「え……私、ですか。どう、して?」
目の前の彼女はとても困っているように見えた。否困っていた。
純白の瞳を揺らし、蜂蜜色の髪を揺らして。彼女は、俺の方を見ていた。
俺はそんな彼女を見て、少しだけ胸がチクリとしたがすぐに心は凪いでいつも通りの表情で、いやきっと少し険しくなっていただろう、彼女、本物の聖女と呼ばれるトワイライトは怯えた顔で俺を見ていた。俺の指しだした手を取るか迷い宙をさまよっている手は、一向に俺の手を取ろうとしない。
彼女の困惑する気持ちは分かる。だが、今更引くことはできない。
「何故、手を取らない?」
「い、いえ……その、ダンスはお姉様と……エトワール様とだと思っていましたので」
と、戸惑いがちに言う彼女に俺は目を細めた。
彼女がエトワールと仲がいいのは知っていたが、これほどまでとは……と俺は思わず舌打ちをしそうになるのを堪えた。
彼女も、彼女でエトワールが俺とダンスを。という話を聞いていたのだろう。俺だって、そうしたいのは山々だが、皇帝との約束を破るわけにも行かなかった。公の場では、本物の聖女としか踊らないと言う約束をしてしまったのだ。破ればエトワールへの風当たりはまた強くなるだろう。エトワールを守る為仕方ないと思ったが、それでも好意も何もない相手と踊るというのは気が引けた。幸い、彼女は俺の事をどうとも思っていないようだったから、少しは気が楽なのだが。
いつまで経っても、手を取らない本物の聖女に俺は眉をひそめる。
周りの貴族達は、やはり皇太子は本物の聖女を選んだなどと口々に言っている。勝手に俺たちに理想を押しつけ、妄想を押しつけてくる貴族達にこれもまたはらが立った。俺が好きなのは、エトワールだけで、他の女性には興味がない。だが、機嫌取りと周りの期待を裏切らないため、必死に自分を抑えている。
何処に行っても、俺はこうだ。
「トワイライト」
「は、はい。何でしょうか」
「俺と踊ってくれないか?」
「ですが、お姉様が……」
そう言って、トワイライトは広い会場の中からエトワールを探すように視線を泳がした。
俺もエトワールが何処にいるのか把握していないため、彼女の視線を追いつつエトワールを探していると、会場の隅の方に美しい銀髪が見えた。シャンデリアの光を受けて、銀色とも金色とも取れる髪の毛が輝いているのが見えた。今すぐに、彼女のところに行って踊って欲しいと手を差し伸べただろうが、今の俺には出来なかった。
「えと………」
会場の隅にいたエトワールと目が合ったが、俺は彼女の顔を見て酷く驚いた。
エトワールはまるで、親に置いて行かれた子供のような顔をしていたからだ。今にも泣きそうな、絶望に満ちた顔。
どうして、そんな悲しそうにしているのか。
俺は分からず、エトワールに手を伸ばしたい衝動に駆られた。
しかし、それも一瞬で、彼女の顔は覆われ彼女のメイドに宥められているようだった。俺から背を向けて、暫くすると会場を出て行ってしまった。
「リース殿下?」
「……っ」
追いかけたい衝動を抑えながら、自分を呼ぶトワイライトの声で俺は我に返る。
彼女は、俺の手をスッととってどうしたのかと、心配そうな表情をして俺を見上げていた。
その瞳の中に映るのは俺だけだ。
「リース殿下」
「ああ……」
俺は、取り敢えず、目の前のことに集中しようと彼女をリードするようにして、ダンスホールの中央へと歩みを進めた。
周りからは様々な声が聞こえてくる。それらは、全て俺たちを祝福するようなものであったが、俺にとっては酷い雑音にしか聞えなかった。
そうして、曲が始まり、彼女と踊り始める。
彼女は、俺の動きに合わせるようにしてステップを踏み始めた。それは、とても優雅で綺麗な動きであった。
ふと、彼女のドレスを見る。それは、彼女の純白の瞳に合わせた白のドレスだ。胸元からスカートにかけてフリルやレースがあしらわれており、とても可愛らしい印象を受ける。それは、俺にとって、愛しい人を思い浮かばせるものでもあった。
俺は、彼女を見ながら、少しだけ目を細めた。
「……何か?」
「いや……何でもない。それよりも、俺に気を遣わなくて良いぞ」
「な、慣れていないだけです」
と、トワイライトは失笑する。
確かに、彼女もエトワールと同じようにダンスは初めてだろう。だが、それでも俺に合わせようとしていることが分かり、俺は苦笑いを浮かべた。本来であれば、俺はそんな表情をエトワールに向けられていたのではないかと。彼女と踊っている妄想にでも浸りながら、何とか自分を保った。
貴族達の視線が煩かった。
お似合いだとか、誰も何も言っていないのに、婚約を結んだとか。耳が痛かった。俺の耳を切り落とすのが先か、彼奴らの口を切り落とすのが先か、どちらが良いかと迷うほどに。
そんなことを考えていれば、トワイライトは申し訳なさそうに、目を伏せる。
「どうかしたか?」
「すみません、私で」
「は?」
彼女の言葉に俺は首を傾げた。何に対しての謝罪か一瞬分からなかったが、俺は彼女の表情と言葉を何度も頭の中で繰り返しながら答えを導き出した。
「いや、これは皇帝や貴族達が望んだことだ。俺の意思ではないが……お前が謝る必要はない」
「そう、ですか……」
「お前も嫌だろう」
そう俺が言えば、彼女は首を横に振った。お世辞か、機嫌取りか。俺も、そんなのを理由にしたくはないが災厄の影響で、いつも以上に気が立ってしまっているのだ。女性であれ、きつい言葉をかけてしまいそうになる。
「私は……私は大丈夫です。ですが、お姉様が傷つくのは」
と、トワイライトは言うと口を閉じた。
優しい女性だと思った。だが、それと同時に、トワイライトはエトワールに大切にされているのだろう。そのことにすら、嫉妬してしまう。
ああ、ダメだ、ダメだ。
「気に病むことはない」
「はい」
俺は、自分の感情を隠すように、彼女に微笑みかけた。
頭の中では、エトワールが先ほど見せた表情がまわってまわって、ちらついて、早く彼女の元に行きたいと思った。ここを抜け出して。
「お前は、エトワールに大切にされているのだな」
「はい。お姉様は、私に優しくして下さって」
トワイライトは、エトワールとの日々を懐かしむように微笑むと表情をさらに柔らかくした。
「で、殿下。もしよろしければ、この後お姉様を探しに行きませんか?」
「俺とお前がか?」
「は、はい……嫌なら大丈夫ですが。その一人より、二人で探した方が良いと思って。私もまだ、今日、お姉様と会っていなくて」
その提案は魅力的だった。
一人で探しても、きっと見つけられない。彼奴は、逃げるのが得意だった。確かに、彼女の髪色は特徴的で見つけようと思えばすぐ見つかるだろう。だが、この広い皇宮の中すぐに見つかるとは思わなかった。ならばと、俺はトワイライトの提案に乗ることにした。
それに、彼女からエトワールの話を聞けるかもしれないという打算もあった。俺の知らない彼女を、他の人間から教えてもらうのは気が引けたが、エトワールの事をもっと知りたい。ただその一心で。
それからしばらく、彼女と一緒に踊った後、曲が終わり俺は彼女の手を取って、ダンスが終わったことを知らせた。
周りの貴族たちは、俺たちに拍手を送り、口々に褒め称えた。
そんな中、俺は、トワイライトと共に、エトワールを探すために会場をでようとすれば、ルーメンが俺の方へ走ってきた。
「殿下何処へ行くつもりですか?」
「少し外に。何だその顔は」
「このパーティーの主役が出て行ってしまっては困ります。まだ、貴族達への挨拶が」
「そんなもの後で良いだろう」
ダメです。とルーメンは懇願するように、だがやや強い口調で言った。
耐えてくれ、とルーメン、灯華が俺に訴えかけてくれるのは分かったが、それよりも俺はエトワールを探すことの方が大事だと、彼の言葉を蹴りたかった。
「俺は、皇帝との約束を守った。だから、この後のことは俺の好きにして良いだろう」
「殿下!」
「……ルーメン様」
俺とルーメンの間に口を挟んだのは、トワイライトだった。まさか、彼女が口を出すとは思っていなかったのか、ルーメンは驚いたように目を丸くしてトワイライトを見ていた。
彼女は何かを決意したかのように、口を開く。
「で、殿下と二人きりになりたいので……そういうことであれば、会場を後にすることは出来ますよね?」
と。彼女の言葉に俺とルーメンは顔を合わせた。そういうことであれば、口実的にはきっとこの会場を出ることが出来ると。
だが、そんなことをすれば、また変名噂が広がるのではないかと、不安になってしまった。
「そ、そういうことでしたら……はあ、そうですね」
ルーメンは、トワイライトの言葉を受けて、頭が痛いとでも言うように返事をした。納得はしていないのだろうが、俺とトワイライトが何をしたいのか理解したのか仕方ないと言ったように首を縦に振った。
「私からは、そういうことと、伝えておきますね。どうぞ、ごゆっくり」
そう良いながら、ルーメンは俺とトワイライトに頭を下げて、貴族達の所へと戻っていった。
彼は、最後まで心配そうな表情をしていたが、俺はそれを無視して、トワイライトとともに会場に出た。
途中、彼女の侍女であるリュシオルとすれ違ったが、エトワールが何処にいるか聞いたが分からないと言われた。ただ、悲しい顔をして会場を出て行ったと言うことだけ聞いて、俺は益々不安になりながら彼女を探した。そして、俺がまず向かったのは、会場の外にあるテラスであった。そこは、夜風に当たりたい人や、休憩をする人がよく利用する場所でもある。
「ここにはいないか……静かなところをと思ったのだが……」
と、俺が呟けば、隣にいたトワイライトがあっ、と声を上げた。
「どうした?」
「あれ、お姉様じゃ」
そう彼女が指を指した先を辿れば、確かに噴水の縁に腰掛けたエトワールの姿が見えた。ここからでは顔が見えなかったが、肩を小刻みに上下させ、泣いているようにも思えた。そんな彼女の姿に胸が締め付けられるような感覚に陥り、俺は今すぐに彼女の元にと、足をかける。
「こ、ここ二階ですよ。殿下!?」
「そんなこと分かっている。二階なら大丈夫だろう」
そう言って、俺はバルコニーから飛び降りようとする俺を引き止めるトワイライト。
正直振りほどきたかったが、そんなことをすれば後々どうなるか分からない。だから、俺はイラつきつつも強硬手段に出ることは出来なかった。そうして、下にいるエトワールを見下ろせば、見慣れた紅蓮の髪の人間が彼女に近づいていくのが見えた。
「彼奴は――――」
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