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ゼロとの和解、もっというと歩み寄りから数週間が経過した。屋敷の中は相変わらずで、ゼロとツェーンは時々けんかするがまあ仲良くやっているようだった。ただ、一回何でもめたかは知らないがゼロがポメになってしまうほどの大げんかが起きて、止めてくれと老執事に言われたことがあった。理由は未だに聞かされていないが、ツェーンがこぼすには俺の寝込みを襲おうとしてたらしい。もちろん、ツェーンが。
さすが肉食獣。というか、俺の貞操が危険にさらされていることに驚いた。ツェーンがなぜ俺を狙っているのかも理解できないし、それにゼロがおこった理由もわからない。推察できるとするのなら、ゼロは俺の護衛として、命の恩人である俺をツェーンが狙ったことが許せなかったのだろう。ゼロはああ見えて堅物で、誠実な男で、曲がったことが大嫌いだから。
そして怒ったゼロがツェーンに詰め寄ったところ……というのが喧嘩の発端。俺が駆け付けたころにはほとんど終わっていたようで、二人息を切らしてボロボロの状態で睨みあっていた。それはもう、人間というよりも獣の縄張り争いに近い感じで、俺を呼んだところで何もできないんだが? と思ったのが最近のこと。
「よーし、だいぶ傷も治ってきたな。ツェーンともう喧嘩するなよ」
「子供じゃないからわかっている」
「お前、ほんとツン多いよな……もうちょっと、かわいげあっても」
「こんな男にかわいげを求めてどうする」
ド正論が飛んできて言い返す言葉もなかった。
俺の部屋で、この間喧嘩のときにできた傷跡に消毒をしている最中、ゼロはいつものようにツンとした態度でそっぽを向く。ツェーンもかなり本気でひっかいたらしく、痛々しいひっかき傷はあちこちにある。それもようやくかさぶたになって治りつつあるが、やはり傷が残らないようにと俺は手間をかけつつ手当した。
ゼロの身体にはツェーンにつけられたものだけではなく、傭兵時代に負った治らない古傷が多くあり、痛くないと本人の口からききつつも、見るもむごい傷跡ばかりが目に入った。いつもはこんなにまじまじと見ないため、こうして素面の時見ると、目をそむけたくなる。だが、それもしっかり見ることがゼロと向き合う上では必要になってくることだと俺はわかっていた。
(というか、ゼロってかなりのツンデレだよな)
この間のこともそうだが、最近デレ……と思われる言動をとるようになってきたが、依然としてツンの多い野郎だった。野郎に、ツンデレというのも似合わない話なのだが、ゼロはツンデレ属性なのだと思う。本人に言っても理解されないだろうし、意味を訪ねられたら面倒なので言わないが。
「かわいげっつーか、もっと、そうだな。素直になってほしいっていうのが本音?」
「何故、疑問形なんだ。素直だろ、これでも。前よりかは」
「いや、そうなんだけどさあ……」
「何が不満なんだ、主は」
と、ゼロは嫌そうに俺を見て唸る。また、犬っぽいところが出ているな、と思いながら、俺はもう一度ため息をついた。
歩み寄ってくれるだけでもモーマンタイなのに、これ以上求めるのはさすがに強欲すぎると俺は首を横に振る。そんなふうに、ゼロの手当てをし立ち上がろうとしたときコンコンと部屋がノックされた。誰だろうと思っていると、老執事が俺の名前を呼んでいた。立ち上がって扉を開ければ、老執事が深々とお辞儀をする。
「えーと、何の用で……?」
「お坊ちゃん、お忙しいところ失礼しますが、今年の狩猟大会について確認したいことが数点」
「狩猟大会……?」
老執事は驚いたように細い目を瞬かせて俺を見た。
変なことを言っただろうかと自分で首をかしげているうちに、俺は思い出してああ! と叫んでしまった。後ろに控えていたゼロも、老執事も肩をビクッと上下させた。
(ああ、思い出した。狩猟大会な!)
主人公たちにちょっかいをかけないと宣言してからすでに一か月以上は経っている。このまま、関わることがなければいいと願っていたが、そう簡単にはいってくれないのが現実だった。
狩猟大会――それは、この小説の中で大きなイベントだった。
この狩猟大会で本来であればラーシェ・クライゼルは主人公であるネルケにちょっかいをかける。そして、襲おうとするが失敗し、動物に追われる羽目に。それでも意地とプライドを見せて狩猟大会は二位で終わる……のだが、一位はもちろん王太子で何も手に入らなかったとさらに、ネルケへの執着と王太子ジークへの劣等感を募らせることになる。悪役に落ちていくイベント、いわば分岐点だった。
(まあ、俺は物語通りいってやらねえけど……)
現時点でネルケには興味がないし、前世では実弟だ。そんな弟に発情するわけがない。だが、王太子に狩猟大会でまた負かされるかもしれない、というの確実にあって……
「狩猟大会までには、公爵様が戻ってこられるようなので。それまでにいくつか確認をと」
「ああ、助かるかも」
「それと、ゼロ様の装備も一緒に新調しようかと思っていまして」
ちらりと老執事はゼロを見る。まさか、名前が挙がるとは思ってもいなかったのか、ゼロはターコイズブルーの瞳を丸くしていた。
まあ、俺が参加するんだし、ゼロも参加するのは必然である。護衛が狩った獲物がそのまま主人の手柄になるわけではないのだが、連れていくことは別に違反ではない。
老執事の持っていた資料に一通り目を通し、どこにどんな予算が使われているかチェックした後、問題ないと彼に返す。
ゼロも新しい服と武器を新調してもらえることになったので、あの日買えなかったものを買ってやれると、なんだか俺は嬉しくなった。老執事は、「では当日までくれぐれも風邪をひかないようにお過ごしください」と、また確認することがあったら来る有無を伝えて出ていった。あの年であれだけ仕事が早い人はまずいないだろう。クライゼル公爵が見つけてきて雇った老執事だが、本当に何から何まで公爵家のことをしてくれている気がする。俺は感謝の気持ちを心の中で伝えた後、くるりとゼロのほうを見た。
「狩猟大会」
「何だ主、その眼は」
「いやあ~ちょっと楽しみかもって思って」
「…………去年暴れたこと、忘れていないか?」
「きょ、去年は去年だし、はは……」
実際、ゼロはその場にいなかったのですべてを知っているわけでもない。だが、風の噂でそんなふうに伝わっているのであれば、それは相当、俺の評判が悪いということ。
去年の狩猟大会では、ジークに勝とうとずるをしようとした。他の参加者たちにだって細工して、前夜祭で暴れた。とにかく暴れて、ちょっかいをかけて、それはもう悪魔のような振る舞いをして公爵に叱られたのだ。公爵家の恥になるようなことはするなとこっぴどく。だから今年は謹慎かと思ったのだが、どうやら参加できるらしい。まあ、物語のことを考えれば、謹慎になるわけがないのだが、あまりネルケたちに会いたくないということもあって参加しなくてもいいなら、いいと……それでもよかったのに。
だが、単純に狩猟大会を楽しみたいという気持ちもあったので正直浮かれているのもまた事実だった。
ゼロにくぎを刺されなければ。
「今は、心配ないにしても、主を警戒している人間は多いだろう。怒りを買っている可能性もある」
「わかってるよ。言われなくても」
せっかくの気分が台無しだ、と俺が下を向けば、気を使ってかゼロはすかさず「違う」と訂正した。
「去年の大会で怒りを買っているだろうから、俺から離れるなと言っている。恨んでいる人間は、何をするかわからない。何かあってからでは遅いだろ?」
「……っ、そ、だけど。お前、過保護っつうか。その、ツンデレっぽいのやめろよ」
「ツンデレってなんだ。それに、過保護じゃない。護衛として当然だろう」
ゼロはそう言って、何を当たり前なと胸を張る。
ゼロはもともとが騎士ではないので、傭兵の延長線上で護衛をやっている。だから、騎士の誇りとかはたぶんない。だが、その精神は騎士に近くて、誠実で、主人のことを大切にしている。
善意は善意として受け取っておくべきだろう。
「ありがとう、ゼロ。なんだか心強いな!」
「当たり前だ。俺が狩猟大会に出られれば、きっと俺が優勝をかっさらっただろうな」
「ははは……かも、しれねえ」
なんだかんだ言ってゼロも本当は楽しみなんじゃないかと思った。こういう祭りごとが好きなのか、それとも狩猟大会というものが気に入っているのか。どっちでもよかったが、ゼロがいれば何かあったとき安全だろう、と俺は少しだけ気が緩む。
それに、ゼロのいう通り、ゼロや屋敷の人たちとはそれなりに関係を構築しなおせているが、他の貴族とはそうはいかない。くらいが低いと低俗な嫌がらせをした貴族だっているし、変に付きまとってしまった令嬢だっているわけで。俺のことを嫌っている人間は星の数ほどいるだろう。その中にいく、ということはまた俺は孤独と軽蔑の目を向けられるわけで。
少しだけ体が震えた気がした。自分の行いがそのままかえってきているだけなのに。それでも人から嫌われることがこんなにも怖いことなんて思ってもいなかった。
「それで、ツェーンは……」
「あいつは留守番に決まっているだろう! 何人もつれていく理由がない。それに、獣が獣を狩るっておかしいだろ」
「いや、狩猟大会……いや、狩りって本来ならそういう。まあ、連れていくつもりはなかったんだけど」
「……そうか」
「早とちりすぎ。どんんだけ嫌いなんだよ」
よほど、ツェーンのことが嫌いらしい。知っていたが、名前を出すだけでもこう食いついてくると思わなかった。もとから、連れていくつもりはなかったので、そのことを伝えると、ほっとしたようにゼロは胸をなでおろした。
「いいよ。お前だけで護衛は十分」
「当たり前だろ、主。俺がいれば、主一人守ること、たやすい」
「はいはい、そーだな。ゼロはすごいな」
そんなゼロの少し垂れた頭を背伸びして撫でながら、俺は当日、こいつがポメにならないことを祈ることしかできなかった。