私を見てくる。
私では相手にできないと、後ずさりお兄様を呼ぶことも考えたが、ここで逃げたら警戒していると悟られるため私は踏みとどまった。すでに警戒していることなど気づいているだろうが、ここで逃げるのはよくないと思ったのだ。
(何で私に声をかけてきたかわからないけれど、こっちからも何か仕掛けたらぼろを出すんじゃない?)
お兄様のような話術はない。会話なんて続かないし、探ることなんてもっとできなかった。それでも、彼の目の奥に、殿下への殺意や憎しみが見えた気がして、彼がいつか殿下を殺すのではないかという不安から、私は一瞬たりとも目を離してはいけないなと気を持ち直す。
「いいえ、第二皇子殿下と呼ばせてもらいます。私たちは、そんな仲ではないので。それに気やすく、皇族の名前を口にはできません」
「僕がいいって言っているのに……少し硬いんですね、君は。でも、面白い」
「……用がないのなら帰らせていただきます」
「どこに? 兄の元?」
「……、ですが」
「今彼は、コルリス嬢と話していますよ? 彼らはとてもお似合いだ……でも、君が兄の婚約者なんですよね?」
「そうですが? ですから、戻ろうとしているのです。どいていただけませんか?」
出口をふさがれてしまい、帰ろうにも帰れなかった。強行突破することも考えたが、この人の前で目立った行動を起こせばまた何か良からぬことにつながりそうだと、私は跳ね飛ばしてここから逃げたい気持ちを抑える。
今のところ彼以外の視線も気配も感じない。外から襲撃されるということはまずないと考えていいだろう。だが、彼自身が魔法を使ったら、私は今剣もなければ楯もない……防ぐことはできないだろう。それに、動きにくいドレスで。
「兄に固執する理由は何ですか?」
「婚約者なので、心配して普通ではないでしょうか」
「なら、なぜ先ほど兄を置いてここに来たんですかね。君のやっていることは矛盾している。ペチカ・アジェリット公爵令嬢」
「少しけんかしていただけです。別に、本気で彼の隣にふさわしくないなどとは思っていません。もし、ふさわしくないのであれば、ふさわしい女になるだけです」
「女に……ねえ」
と、ディレンジ殿下は舐めるような視線で私を見る。それが気持ち悪くて、不快でたまらなかった。殿下の女性差別発言がかわいく思えるくらい、ディレンジ殿下の視線が生暖かく、そして中身を見られているようで体の毛が逆立つ。
私をここに引き留める理由もわからなかった。殿下が何をしているか把握しているみたいだし、それもそれで恐ろしい。私が離れたからといって、会場にはお兄様もいるし……それでも、彼のそばにいられないことは不安を加速させる要素だった。
「本当にどいてください」
「――ベテル・アジェリット」
「……っ」
「君とよく似た髪色の弟、いや、君そっくりの最年少近衛騎士について少し聞きたいことがあるんですけど。彼は本当に男なのかな?」