テラーノベル
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そう思って、そのままにしていた自分を褒めたい。
(なまこは……ペットOKの物件に引っ越すまでの間、悦子に預かってもらう?)
悦子のマンションはペット可だと聞いたことがある。
まだ何も言われたわけではないのに、頭の中では別れた後の生活が、恐ろしいほど整然と組み立てられていた。
そうでもしないと、立っていられなかった。
そんな重く沈む瑠璃香の心とは裏腹に、目の前の扉は晴れ渡った青空のような、鮮やかな水色をしていた。
空へ浮かぶ白い雲をイメージしたのだろうか。青々とした扉には、風に流れる雲を思わせる伸びやかな筆記体で『Cielo Sereno』と書かれていた。
いつもなら右手を伸ばすのに、開けたくないという気持ちの裏返しみたいに、震える左手を扉へ伸ばした瑠璃香は、そのせいで薬指にはめたままの指輪が目に入って、泣きたくなった。
(これも……お返ししなきゃ)
ずっと一緒にいられる証だと思っていた指輪。でも……きっともう、そういうわけにはいかない。
伸ばしたままドアノブすら握れない扉には、ご丁寧に「貸し切り」の札が掛かっていた。
(……帰りたい)
今さらだった。
ここまで来たのに。
それでも、逃げ出したくて仕方ない。
けれど――。
(ちゃんと、終わらせなきゃ)
震える指先で、ゆっくりとドアノブを握る。
そして。
瑠璃香は、自分で扉を開けた。
静かな空間だった。
外の喧騒が嘘のように遮断されている。
テーブルも椅子も整えられているのに、人の気配は少ない。
その奥へ視線を向けた瞬間――。
「……っ」
瑠璃香の呼吸が止まった。
そこにいたのは、藤井田千紗。
そして、その隣には――晴永がいた。
千紗のすぐそばに立ち、親しげに何かを話している。
昨日見た光景が、一瞬で脳裏に蘇った。
(……やっぱり)
胸の奥が、音を立てて沈んでいく。
清香は、これを見せたかったのだ。
〝現実〟を。
逃げ場のない形で。
指先から、力が抜ける。
そのときだった。
「――瑠璃香」
聞き慣れた声が、背後から響いた。
「……っ!?」
弾かれたように振り返る。
扉を開けたまま動けずにいた自分のすぐ後ろ。
そこに立っていたのは――。
「は、……晴永さん……?」
新沼晴永だった。
思考が追いつかない。
だって、店の奥にももうひとり、〝晴永〟がいる。
「……瑠璃香が何でここに?」
瑠璃香の視線を追った晴永もまた、瑠璃香の肩越しに広がる店内の顔ぶれを見て固まっているようだった。
藤井田千紗と、そして――。
「良介より先に兄さんが来ちゃったか」
困ったように笑ったのは、千紗の隣にいた〝もうひとりの晴永〟だった。
「千紗さんがここにいるのは当然だよ。だって……千紗さんに頼まれて、俺が母さんに兄さんと小笹さんをここへ来てもらうよう頼んだんだから」
そのまま彼は、呆然と立ち尽くす瑠璃香へ視線を向ける。
「初めまして、小笹……瑠璃香さん、ですよね?」
どこか柔らかな声だった。
けれどその声も顔も、晴永にあまりにもよく似ていて、瑠璃香の混乱は深まるばかり。
「俺、この店のオーナーの、新沼晴留っていいます」
そこで一度言葉を切ってから、晴留は苦笑した。
コメント
1件
えっ、待って…⁉ もう一人の「晴永さん」⁉ 店の中にも後ろにも晴永さんがいるってどういうこと…!混乱する瑠璃香の気持ちが痛いほど伝わってくるし、扉を開けたくない気持ちを左手で表現するあたり、本当に細かい心理描写にやられました。双子パターン、これからどう動くんだろう…続きが気になりすぎます!
#夢
凪川 彩絵