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テラーノベルの小説コンテスト 第3回テノコン 2024年7月1日〜9月30日まで
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こんにちは

早速どうぞ



“過去の話”です

これは、”フィクション”です←重要

個人が”妄想”で考えました←重要

真に受けないで下さい

死ネタあります

(連合国達は、死んでいません

周りの親などが亡くなっています)

“仏国と中国”の過去です


大丈夫の方はどうぞ






















仏国の過去


母親が有名な画家で

色んな作品を出しては

優勝を取っていました


幼い頃から、母親のイラストが

好きだった仏国は何時しか自分も

母親の様な画家になりたいと

思う様に、なりました


6歳の頃にイラストを描き始めましたが

出来上がった作品はとても

初心者が描いたイラストとは

思えない程に素晴らしい

イラストで周りの大人達を驚かせました


その後、母親からの勧めで

自分も、作品を出し優勝を

掴みました


周りからの人達は、

仏国に注目し親も仏国の才能に

嬉しがり期待がどんどん膨らんで

いきました


仏国は、応援されているのが

嬉しく思い沢山のイラストを

描きました


ですが、中にはその才能に

嫉妬する者も居ました


ある日、

公園で景色のイラストを

描いていた際、

一人の女の子に話し掛けられました


女の子は

『イラストを見せて欲しい』と

言われ、仏国は自分のイラストを

見せてしまいました


その後、度々女の子から

イラストを見せて欲しいと言われ

話をしている内に友達の関係に

なりました


仏国は、此処まで相談出来る

相手が居なかった為

毎日が楽しい日々を送りました


ですが、たまにイラストを

無くして仕舞う事がありました


どの作品も女の子と遊んでいた

日に無くしていました


仏国は、

少し女の子が、盗んでいる?

と疑ってしまいましたが

友達を疑うのは良くないと思い

証拠も無いので、そのままにして

しまいました


事件が起きたのは

その翌年のコンサートでした


何時もの様に

イラストを応募しようとしたら

作品の採点を決める関係者から

『同じイラストを見た事がある』と

言われました


仏国は、最初は似た様な

イラストで被ってしまったのかな?

と思いましたが

被ったイラストを見て驚愕しました


余りにも、似すぎているの度を超え

そのイラストは、自分が描いた

イラストその物でした


仏国は、関係者達に

『このイラストは、誰が描いたの!?』

そう聞いて回りました


関係者達からは、

聞き覚えのある名前が言われました


その名前は、

かつての友人だと思っていた

名前でした


仏国は、嘘だと思いましたが

女の子を問い詰めた結果

『私が、やったわ?何か文句でもある?』(笑)

あっさりと白状しました


仏国は、どうして、何で?と

その言葉で、頭が一杯でした


女の子は

『女がイラストを描くのは

珍しい物では、無いけれど、

男がイラストを描くなんて可笑しい物』

次々と口を開けばその言葉ばかり

発言しました


仏国は、

何かが壊れそうな音がしました


その後、周りからあれは

自分が描いたイラストだと

言いましたが、既に女の子が

周りの人達に何か言ったのであろう

全員が口を揃えて

『お前が、イラストをパクった』


仏国は、両親に

こういう時は

どうすれば良いか聞きましたが

いきなり、父親にほっぺを叩かれました


そして父親からは、

『人のイラストをパクるとは何事だ!?』

母親からは

『貴方が、そんな子だと思わなかった!!』

二人で、仏国の話を聞かず

女の子の話を優先しました


二人が問い詰めてくる中

仏国は、

『あ〜……………もう良いや…………』

我慢の限界が来た仏国は

その日に家出しようと

決意しました


その日の晩に

家出をし、何処か遠い所を歩き

森の中に入っていくと

男の子が居るのを見かけました


男の子が此方に気付き

話し掛けてくれました


男の子は

『英国と言います』ニコ

そう自己紹介し

仏国も自己紹介をしました


英国は

『早く、帰らないとお父さん達が

心配するのでは、無いでしょうか?』と

発言しました


仏国は、

親と言うワードを聞いた後

暫く、黙ってしまいましたが

その後、英国から

『………………………私の家に来ます?』と

言われ、付いて行く事にしました










仏国の過去は、こんな感じです











その後、英国の家にお邪魔させて

貰った後、

住む家などを紹介されました


あの発言をした後は、

両親の話や理由等は、聞いてきませんでした


数ヶ月後

女の子の作品が、全てパクリだと

騒動になったそうですが

興味が無かった仏国は

『ふ〜ん』で終わりました


仏国が大人になった時、

両親が交通事故で亡くなったとの

知らせを聞きましたが、

葬式には出ませんでした














中国の過去


中国の生まれた家は

お金が無く貧しい家でした


なので、中国が生まれた後、

親は

『面倒見れる訳が無い!』と

生まれた、直後に捨てられました


川の近くに捨てられましたが

散歩中のお爺さんが来て

『何じゃ!?赤ん坊が

こんな場所に居るんあるか!?』と

直ぐに自分の家に連れて行ってくれました


その後、

お爺さんと中国は

二人で暮らす様になりました


中国は最初の頃、

お爺さんから、

『お前さんの両親は

病気で亡くなったんある……………』と

言われ、

中国は

『あっ、そうなんだ』と思いました


両親が居なくても

お爺さんとの生活はとても楽しい日々でした


その時に中国は一回

『何で、お婆さんが居ないんだ?』と

考えましたが、余り深く考えてたら

キリが無いと思い、考えるのを

辞めました


中国は昔から好きな事に対しては、

調べたりしたり、学んだり

努力が好きでした

なので、人一倍努力をしてきました


ある日、何時もどうりに

遊んでいると道端に男の子が

居るのを見ました


中国は

『何で、こんな所に一人で居るんだ?』と

思い、話し掛けて、見ました


男の子は最初は、

驚いていましたが暫くして

『さ、散歩で此処に来たの………………』と

言いました


中国は少し考えた後、

『……………嫌じゃ無かったら、我と一緒に

遊ばないか?』と言いました


男の子は、『良いの?』と

不安げな顔をしましたが

中国は『勿論いいぜ!』と

力強く言いました


そこから

二人は良く遊ぶようになりました


後から、男の子の名前は

『ソ連』と言いました


ソ連と中国は良く、二人で遊ぶ

仲にまでいき

暇な時は必ず一緒に居ると言う

関係になりました


ソ連は

『僕は、ちょと体に悪い病気がいるから

入院してるんだ……………だから

余り、体力は無いけど

喋る事は出来るよ』と言われました


なので、鬼ごっこや隠れんぼ等はせず

一緒にお喋りをして遊びました


毎日、来れるのは難しいので

実際にソ連の通う病院に、行き

そこで、折り紙やお絵描き等をしました


たまに、ソ連のお父さんが

来てくれて、お土産にお菓子等を

くれる事も有ります


お母さんは今まで、一度も見かけた事が

ありませんでした


後から分かったのは

ソ連は貴族の人達の息子な為、

良く貴族の写真や食べ物等を持って

来てくれたりしてくれました


ソ連のお父さんを見た際

初めは、余りにも強いお父さんを

見て、驚いてしまいました


ですが、暫く経った時

ソ連の様子に違和感を持つ様になりました


妙にソワソワしたり

落ち着きが無い様に感じました


中国は『どうしたんだ?』と

聞きましたが

ソ連は、『な、何でも無い…………』と

発言しました


中国は

『絶対何か、合ったある………………』と

思い

お爺さんに相談してみました


すると

『……………………………余り深く言わないで

おいた方がいいある………

心配なら、その子が元気になる様な

プレゼントをしてあげたら

いいある』と言われ

何か、元気付けるプレゼントは

無いかなと考えました


そして、考えた結果帽子をプレゼント

しようと思い、帽子をプレゼントしました


ソ連はとても喜び

『ありがとう、大事にするね』ニコ

これにより、二人の仲はますます

良くなりました


そこから、暫く経ったある日

ソ連から機械で作った船を

プレゼントされました


ソ連は『始めて作ったから

下手かも知れないけど受け取って貰えたら

嬉しいな』ニコ

と言われました


普通なら、嬉しいと思うのですが

何故か”それが”嬉しいと思えません

でした


ソ連が作ってくれた

船の機械は、初心者が作ったとは

思えない程に良く出来ていました


そう、中国が作れない位に


それを作れるソ連が少しだけ

羨ましく思う様になりました


そこから、もっと努力しようと

しましたが段々と他人と比べる様になり

焦りが見えていきました


子供の時は、無邪気に楽しんでいた

事も大人になって行くに連れ

楽しむよりも”完璧”さを求める様に

なりました


ある日、ソ連からまた機械の

船を持って来て

『また、作って見たんだ

どうかな?』と

中国はそこでまた”自分が欲しくて

たまらない”才能を前に

妬ましいと言う感情が出てしまい

ソ連と初めて喧嘩をして

しまいました


喧嘩をしたまま、家に帰ると

お爺さんから

『何時も、より早いがどうしたんあるか?』と

言われ、ソ連と喧嘩をしてしまった

事を話しました


お爺さんは

『そうか……………他の人が羨ましく

思う様になってしまったんあるのか…………

…………中国はこのままソ連と

遊ばなくて良いんあるか?』


中国はその質問に対して

『…………………それは、嫌ある…………』と

発言しました


お爺さんは

『なら、明日でも良いからきちんと

仲直りをしないとな』ニコと

言われました


中国は『うん………………』と

罪悪感が出て来て明日には

謝ろうと思いました


ですが、明日になり

何時もの川の近くに行きましたが

ソ連はいませんでした


中国は

『まだ、怒っているのかな?………』と

思い、ソ連の病院に、行きました


そこで、お医者さんから

『………………ソ連君の体の常態が昨日の夜から

悪化しているんだ……もしかしたら………』と

発言されました


中国はそこで、初めて

友達を、失う不安や恐怖に陥り

ました


ですが、手術は無事に成功し

その後、直ぐに謝り仲直りをしました


数十年が経ち

今では、ソ連の手術も成功した為、

二人で思いっきり遊ぶ事も出来る為、

連合国の仲では一番仲が良いと言われました


中国のお爺さんは

間もなく、寿命で亡くなり

お墓参りにもソ連は来てくれました


ソ連のお父さんも亡くなったと

知らせを聞いた時は、

中国も一緒にお墓参りに行きました















此処まで読んで頂き有り難う御座います

おまけもあるので見たい方はどうぞ






















ソ連のお母さんの事に付いては

子供ながら、余り触れてはいけない

気がしたので

触れないようにしました


ソ連もソ連のお父さんも

お母さんに付いて言われ無い為

特に何も言いませんでした


二人がプレゼントしあった

帽子は、ソ連が付けており

中国は、機械の船は部屋に大事に

飾っています


中国の『〜〜ある』や『我〜〜』の

口癖はお爺さんが

良く喋っていた為、移ってしまいました


因みにソ連と中国が初めて会った

年齢は8歳です


中国は昔から、何となく察しが

良い為、余り触れてはいけない事に

付いては触れない様にしていました

















此処まで読んで頂き本当に有り難う御座います

米国の過去や英国の過去、凄く

狂ってる感じになりそうです…………

次は、ソ連と米国と英国の過去を載せます

それでは、さようなら













































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