コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「おいで、馨」
私はゆっくりと歩み寄り、昊輝の腕の中で立ち止まった。広げられた両腕が、私の背中で交差する。
「愛してたよ、ずっと」
「う……ん」
私も、愛してた——。
どうして、昊輝を受け入れられないのだろう。
どうして、この優しい腕の中で安らげないのだろう。
どうして、雄大さんじゃなきゃダメなんだろう……。
「ありがとう、昊輝」
「うん」
昊輝の腕に再び力が込められた時、ドアがノックされた。
コンコン
私と昊輝は顔を見合わせた。
「ルームサービスとか……?」
私は首を振る。
「じゃあ——」
コンコン
「馨」
ドア越しに聞こえた声に、ビクンッと身体が跳ねた。
それは、昊輝にもわかった。
私を抱く腕に、力がこもる。
「なんで……」
なんで、雄大さんが——。
コンコン
「馨、開けてくれ」
昊輝が身体の向きを変え、私は咄嗟に彼の腕にしがみついた。
「開け……ないで……」と、小声で言う。
コンコン
「開けないなら、大泣きするぞ!」
その瞬間、昊輝が吹き出した。
「プッ……クッ……アハハハハ……!」
「ちょ——、昊輝!」
「泣くとか……子供かよ」と言いながら、ドアを開けた。
「下手な脅しより、効果ありますね」
昊輝が雄大さんに言った。
「形振り構ってられないんでね」と言って、雄大さんが部屋に入ってくる。
二週間ぶりの、雄大さん。
元気な姿の、雄大さん。
彼の姿が、涙で微かに揺れる。
「でしょうね。俺をつけるくらいだ」
二人が初対面ではなさそうなことを、不思議に思った。
「じゃな、馨」と、昊輝が振り返って言った。
「最後の願いは槇田さん《この人》が使っちゃったから、お前のはナシだ。だから、これで、本当にさよならだ」
「え?」
「お前の泣き顔なんて、久し振りに見たな」
状況が掴めず、ただ立ちすくむ私に、昊輝が言った。少し、寂しそうに。
「俺と別れた時も泣かなかったのに、な」
「昊輝……」
「幸せになれ、馨!」
「ご心配なく! 馨は俺が幸せにします」と、雄大さん。
昊輝はフンッと鼻で笑うと、もう一度手の甲で口を押えた。
「馨、こいつにも噛みついてやれ」
「はあ?」
「昊輝!」
「はははっ! じゃあな!」
昊輝は後ろ手に手を振って、出て行った。
パタンと、ドアが閉まる音が部屋に響く。
「どうして——」
「ここがわかったかって? 黛が逮捕されたから、帰国するだろうと思って空港と高津を張ってた」
「は——?」
張ってた……って——。
「結納金の額が減ったのは、お前のせいだからな」
雄大さんがゆっくりと近づく。
「で? 噛みつくって、なに?」
雄大さんが一歩近づくと、私が一歩後退る。
「え?」
「さっき高津が言ってたろ」
「別に——」
雄大さんが怒っているのは、わかる。
「あいつに触らせたのか」
勝手に婚約を解消した。
「雄大さんには関係——」
勝手に家を出た。
「馨!」
だけど——。
「もう、雄大さんには関係ない!」
これ以上、雄大さんを危険な目に合わせたくなかった——。
「ふざけるな!」
腕を掴まれ、容赦なくベッドに叩きつけられた。雄大さんが私に圧し掛かる。
「どれだけ心配したと思ってんだ!」
思わず、ベッドの上で身体を丸めた。
雄大さんが怒るのを見るのは初めてじゃない。だけど、ここまで、私に怒りをぶつけたことはない。
「俺はっ! 婚約解消なんて認めてないからな!!」
悲鳴のように、聞こえた。
私は、横を向いてじっとしていた。目の前には、雄大さんの手。
「高津と寝たのか」
首を振るだけの事なのに、しなかった。
誤解されたままの方が、いい。
「馨!」
「……寝た……」
軽蔑されても、憎まれても、構わない。
「昊輝と、寝たわ……」
それで、雄大さんを自由にしてあげられるのなら、いい。
雄大さんを守りたい————。
「嘘が下手だな」
目の前の手が私の顎を掴み、引き寄せた。
二週間ぶりの、キス。
夢にまで見た、温もり。
力いっぱい押し付けられて痛いくらいの、キス。なのに、やっぱり優しい、キス。
目が眩みそうな、愛する人《雄大さん》のキス。
その感触に酔いそうになった。けれど、唇を開く前に醒めた。
受け入れちゃ、ダメ——!
私は雄大さんの肩を叩いて、顔をそむけた。
「暴れんな。傷が痛む」
「なら、こんなこと——」
「愛してる」
時間が、止まったのかと思った。
自分の呼吸の音も、鼓動の音も、聞こえない。
無音の世界で、雄大さんの言葉が木霊する。
「愛してる」
ついに、幻聴が聞こえたのかもしれない。
離れている間、あんまり雄大さんを想っていたから、いざ本人を目の前にして都合のいい言葉が聞こえただけかもしれない。
きっと、そうだ。
それでも、たとえ幻聴でも、嬉しかった。
涙がこめかみを伝い、シーツに滴る。
一滴、二滴……。
雄大さんの唇が、涙を掬う。
「もう一度……言って」
雄大さんが、クスッと笑った。
「次は、お前の番だろ」
拒み方を、忘れてしまった。
頭ではダメだとわかっているのに、身体が受け入れてしまう。
雄大さんのキスに唇を開き、シャツのボタンを外されながら、彼のシャツのボタンを外す。
雄大さんのキスが唇から顎へ、顎から鎖骨へ、鎖骨から胸へと下りていく。
「馨……」