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Smile
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春が訪れようとしていた。
研究施設の中庭にも、小さな花が咲き始める。
朔水が施設へ来てから半年が過ぎていた。
以前はほとんど話さなかった少年は、今では研究室を元気よく歩き回るようになっていた。
「父さん!」
朝一番。
研究室の扉が開くなり、小さな足音が響く。
博士は思わず笑みを浮かべた。
「おはよう、朔水。」
「おはよう!」
誰もいない時間だけ。
この部屋だけ。
ここでは博士は”父さん”でいられた。
朔水は博士の膝へ飛び乗る。
「今日は何するの?」
「午前中は勉強だ。」
「午後は?」
「約束していただろう。」
博士は机の引き出しから一冊の絵本を取り出した。
『海のぼうけん』
青い海を泳ぐ魚たちが描かれた絵本だった。
「わあ……!」
朔水の目が輝く。
「続き!」
「約束は守る。」
博士は朔水を膝に乗せたまま、本を開く。
穏やかな声で読み聞かせを始める。
「昔々、青い海には――」
朔水は博士の白衣を握りながら、夢中で耳を傾けていた。
その時間だけは、研究施設ではなく、どこにでもいる親子だった。
昼過ぎ。
ノックの音が響く。
コンコン。
「失礼します。」
若い研究員が部屋へ入ってきた。
「先生、理事長がお呼びです。」
博士は表情を引き締める。
「分かった。」
研究員の視線が朔水へ向く。
「その子も、もうずいぶん元気ですね。」
「……ああ。」
「実験候補としては年齢もちょうど良い頃です。」
その言葉に、博士の表情が固まる。
朔水は意味が分からず首を傾げていた。
「……話は後だ。」
博士は短く言う。
研究員は頭を下げて部屋を出て行った。
扉が閉まる。
部屋には重い沈黙が流れた。
理事会の会議室。
長い机を囲む理事たち。
一人が資料を机へ置く。
「保護児童・朔水。」
「身体能力、免疫力ともに良好。」
「適性あり。」
博士は嫌な予感がした。
「何の適性です。」
理事長は淡々と答える。
「次世代融合実験。」
「……。」
「先生の研究成果を実用段階へ進めます。」
博士は立ち上がった。
「待ってください。」
「まだ子どもです。」
「身体が耐えられません。」
理事長は冷たく笑う。
「先生。」
「あなたが一番分かっているでしょう。」
「成功すれば、人類の未来が変わる。」
「失敗すれば?」
「その時は仕方ありません。」
博士は拳を強く握る。
「却下します。」
「私の息子です。」
部屋が静まり返る。
理事長がゆっくり眼鏡を外した。
「……今、何と言いましたか。」
博士は気づく。
言ってはいけない言葉だった。
「先生。」
理事長の声が低くなる。
「あの子はあなたの息子ではありません。」
「施設が保護した実験候補です。」
「忘れないでいただきたい。」
博士は何も言えなかった。
その夜。
研究室には誰もいなかった。
博士は机へ突っ伏していた。
「……息子。」
小さく呟く。
「違う。」
「朔水は私の息子だ。」
誰に否定されても、それだけは変わらない。
引き出しを開ける。
そこには朔水が描いた似顔絵が入っていた。
大きな白衣の大人。
その隣には小さな子ども。
上には、幼い字で書かれている。
『とうさんとぼく』
博士は絵を胸へ抱き寄せる。
「……ありがとう。」
涙が一滴、紙へ落ちた。
「父親らしいことを何一つしてやれない。」
「遊園地にも。」
「学校にも。」
「友達も作ってやれない。」
「せめて……。」
「せめて、お前だけは守りたかった。」
静かな研究室で、一人泣き続ける。
翌日。
朔水は中庭で遊んでいた。
博士は後ろから近づく。
「何をしている。」
「四つ葉!」
朔水は嬉しそうに葉っぱを差し出した。
「父さんにあげる!」
博士は目を丸くする。
「どうして私に?」
「絵本に書いてあった。」
「幸せになるんでしょ?」
「だから父さんが幸せになるように!」
博士は受け取った四つ葉を見つめる。
その小さな願いが胸に刺さる。
「……ありがとう。」
朔水はにこにこ笑う。
「ずっと一緒にいようね!」
その言葉を聞いた瞬間、博士の笑顔が止まった。
“ずっと”は叶えられない。
理事会は必ず朔水を実験へ使う。
止められる保証はない。
それでも博士は笑った。
「……ああ。」
「できる限り、一緒にいる。」
それは優しい嘘だった。
朔水を安心させるための嘘。
そして、自分自身に言い聞かせるための嘘でもあった。
その日から博士は密かに動き始める。
研究データを調べ、理事会の計画を探り、朔水を守る方法を探し続けた。
しかし、運命はあまりにも残酷だった。
理事会はすでに、新たな被験体番号を用意していた。
No.0124
その番号が、まだ何も知らずに笑う朔水へ与えられる日が、静かに近づいていた。
コメント
1件
ああ、もうこれ……胸がぎゅっとなるわ……。博士が「父さん」って呼ばれて笑顔になるところと、四つ葉を渡す朔水の無邪気な笑顔がめちゃくちゃ対照的で、読んでて切なくなった。「優しい嘘」ってタイトルが刺さりすぎる。ずっと一緒にいたいのに、それを叶えられないって分かってる博士の覚悟が泣ける。この先どうなるんだろう……朔水を守り抜いてほしいよ😢