「ティア、次はどれがいい?」
優しくグレンシスから尋ねられたが、ティアは首を横に振った。
「ごちそうさまでした」
グレンシスにもたれていた身体を起こすと、ティアはぎこちない笑みを浮かべて、丁寧に頭を下げる。
その仕草は、揺れ動く気持ちを隠すかのようだった。
「おい、まだ──」
「あの……皆さん、ありがとうございました」
何か言いかけたグレンシスを遮るように、ティアは身体を捻って、木の根元に腰かけていた騎士達に声をかけた。
それにムッとしたグレンシスは、躊躇することなくティアの顎を掴んで自分の方に向かせた。
「もういらないのか?」
「はい。お腹いっぱいで……って、な、な、な……何を!何するんですか!?」
ティアは、非難の声を上げた。ほぼほぼ悲鳴に近かった。
少し離れた場所にいる騎士達も、同じように非難の目を向ける。その相手はティアではなく、グレンシスだ。
「あのぉ……恐れながら……。ロハン隊長、さすがに妙齢の女性の腹を触るのは、いかがなものかと」
あまりの出来事に硬直してしまったティアの代わりにバルータが物申せば、トルシスとカイルも、うんうんと強く頷き援護する。
反対に、部下から非難を受けたグレンシスは、不満げに眉間に皺を寄せた。
「そう言うな。こいつが嘘をついていないか確認しただけだし……それに」
「に?」
「に?」
「に?」
勿体ぶって言葉を止めたグレンシスに、部下の騎士達は同時に続きを促した。
眉間の皺を消したグレンシスは、ニヤリと、とても意地の悪い笑みを浮かべる。
「俺は、服を無理やり剥いだわけじゃないんだ。別に腹を撫でるくらい、どうということではないだろう?」
グレンシスの部下達は、その言葉にげっと声を出した。なんてことを口にしてくれるんだと、違う種類の非難の目をグレンシスに向けた。
実は3年前のあの事件の後、彼らは意識が戻ったグレンシスから、その時の様子を詳しく話せと迫られ、ついペロッと喋ってしまったのだ。
グレンシスの服を脱がしたことを内緒にしてくれと、ティアに懇願されたのに。
白状しなければどうなるかわかるのか?と、殺気ムンムンに迫られた挙句の自白の強要だったし、そんな理由で死にたくはなかったし……そんな、わが身可愛さで喋ってしまったことは忍耐が足りなかったとは思う。
……とはいえ、どうしてこのタイミングで言ってくれるのだろう。
「ロハン隊長、女性のお腹に触れるのと、男性のそれとは次元が違うと思います」
カイルに反論されたが、グレンシスは涼し気だ。しかも意地の悪いことに、ここで視線をティアに向ける。
「と、部下が言っているが、お前はどう思う?ティア」
「……っ」
そんなことを聞かれても、困る。
動揺し過ぎたティアの大きな翡翠色の瞳は、今にも泣きださんばかりに潤んでいる。
「ん?どうした?ティア」
グレンシスは、労りに満ちた口調でそうティアに問いかけるが、その肩は小刻みに震えていた。
つい先日、ティアが涙を流したときには、あれほど狼狽えたというのに。
「内緒にしてってお願いしたのにっ」
悲痛なティアの言葉に、騎士達はすぐにあらぬ方向に視線を泳がす。
その顔には「やべえ」とありありと書かれていた。
自分の恥ずかしさといたたまれなさで唇を噛んだティアは、3年前のあの場所にいた騎士達の顔を必死に思い出そうとする。けれど、意識の無いイケメンの顔しか思い出せない。
その記憶の追跡は、間違った行為だった。なにせ思い出すのは、グレンシスだけ。
あの時の彼の隆々とした胸板とか、陽に焼けたきめの細かい肌とか──
「違う、あのっ、そうじゃないんですっ」
「何がだ?」
ティアが腕を必死に掴んで訴えてくると、グレンシスはくすりと笑いながら続きを促した。
「……えっと……そ、そのぉ……何て言いますか……」
「ティア、ちゃんと答えろ」
エリート騎士ならではの威圧的な追及をかわすことなど、できるわけがない。
「あれは、応急処置をするためだったんです。それに、あんな深い傷を治すのは、生まれて初めてだったので、ちゃんと治っているか心配で、つい……」
「なるほど。だから、俺の服を許可なく、むしり取ったというわけか?」
「なっ」
ティアは絶句した。
服を脱がしてしまったことは、バレてしまったので仕方がない。
けれど今、往生際悪く一生懸命に言葉を紡いでいるのは、ただ一つ。グレンシスに痴女だと思われたくないから。
それなのに、ティアの気持ちをあざ笑うかのように、グレンシスはゆったりとした笑みを浮かべた。
「なぁ、ティア。俺の裸はどうだったか?」
「!!!!」
信じられない言葉が、グレンシスの形の良い唇から紡がれる。
ティアは本気で魂が飛び出しそうになってしまった。
「本当に、ごめんなさい。もうしません、絶対にっ。だからこれ以上は、どうか勘弁してください!!」
ティアは全力で、グレンシスに縋りついた。
ついさっきまで、エリート騎士に触れるなんて。などと謙虚な態度でいたことなんて、遥か彼方に吹き飛んでいる。
一人ひっそりと思い出すだけでも、恥ずかしさでいたたまれなくなるというのに。
当の本人から露骨にそんなことを聞かれるなんて、いっそ罵倒された方がまだマシだった。
グレンシスの両腕を掴んでいたティアの手がプルプルと震える。
「いーやっ、またやってくれてもいいんだぞ──……って、すまないっ」
「う、ううっ……ひっく、うっうっ」
とうとう顔を覆って泣き出したティアに、流石にグレンシスは狼狽えた。そして、あやすように背を撫で始める。
「すまない、少し……からかいすぎてしまったな。悪かった。許してくれ」
「う、ううっ……うっうっ、うわぁぁぁん」
形勢逆転したはずなのに、ティアの涙はいつまで経っても止まらなかった。
──ピチチッ……チチッ……。
ティアを慰めるかのように、ケヤキの木の枝から可愛らしい小鳥のさえずりが聞こえてくる。
恥ずかしさと動揺で火照ってしまったティアの身体を冷やすように、さわさわと心地よい風が吹き抜ける。
空は相変わらず澄み渡る青空で……それを見上げながら騎士達は、同時にこう思った。
ああ……隊長、なんて残念なことを口にするんですかぁ。と。








