「マリエッタ、マリエッタ。こうして湯のない上のほうと、底のでっぱりに指をかけるとあまり熱くないよ」
対面の席に戻っていたルキウスが、説明しながら自身の湯呑みを持ちあげる。
ありがとうございます、と二人に礼を告げて、ルキウスの手元を確認しながらおそるおそる手に取ると、じんわりとした熱が指の腹から伝わってきた。
「僕が冷ましてあげようか?」
「結構ですわ。自分で出来ます」
見苦しくならない程度の息を何度か吹きかけ、そっと口をつけ傾ける。
紅茶のひとくちよりも少ない量しか含めなかったけれど、それでも、喉の奥から新緑のような爽やかな風味が溢れた。
「おいしい……! 香りは軽やかですのに、渋みもしっかりと感じられて……。それになんだか、紅茶よりも酸味が少なくて、甘く感じます」
「おや、素晴らしい舌だね。紅茶も緑茶も、茶葉は同じなのさ。けれども加工の仕方が違ってね。緑茶は葉を発酵させないよう、摘み取ったらすぐに蒸しちまう。対して紅茶は、火をいれずに発酵を繰り返して乾かすのさ。だからあの独特な酸味が出るんだろうよ」
口に合ったのならなによりだねえ、と。今度は掌より少し大きいお皿を眼前に置いてくれる。
「こっちも焼き立てだからね」
皿に乗るのは茶色い、魚――の形で焼かれた、お茶菓子のよう。
(これがルキウスの言っていた、魚のお茶菓子)
見たところ、魚が使われているようには思えない。
貝の形を模したマドレーヌのように、素材には使われていない焼き菓子なのだろうか。それから漂うのは、甘くて香ばしい、食欲を誘う香り。
(なんて美味しそうなのかしら……!)
「いいねえ。嬉しい顔をしてくれるじゃないか、マリエッタ様」
「へ!? 嫌ですわ私ったら、頬が緩んでしまって……!」
「いいのいいの、ウチは淑女のマナーとか全く必要ないから。むしろ、そうして素直に感情を出してもらえたほうが作りがいがあるってものだよ。それはね、”鯛焼き”っていうんだ」
「たい、やき……ですか?」
「そう。鯛っていう名の魚の形をした、まあ、こちらで言うところの焼き菓子かな。中には”餡子”っていう、お砂糖で甘く炊いた豆が入っているのだけれど、そっちも熱いから火傷には注意だよ。ちなみにルキウスは人の話をちっとも聞きやしなくて、ばっちりやらかしたから」
「まあ、ルキウス様が?」
驚いてしまったのは、ルキウスは幼い頃からどちからかといえば、慎重な性格だったから。
そんなルキウスが、話を聞かずに火傷を。
私の視線を受けたルキウスは、気まずそうに視線を逸らし、
「否定はしないけれどね。あの時はとにかくお腹がすいて仕方なかったんだ。それに、ミズキだってこんなにも丁寧に説明してくれなかったし」
「よく言うよ。私がいくら説明してやったところで、たいして聞きもしないのはそっちだろう? 腹に入れば同じとばかりにペロっと平らげちまう。まったく、可愛げのない」
呆れたように首を振るミズキ様を無視して、「それよりも、マリエッタ」とルキウスは自身の鯛焼きを手に取る。
「初めてだし、こうして半分に割ってから冷まして食べるといいよ。この菓子は表面こそ冷めたように見えて、中の餡子がおそろしく熱いから。そうだ、丁度いい温度になるまで僕が冷ましてあげて――」
「ですから、結構ですわ。そうした所が”妹扱い”だと言っているのです」
「えー、僕はマリエッタが大好きだから、火傷なんてさせたくないのだけれど」
「それは、分かっておりますが。私はかいがいしく世話されるよりも、共に並び立てる一人の人間として認めていただけるほうが何倍も嬉しいですわ」
告げながらも手元に集中して、鯛焼きを慎重にふたつに割る。
途端に湧き出る白い湯気。現れた黒い中身が”餡子”なのだろうけど、黒い豆というのは初めて食べる。
緑茶にしたように、息を吹きかけて。そーっと口に含んで、一口分をあむり。
「…………っ!」
甘い。魚の形をした生地も、餡子も。それぞれにしっかりと甘味を感じるのに、なぜかまったく、くどさを感じない。
どころか深い餡子の甘さをもちっとした生地が軽やかにしてくれているようで、どんどん食べ進めてしまう。
それに、この緑茶だわ。
舌に残るもったりとした餡子が緑茶の渋みと合わさると、心が落ち着くような、安堵感にまどろんでしまう。
「ミズキ様のいらしたお国は、きっと、皆が幸せに笑い合う、心の温かな国なのでしょうね」
奇抜な形に笑い合い、ゆっくりと熱を冷ましながら食べ終えるまで、共に語らい合い。
緑茶と鯛焼きを味わいながら異国に思いを馳せる私を眺めて、ミズキ様がぼそり。
「なるほど、なるほど。こりゃあ、ルキウスが過保護になるワケだ」
「ね? 可愛いでしょ」
「な……!? 私、なにか変なことを申しましたかしら!?」
「なあに、清らかで可憐な花ってのは、誰もが欲しがるからねえ。悪いものに害されないように、守り手が必要ってね。付け加えるのなら、私もマリエッタ様が大好きになっちゃったなあ」
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