テラーノベル
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翌朝
カーテンの隙間から差し込む柔らかな光が、俺のまぶたを優しく叩く。
遠くから聞こえてくる鳥のさえずりと、微かな衣擦れの音。
それらが心地よいリズムとなって、俺の意識をゆっくりと深い眠りの底から浮上させた。
「ん……」
小さく漏れた自分の声で、ようやく視界がクリアになる。
ぼんやりとした意識の中で真っ先に目に飛び込んできたのは
鏡の前ですでにスーツを整え、髪をセットしている尊さんの後ろ姿だった。
朝日を浴びて、凛と伸びた背中。
迷いのない手つきでネクタイを締めるその姿は、昨日と変わらず頼もしく、どこか近寄り難いほどの気品を纏っている。
(もう起きてたんだ、尊さん……)
昨夜の記憶が断片的に蘇る。
確か、ひどい悪夢を見て途中で目を覚まして……。
不安でたまらなくて尊さんにしがみついたまま、いつの間にか眠りにおちてしまったはずだ。
一体、いつの間に腕の中から抜け出したんだろう。
そんな申し訳なさと愛おしさが混ざったような思考を巡らせていると、気配を察したのか尊さんが鏡越しにこちらを振り返った。
「おはよう。起きたか」
「あ…っ、おはようございます……!」
慌てて身体を起こそうとするが、寝起きの身体はまだどこかふわふわとしていて力が入らない。
尊さんはそんな俺を見て、口角をわずかに上げて小さく笑った。
ベッドの傍らまで歩み寄ってくると、大きな掌が俺の乱れた髪をそっと梳く。
「それより恋、お前夜中に……なんか唸ってたが、大丈夫なのか?」
「え? う、唸ってた……?」
「あぁ。よほど酷い夢でも見ていたのか、魘されているようだったが……体調でも悪いのか?」
心配そうに覗き込んでくるその瞳が、俺の心の奥を見透かそうとしている気がして、思わず視線を逸らしてしまった。
本当は、あの悪夢のことを話すべきなのかもしれない。
けれど、言葉にしてしまえばあの恐怖が現実のものとして定着してしまうような気がして、どうしても口が動かなかった。
「い、いえ! なんでもないんです、体調は全然大丈夫なので……!」
嘘をついている自分に、じわりと罪悪感が込み上げる。
尊さんは俺の頬にそっと指を添え、顔色を確かめるようにじっと見つめていたが、やがて短く息を吐いた。
「顔色は悪くなさそうだがな。……あまり無理はするな。とりあえず顔を洗って着替えてこい」
「は、はい!」
俺は逃げるようにベッドを抜け出し、洗面所へと向かった。
数日後
それから数日が過ぎた、雲一つない晴天の土曜日。
俺たちは、以前から俺が気になっていたカフェに足を運んでいた。
「んん! おいひい~……」
目の前に運ばれてきたのは、宝石のように輝く新作のチョコレートパフェ。
一口運ぶごとに、濃厚な甘さとカカオの香りが口いっぱいに広がり、これまでの緊張が溶けていくような心地がした。
「相変わらずだな、お前は」
向かい側に座る尊さんは、少し呆れたような、それでいて穏やかな眼差しで俺を見ている。
彼はシンプルにチーズケーキを一口食べると、ブラックコーヒーでそれをゆっくりと流し込んだ。
「あはっ……なんか、すみません。つい、はしゃいじゃって……」
「なんで謝るんだよ」
「いや、いつも尊さんにお願いを聞いてもらってばかりな気がして。……今日だって、俺のわがままに付き合わせて、無理させてるんじゃないかなって」
スプーンを止めて顔を上げると、尊さんは少し意外そうな表情をしたあと、さらりとこう言った。
「言っとくが、お前とならどこでも息抜きになる。……それだけだ」
「……!」
あまりにも自然に、あまりにも「尊さんらしい」言葉選びで。
その一言が、俺の胸の中にあった不安を綺麗に拭い去ってくれる。
「それより恋……今日の服も似合ってるな」
「えっ! ほ、ほんとですか?! これ、新しいやつで…尊さんに見せたくて着てきたので、嬉しいです……!」
「ふっ……そうか」
ふわりと柔らかく微笑む彼に、心臓が大きく跳ねる。
その優しさに、今はただ甘えていたい。……けれど。
(やっぱり、何かが違う……)
最近の尊さんには、時折、言葉にできない違和感があった。
ふとした瞬間に遠くを見るような目。
誰かを警戒しているような、僅かな肩の強張り。
気の所為だと思いたいけれど
その「違和感」は美味しいパフェを食べている今この瞬間も、心の隅で小さな棘のように刺さっていた。
「恋? どうした、こっちをジッと見て」
「えっ? あっ、いえ! なんでもなくて」
俺は誤魔化すように、パフェのトッピングを差し出した。
◆◇◆◇
「ふう……満腹です!」
会計を済ませて一歩外へ出ると、初夏の強い陽射しが眩しく照りつけていた。
前を歩く尊さんの後ろ姿は、相変わらず凛としていて格好いい。
今日の澄んだ青空のようなブルーのシャツが、彼の肌の色によく映えていた。
その時、ふと尊さんがズボンのポケットから取り出したスマートフォンに目が留まった。
「あれ、尊さん……もしかしてスマホ変えました? 前は、白っぽいiPhone使ってましたよね?」
「ああ、これか」
尊さんは少し足を止め、手に持った黒い端末を見つめた。
「この間、酷い雨に降られてホテルに泊まったことがあっただろ。あの時、気付かぬうちに水が入って故障しててな。つい昨日買い替えたばかりなんだ」
「そ、そうだったんですか。災難でしたね……」
「まあな」
どこか他人事のように話す彼を見て、俺は「大変でしたね」と笑いかけ、別の話題を振ることにした。
「そういえば! この前おすすめしたホラー映画の『ジャンキーズ』、1と2見てくれたって言ってましたよね。どうでした?」
「ああ……。はっきり言って、死ぬほどつまらなかった」
「うっ……! で、でも、3《スリー》は意外と見れるんですよ! 監督が変わって演出も凝ってますし。せっかくですから、今度映画館に見に行きましょうよ!」
「遠慮させてもらう。一人で行ってこい」
「え~……! あ、でも、なんだかんだ言いながら、結局付いてきてくれるのが尊さんですよね?」
「いや、今回は本気でパスだ」
「そ、そんなぁ……!」
軽口を叩き合いながら歩く、穏やかな時間。
けれど、その平穏は突然の電子音によって切り裂かれた。
「ん……電話か」
尊さんが再びポケットからスマホを取り出す。
その瞬間──彼の顔が、凍りついたように強張った。
(……?)
画面を見つめる彼の瞳から光が消え、鋭く、険しいものへと変わる。
唇は一筋の線のようにきつく結ばれ、握りしめた拳には白くなるほど力がこもっていた。
しかし、尊さんは通話ボタンを押すことなく、そのままスマホをポケットに押し戻した。
「……出ないんですか?」
コメント
1件
尊さん、本気でパスするの面白い!! ガチ笑ちゃった(*´艸`)フフフッ♡