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「……にしても、ですっ! 私のコッペンちゃんが下に停めてあるの、部長だってご存知だったじゃないですかぁ!」
「部長じゃなくて大葉、な?」
この際呼び方なんてどうでもいい!と思いつつ、羽理は恨みがましい目で大葉を見詰め続けた。
ダイニングテーブルというリーチがある分、対面に座っている大葉との間に程よい距離を保てていることが、大葉由来の不整脈持ちの羽理をちょっとだけ強気にさせている。
アルコールを口にしたことでマンション下の空きスペースへ停めたままの愛車コッペンに乗れなくなってしまった。
それは、すなわちこのまま〝ここへお泊りする事〟を意味するわけで。
大葉と一緒にいると心臓バクバクの羽理には、そう易々と容認出来ようはずがない。
うー、と唸りながら大葉を睨んでいたら、ふと思いついたみたいに大葉が話題を変えた。
「そういえば……。さっき言いそびれてずっと気になってたんだがな? 俺はお前が思ってるよりずっとずっと経験値が低いぞ?」
「え?」
(いきなり何の話ですかね!?)
キョトンとする羽理を置き去りに、大葉が話し始めた。
***
「つい今し方も俺のこと、手練れって言っただろ。だが実際、俺は恋愛経験も全然豊富じゃないし、恥ずかしい話、リードしてくれるような年上としか付き合ったことがない。肉体関係を持った相手だって片手で足りる」
馬鹿正直に告白してやるつもりはないが、明言すれば大学時代入っていたサークル『野草研究会』の三つ上の先輩と、社会に出てからたまたま知り合った行きつけのバーの常連客だった八つ年上の女性。
大葉は、その二人としか致していない。
相手が年上だったこともあり、どちらも女性に主導権がある形での情交だった。
だから羽理にその道の上手みたいに思われるのは大変遺憾なのだ。
そもそもそんな風に思われてしまったら、いざ羽理とそう言うことになった時、手際が悪いとか思われそうで怖いではないか。
(自慢じゃないが、俺は処女なんて相手にしたことないんだぞ!?)
それが本音の大葉だが、そこはまぁ男としての沽券に関わるから言うつもりはない。
実際大葉が寝た二人は、どちらも至らない大葉を巧みにリードしてくれるような床上手な女性たちだったから、大葉は相手に乞われるままアレコレご奉仕しただけに過ぎないのだ。
(俺が主体になってどうこうなんて経験はねぇんだが……実際上手く出来るのか、俺‼︎)
なんて思っている大葉を横目に、ひと口もふた口も変わらないと開き直りでもしたのだろうか。
羽理が卓上に置いてあったワイングラスをクイッ!と煽って空にした。
そんな羽理につられたように、大葉もワインをひと口飲んで口を湿らせてから、空っぽになった羽理のグラスを新たなワインで満たしてやる。
少し触れただけで過剰反応しまくる羽理の現状からして、今夜何かがあるとは思えないけれど、いずれは……と期待している大葉にとってその辺りはちょっぴり悩ましいところだったから。
なのに――。
「片手ってことは五人も経験がありゅってことれしゅかっ!?」
とか。
(何でそうなる……)
荒木羽理と言う女性は、もしかして大葉に「二人しかいねぇわ!」と赤裸々告白でもさせるつもりだろうか。
(マジで勘弁してくれ……)
さすがに「童貞です」というのよりはハードルは低いが、それでも二人しかいないと思われるのは何となくプライドが邪魔をする。
「……ご、五人マックスはいねぇーわ」
それでゴニョゴニョと言葉をにごしたのだけれど。
「妖しいもんれしゅね……。大葉はハンシャムしゃんれすし……モテないはずがないれしゅもん」
羽理の口調が、どこかぽやんとして感じられるのは、ワインが程よくきいているのかも知れない。
以前飲み会の場に迎えに行った時みたくデロデロに酔っぱらってはいないけれど、このしつこさはアルコールの影響を受けていそうだ。
そもそも――。
(こいつ、いま……舌っ足らずの口調で俺のこと、ハンサムとか言わなかったか?)
そこを意識したら、思わず顔がにやけてしまいそうになった大葉だ。
「なぁ、羽理よ。――お前、ホント可愛いな」
素直に言ってテーブル越し。
自分が先ほど中身を満たしたばかりのワイングラスの底部に左手を添えて、右手の人差し指でクルクルと飲み口をなぞっている羽理の方へスッと手を伸ばして――。
プレートに載せられたままの羽理の手を包み込むように右手を載せたら、羽理が「ひゃっ」と悲鳴を上げて肩を跳ねさせた。
だが、幸い大葉の手が重石になっているのでグラスは倒れずに済んだし、琥珀色の液体も丸みを帯びたボウルの中でゆらゆらと不安定に揺らめいただけ。
それが羽理の心を如実に反映しているように思えて、大葉はそんなことさえ嬉しくてたまらない。
「にゃ、何をいきなり血迷ったことをっ」
包み込まれた手を、大葉の手の下から取り戻そうとモダモダともがきながら、羽理がオロオロと瞳を揺らせるから。
大葉はクスッと笑って「いや、だって……お前が俺のこと〝ハンサム〟だって言ってくれたから嬉しくてな」と言ったら、「しょ、しょんにゃこと言ってません! 言ってたとしても……そう! 言葉のアヤれす!」とか。
「ん、そう言うことにしといてやるよ」
余裕綽々な様子で大葉が言い放ったら、羽理がキッと睨み付けてきた。
けれど大葉はそんな視線すらちっとも不快に感じなくて。
そればかりか、そういうところも含めて羽理のことを愛しいな、と思った。