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「……あの……会って欲しい人って……」
戸惑いのまま口にしかけた言葉は、最後まで続かなかった。
清香の視線が、それを遮る。
「質問は、行った先でしてちょうだい」
短く、言い切る。
「ただ――」
わずかに間を置いて。
「晴永のことを大切に思っているなら、行くべきよ」
静かな声だった。
けれど、逃げ道はどこにもない。
「……」
言葉が出ない。
でも――拒むこともできなかった。
清香はそれ以上何も言わず、席を立つ。
「山根」
「はい」
「用は済んだわ。帰りましょう」
「承知いたしました」
それだけ告げると、清香は振り返ることもなく店をあとにした。
山根が伝票を取り上げて瑠璃香へ一礼する。
「支払いは済ませておきますので、お早めに移動をお願いします」
残されたのは、瑠璃香ひとり。
テーブルの上に置かれたままの名刺を、そっと手に取る。
(……Cielo Sereno)
小さく、心の中でその名前をなぞる。
意味は――『晴れ渡った空』だと書かれていた。
(……行くしか、ないよね)
迷いは、まだ消えない。
それでも――。
瑠璃香は静かに席を立った。
***
喫茶店を出たあと、瑠璃香は店先で立ち止まった。
手の中には、『Cielo Sereno』の名刺。
記載されている住所をスマートフォンへ入力すると、すぐに地図アプリが目的地までのルートを表示する。
それを頼りに歩き始めて――。
「……あ……」
瑠璃香の足が、ぴたりと止まった。
見覚えがあった。
駅前から少し外れた通り。
落ち着いた雰囲気の街並み。
そして、この道。
(ここ……昨日……)
鼓動が、大きく跳ねる。
間違いない。
過日悦子とともに、晴永と藤井田千紗を見かけた場所だった。
あのときは突然のことで周囲を見る余裕なんてなかった。
けれど今なら分かる。
ふたりが話していた場所が、まさにこの店の前だったのだ。
(どうして……)
喉の奥が、ひりつく。
清香は、晴永と藤井田令嬢に縁のある――もしかしたら行きつけの?――この場所へ瑠璃香を向かわせた。
それはつまり――。
(……現実を見せるため、だよ……ね?)
胸の奥が、重たく沈む。
認めたくないのに、嫌でも考えてしまう。
この扉を開けると、晴永と藤井田令嬢がいる気がした。
それもかなりの高確率で。
(だってきっと……そうなるように仕込まれたんだもの……)
なるべく早く現地へ向かうように、と念押ししてきた山根秘書の言葉が、今になって胸に重くのしかかってくる。
店の扉の前まで来てみたものの、踵を返したくなった。
#夢
凪川 彩絵
けれど、ここまで来てしまった以上、もう逃げることはできない。
こんな回りくどいことをして傷つけないと、晴永と別れられない女だと思われていることが、なんだかすごく悲しかった。
(私、……晴永さんが「別れたい」って言ってくれたら、ちゃんと頑張って、離れる……のに)
幸いもともと住んでいたマンションは、まだ契約を解除していない。晴永には早く解約して無駄な経費は抑えよう、と言われていたけれど、なし崩し的に一緒に暮らし始めてしまったから、何となく不安だった。
晴永の素性のこともある。
場合によってはスキャンダルを避けるため、少し距離を置いた方がいい時がくるかもしれない。
コメント
2件
るりかちゃん、そんな思い込みはダメよ? 違うかもよ?
「Cielo Sereno」っていう店名の伏線、いいですね。晴永の「晴」に重ねてあるんでしょうか。清香の「晴永を大切にしているなら行くべき」という台詞と、その後の「現実を見せるため」という瑠璃香の考察のつながり方がとても自然で、読んでいて胸が締め付けられました。特に「別れたいって言ってくれたら離れるのに」という瑠璃香の内心が切なくて……自分から別れを選べない優しさと、それでも傷つけられることが悲しいという感情の描かれ方が繊細でした。続きが気になります。