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103 ◇幸せなひと時
退院したあと、両親に相談の上、雅代は製糸工場を退職した。
製糸工場へは、病院の医師から手紙で北山涼の元に、大林雅代がもう勤められる
ような状況できないと説明してもらった。
雅代は手紙が届いたと思われる頃に北山製糸工場を訪れた。
そしてこれまで世話になった涼や温子、絹や雅代そして同期で入った節子たちと
別れの挨拶を交わした。
「社長、温子さん、あの日は大変お世話になりました。
お仕事のほうも折角採用していただきましたのに、長く続けられなくて申し訳ありません」
涼は雅代から謝罪の言葉を受けると『そんなの気にしないで元気になれるよう養生
してくださいね』そう言うと、自分がいては話しにくいこともあるだろうとそっと
女性たちの輪から抜け出して行った。
「温子さん、あの後もお見舞いに来てくださってありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして。雅代さん、質の悪い病気じゃなくて良かったわ。
確かにここの仕事は大変ですもの。家でできる手仕事なんか見つかるといいわね。
お小遣いはほしいものね」
「はい。温子さんありがとうございます。実は私、今のいままで外で働けないなら
この先どうしようなんて困っていたのですがその発想いただきす」
「何か、思い当たることあるのかしら?」
「趣味程度ですけど、和裁が少々できますし、巾着袋・手提げ袋・風呂敷袋・お弁
当袋みたいな小物作りも好きなので駄目でもともとですから、家でできることを
細々とでも始めてみます」
この話を半歩ほど下がったところで温子と一緒に聞いていた珠代が手をパチンと叩いて言った。
「温子さん、雅代さん、私ったら今とんでもないことを思いついちゃったわ~」
そう得意げな珠代の様子を見て、温子と雅代は一瞬呆けたような顔で珠代の顔を
ガン見した。
だってぇ~、だってだって……雅代は置物のように、ずっとふたりの遣り取りを
だまぁ~って聞いていたものだから、よもやの、ここで『はぁ~?』状態になりそ
うな珠代の発言にはっきり言って、ふたりは目ん玉飛び出そうになったのだ。
「雅代さん、いろいろ小物ができたら、こちらへ持っていらっしゃいよ。
お客さん、たくさんいるでしょ」
珠代が幸せそうな笑顔で温子にもいい案でしょと言わんばかりの様子で、
雅代に言い放つ。
「流石、珠代ちゃん。ほんとっ、いつだって珠代ちゃんは頼りになるわね」
「温子さぁ~ん、ほめ過ぎですってばぁ……」
まんざらでもなさそうに大好きな義姉からの誉め言葉を、更に口角をあげて
軽く否定する珠代の姿に、雅代はいつのまにか将来の不安も忘れひと時とはいえ
幸せな時間をもらい、なんだか実績もまだないのに自分の縫った物が皆に
売れると思うとうれしくなるのだった。
そんなだったから、雅代は家を出る時にはいろいろと不安で胸が苦しくなったり
さえしていたというのに、帰る時には明るい気持ちになっていた。
温子や珠代、絹に節子と、特に親しくさせてもらっていた人たちに工場のある
敷地の出入り口にデーンと構えられている門のところまで見送られ、うれしくも
こそばゆい気持ちで帰路に着いた。
取り敢えず、倒れた時に世話になった礼と長く勤められなかった謝罪などが
できたこと、そして親しくしてもらった人たちと最後にちゃんと別れが
できたことで雅代は胸を撫で下ろした。
これで一段落つき、安堵した雅代は、眠り姫のように21時頃布団に入ると
翌日の夕方まで眠り続けた。
――――― シナリオ風 ―――――
〇退院・翌日
病院の玄関、馬車の音。
両親と共に帰宅する雅代の姿。
(N)
「両親が見舞いに来てくれたおかげで、雅代は翌日、無事に退院した。
そして相談の上、製糸工場を退職することを決めた」
〇北山製糸工場・別れの挨拶
工場の門前。昼下がり。
ざわめきと機械音が遠くから響く。
〇工場/応接室
雅代(深く頭を下げて)
「社長、温子さん……あの日は大変お世話になりました。
せっかく採用していただいたのに、長く続けられなくて申し訳ありません」
涼(穏やかに微笑んで)
「そんなの気にしないで。元気になれるよう養生してください」
涼、気を利かせて女性たちの輪から静かに離れる。
雅代
「温子さん、あの後もお見舞いに来てくださってありがとうございました」
温子
「いえいえ、どういたしまして。質の悪い病気じゃなくて良かったわ。
確かにここでの仕事は大変だから……家でできる手仕事なんか見つかると
いいわね。ちょっとしたお小遣いも必要でしょう?」
雅代(少し笑顔を取り戻して)
「はい……ありがとうございます。
実は私、和裁が少々できまして、巾着袋や手提げ袋などの小物作りが
好きなんです。
駄目でもともとですから、家で細々と始めてみようと思います」
珠代が一歩前に出て、手を叩く。
珠代「ねぇ!それなら作ったものをここへ持っていらっしゃいよ。
お客さん、たくさんいるんだから!」
温子と雅代、一瞬ぽかんと珠代を見つめる。
温子(思わず笑って)「流石、珠代ちゃん。本当に頼りになるわね」
珠代(照れ笑いしつつ)「温子さぁ~ん、褒めすぎですってばぁ……」
(N)「珠代の提案に、雅代の胸は一気に明るくなった。
まるで、縫った小物が本当に皆に手に取ってもらえるかのように」
〇工場の門前・見送り
温子・珠代・絹・節子が揃って門の前まで見送る。
(N)
「家を出る時には胸が苦しくなるほど不安だった。
だが、帰る時には心が軽くなっていた。
世話になった礼も、別れも、しっかり伝えられた。
そして何より――親しい仲間たちが門まで見送ってくれたことが、雅代の心を
温かく包んでいた」
風に揺れる木の葉。