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「おはよう、羽理」
法忍仁子にポンッと背中を叩かれて、荒木羽理は「ひゃっ」と悲鳴を上げて肩を跳ねさせた。
「えっ。どうした、どうした?」
まさか朝の挨拶でこんなにビックリされるとは思っていなかった仁子は、小さめのハンドバッグを自身の事務机引き出しに仕舞いながら、羽理の顔を覗き込んだ。
「あ、あのっ。実は……私……」
そうしてみたら、存外深刻そうな顔をして羽理がこちらを見詰めてきて。
仁子はごくりと生唾を飲み込んだ。
そう言えば、いつもならもう少し綺麗にゆるふわにセットされているはずの羽理の髪の毛。
それを束ねたシュシュが昨日と同じものなことに気が付いて、仁子は内心「ん?」と思った。
服こそ着替えてきているようだけれど、何か違和感がある。
羽理は華美なお洒落をする女性ではないけれど、髪飾りは結構沢山持っているみたいで……二日続けて同じヘアアクセサリーで出社してきたことはなかったように思ったからだ。
そう言えば、前にもこんなことがあった。あれは……。
「ねぇ羽理。もしかして……また裸男さんの家に泊まった?」
以前飲み会明けの日の羽理がこんなだったことを思い出した仁子は、本当に何の気なし。思いつくままにそう尋ねたのだけれど。
羽理は再度ビクッと肩を震わせると、「なっ、何で分かったのっ!?」と仁子の手をギュッと掴んできた。
「いや、だって……それ」
言って、握られていない方の手で自分の頭をチョンチョンと指さしてシュシュのことを示唆すると、羽理がハッとしたようにそれに触れた。
***
今、羽理のミルクティーベージュ色の髪の毛を左サイドでゆるっと束ねているのは、グレイのサテン地のシュシュで。とびとびに留め付けられたラインストーンがキラキラと光っている、シンプルだけどエレガントに見える大人可愛いデザインのものだった。
お気に入りだし使いやすいアイテムだから使用頻度は高めではあるけれど、シュシュを付けた翌日にはバレッタで、みたいにメリハリがつくように気を遣っている羽理だ。
だけど今朝は――。
***
何か重い……と、息苦しさに目覚めた羽理は、寝慣れないふかふかのベッドの中。
何故か大葉にギュッとしがみついていて……。
(ひっ、近いっ!)
超絶整っているくせに、まぶたを閉じているとどこかあどけなく見える大葉の御尊顔が、すぐ目の前にあった。
そうしてあろうことか、大木=大葉にコアラ状態な羽理に応えるように、彼の方からもギュッと抱きしめられて眠っていたことに気が付いて。
羽理は、大慌てで大葉の腕の中から逃げ出したのだけれど。
思いのほか重量のある大葉の腕からすり抜けるのに、存外手間取ってしまった。
どうやら羽理に寝苦しさを覚えさせたのは、自分を抱きしめていた大葉の腕の重みだったらしい。
心の中でヒャワヒャワと悲鳴を上げながら現状打破に焦る余り、大葉の腕から逃れたと同時、ビタン!と顔から床へ落ちてしまった羽理は、その音で大葉を起こしてしまった。
「んー、……羽、理? ひょっとして……お前、ベッドから落ちたのか?」
律儀に「おはよう」と付け加えつつ、心配そうにベッドサイドから大葉に見下ろされた羽理は、痛打したおでこの痛みに目を潤ませながらワナワナと大葉を指さして口をパクパクさせる。
と同時。ハッとした様子の大葉から、「いっ、言っとくがっ! お、俺はっ何もしてねぇからな!?」と釘を刺された。
「わざわざ離れて横になった俺に『寒いですぅー』とか何とか言いながらくっ付いてきたのはお前の方だぞ!?」
「嘘ッ!」
「嘘じゃねぇわ、この酔っ払い娘め!」
大葉が作ってくれた、ふわふわしっとり。口の中でとろけるような美味しいフレンチトーストを一緒に食べながら、再度噛んで含めるようにそんな話を聞かされた羽理は、二日酔いだろうか。頭が微かにズキズキと痛むことに、大葉の話が偽りではないと思い知らされて。
(私ってばワイン、どのくらい飲んだの?)
と、心の中で自問自答せずにはいられない。
「ちなみに買って帰った白のフルボトル、半分以上空けたのはお前だからな?」
「ひっ!」
口に出してなんかいなかったはずなのに、何故か知りたくなかった答えを聞かされた羽理は、小さく悲鳴を上げた。
「何を今更驚く必要がある。ホントお前、酒癖悪すぎだろ。しばらくは俺のいないところで酒飲むの禁止な? ところで……コーヒーは飲めそうか? ミルクたっぷりの甘くないの、用意したんだが」
「飲みます……」
何故か自分は悪くないと言いながらもどこかバツが悪そうな表情で、反省しまくりの羽理の前へ九割方ミルクな温かいカフェオレ――というよりコーヒーフレーバー牛乳?――を出してくれた大葉には心底申し訳ないことをしてしまったと思った羽理だ。
だって……。
「あ、あの……。大葉も私とくっ付くと心臓に負担かかるのに……酔った上とは言え、本当にごめんなさい……!」
自分はお酒のおかげで平気だったけれど、きっと大葉は違っただろう。
同じ病いを患った身として、自分が質の悪い爆弾にでもなったような気がして、羽理は心の底から反省した。
なのに。
「あー、いや。お、俺はぶっちゃけお前に抱きつかれた時、心臓よか別のところんがまずかったんだわ。そ、それはそれで――何かすまん」
羽理の心からの謝罪に対して、大葉が訳の分からないことを言ってくるから。
羽理はキョトンとした顔で大葉を見詰めたのだけれど、何故か大葉にふいっと視線を逸らされてしまった。
それで結局元通り。
大葉への申し訳なさに苛まれる無限ループに陥った羽理は、しゅんとしたまま朝食を食べ終えて。
そのテンションを引きずりながら、しおらしく朝の支度をしたのだけれど。
とりあえず服は前日とは違うものに着替えられていたから大丈夫だと踏んでいたのに、まさかシュシュのことで仁子から妙な指摘をされてしまうだなんて、ハッキリ言って想定の範囲外。青天の霹靂だった。
***
「私、勘が鋭すぎる仁子のこと、時々すっごく怖くなる……」
思ったままを口の端の乗せたら、仁子がニヤリと笑って。
「ふふふ。怖がらせついでにもう一つ言い当ててあげましょうか?」
とか不気味なことを言ってくる。
「え……?」
この期に及んでもう一つだなんて……一体何があると言うのだろう?
そう思った羽理に、仁子がふふんっと鼻を鳴らせて言い放ったのだ。
「ねぇ、羽理。貴女、裸男さんと一緒にいたら胸が痛くなったりしない?」
「……っ!!」
羽理が明らかにそうなったのは、それこそ昨夕から。
仁子と一緒の時にはまだ、その症状は出たことなんてないはずなのに。
(っていうか私、仁子に裸男が部長だなんて言ってないよね!? もしかして……そこも気付いてる、とかじゃ……ない、よ、ね?)
的確に裸男(大葉)由来の不整脈について言い当ててきた仁子に、羽理は色んな意味でサァーッと青褪めた。
「……そんなに……分かり、やすい……?」
「分かりやすいも何も……。このところの羽理、裸男率高過ぎなんだもん。どんな男性かは知らないけど……その人と何かあるな?って思うのは普通でしょ?」
当然よ?とばかりにドヤ顔をされた羽理は、仁子の観察眼にただただ感服するばかり。
でもそれと同時。
屋久蓑部長が裸男だと言うのはバレていないと知って、ホッと胸を撫で下ろした。
「多分……気付かれてないと思ってるのは羽理だけよ? 倍相課長もこの前そのこと、しきりに気にしてらしたし」
「えっ」
「ほら、羽理がランチに行けなくて私と課長だけで行った日。羽理が泊まりに行った先の相手のこと、何か知らないか?って根掘り葉掘り尋問されたもん」
「尋問……」
聞かれた、じゃないところが何気に穏やかじゃないな?と思ってしまった羽理だ。
そんなに仕事へ支障をきたしている覚えはないのだけれど、もしかしたら指摘してこないだけで、倍相課長が陰で羽理の尻ぬぐいをして下さっているのだろうか?
だとしたら物凄く申し訳ないなと思って。
(あ……それでだ)
しきりに倍相岳斗が羽理を食事に誘いたがっていたのはきっと。その辺のことをやんわりと伝えたかったからに違いない。
(なのに私ったら)
先約だったとは言え、屋久蓑部長とのランチや買い物の約束を優先させて、倍相課長の誘いを一度ならず二度までも、無下に断ってしまった。
これは――。
(近いうちに穴埋めしなきゃまずい、よね?)
羽理は今度は自分から倍相課長を食事に誘おうと決意した。
***
「おはよぉ~。今日も荒木さんと法忍さんは仲良しさんだねぇ~」
仁子と話していたら、不意に背後から頭の中で思い浮かべていた相手――倍相岳斗にのほほんと声を掛けられて、「おはようございます」と返す仁子を横目に、羽理は思わず「ごめんなさいっ!」と謝ってしまっていた。
「え? 荒木さん、何で謝ったの? まだ始業開始のベルは鳴ってないし、雑談してても何の問題もないんだけどな?」
そこまで言ってから、岳斗は「あ……」とつぶやいて。
「さては法忍さんと一緒に僕の悪口を言ってたんでしょう?」
と、冗談めかして柔らかく笑い掛けてくる。
そんな岳斗に、羽理は慌てて首を横に振った。
「そ、そ、そ、そんなわけないですっ。課長は私の推しなのにっ」
思わず言わなくていい付け加えをしてしまって、岳斗に瞳を見開かれた羽理は、余計にワタワタと慌ててしまう。