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『ごめん。飲み会になった』
電話越しにも申し訳なさそう、と言うよりも行くのが嫌そうなのがよくわかる声色。
私はコンロの火を止めて、キッチンを離れた。
「私はいいけど、大丈夫?」
『飯、なんだった?』
「餃子」
『明日の朝、食うから』
「うん」
『はぁ~……。行きたくない』
「仕事でしょ?」
『そうなんだけど……』
珍しい。
急な飲み会もそうだが、夫がここまで嫌そうなのも。
「飲み過ぎないでね」
『うん』
電話を切って、再びコンロに火をつけた。
私一人で食べる餃子が、いつもよりこんがりとジューシーに焼けた。
それが嬉しいようで、寂しい。
それでも、やはり美味しいものは美味しい。
私は、およそいつもの時間に食事をして、いつもより少し長湯をした。
ムダ毛の処理とスキンケアを入念にして、ミネラルウォーターを500ml飲み干す。
午後十時。アマ〇ラで海外の刑事ドラマを見ていた。
夫が殺されて悲嘆にくれる妻。刑事が捜査を進めるにつれ、夫婦揃って浮気していることがわかる。
そして、疑いの目は夫の愛人に向けられる。
夫と愛人は元恋人で、その当時は妻が浮気相手だった。
カチャリ、と玄関ドアが開錠する金属音がして、私は立ち上がった。
リビングを出ると、洗面所に入る祥平の足が見えた。
彼のバッグは廊下に置いてある。
「祥平?」
ジャーッと水音、ガーッとうがいをする音、バシャバシャと手を洗う音。
私は洗面所を覗いた。
「おかえり」
「ただいま」
鏡越しの夫の顔は、随分と疲れていた。
「大丈夫?」
「うん。シャワー浴びるよ」
夫は蛇口のレバーを下げて、既に緩んでいるネクタイを解く。
「酔ってるんじゃないの?」
「うん。だけど、シャワー……」
呂律が回っていないほどではないけれど、目が少し虚ろだ。
珍しい。
祥平はお酒を飲むけれど強くはない。
そして、決して飲み過ぎない。
どんなに強く勧められても、アレルギーを理由に断る。
それは事実ではないけれど、若い頃にお酒で失敗したことのある祥平には、絶対に超えないと決めたラインがある。
だから、私でもこんな風にわかりやすく酔っている姿を見たことは、ほとんどない。
「明日の朝にしたら?」
「臭い……から」
そう言われて意識すると、確かにお酒の匂いに混じって甘いけれど甘ったるくない、大人の女を感じさせる香りがした。
一緒に飲んでいた職場の女性のものだろうか。
移り香にいい気はしないけれど、夫がそれを嫌がっていることには、少しホッとした。
「短めにね?」
「ん……」
祥平がジャケットから腕を抜き、私はそれを受け取って洗面所を出た。
ジャケットをハンガーに掛けて、玄関のコート用フックに引っ掛けると、消臭スプレーを手に取った。
ふと、香水の主はどんな女性なのだろうと気になった。
職場の飲み会で、隣の席の人に香りを移す女性。
年齢は? 身長は? 髪の長さは?
考えても仕方がない。
そもそも、何を考えるというのだろう。
認めたくない思考を振り払うように、私は消臭スプレーのレバーを引いた。