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第196話:卒業式前日。1兆円の資金がもたらす花輪の山
十勝の長く過酷だった冬が終わり、雪解けのぬかるみが春の匂いを運んでくる三月の半ば。
限界集落にポツンと建つ小さな高校は、明日に控えた『卒業式』の準備に向けて、どこか寂しくも温かい、独特の静寂と緊張感に包まれていた。
全校生徒を合わせても数十人という小規模な学校である。
明日の主役となる卒業生もごくわずかであり、小春ちゃんもまた、その少ない卒業生の中の一人だった。
本来であれば、地元の保護者たちと在校生が手作りの装飾で静かに送り出す、ささやかで感動的な式典になるはずだった。
だが、この世界一バグった限界集落において、平穏無事なイベントなど物理的に存在しない。
卒業式の前日となる今日の昼下がり。
小春ちゃんが明日の予行演習を終えて校舎から出てきたその時、十勝の青空を切り裂くような凄まじい重低音が響き渡った。
ゴゴゴゴゴゴゴォォォォォッ!!!
「え……? な、何この地鳴り……地震!?」
校庭にいた生徒たちと先生たちが一斉に空を見上げた。
しかし、音の震源地は空ではなかった。学校へと続く一本道の方角から、土煙を上げて接近してくる『異常なもの』の群れがあったのだ。
それは、すべて真っ白なボディに統一された、超大型の特注冷蔵輸送トラックの車列であった。
一台や二台ではない。見渡す限りの地平線の果てまで、数百台に及ぶトラックの列が、限界集落の小さな学校を目指して怒涛の進軍を開始していたのである。
そしてその様子は、小春ちゃんのスマホを通じて、五千万人のリスナーが接続する【日常チャンネル】の生配信カメラによって全世界へと中継されていた。
ピコーン! ピコーン! ピコーン! ピコーン!
チャット欄が、人類史上見たこともない速度で、極彩色のスーパーチャットによって埋め尽くされていく。
『(ドバイの石油王からの¥50,000MeTubeギフト)無限連発』
『”Koharu!! Congratulations on your graduation tomorrow! I have bought up all the highest-grade Phalaenopsis orchids in the world! I will bury your schoolyard in absolute beauty! I am investing 300 billion yen for this floral tribute!“(小春!! 明日の卒業おめでとう! 世界中の最高級胡蝶蘭をすべて買い占めたぞ! 君の校庭を絶対的な美で埋め尽くしてやろう! この献花のために三千億円を投資する!)』
『(スイスの銀行家からの¥50,000MeTubeギフト)無限連発』
『”A graduation is a supreme milestone! I cannot allow Dubai to monopolize this event! I have secured all the legendary Blue Roses in Europe! I am bidding 300 billion yen!“(卒業とは至高のマイルストーンだ! ドバイにこのイベントを独占させるわけにはいかない! ヨーロッパ中の伝説的な青いバラをすべて確保した! 私も三千億円を提示するぞ!)』
『(ハリウッド女優シャーロットからの$5,000MeTubeギフト)無限連発』
『”Oh my god!! Koharu, my cute sister! I chartered a fleet of trucks to deliver millions of rainbow roses! I’m sending 400 billion yen! Make your school the Palace of Versailles!“(なんてこと!! 私の可愛い妹の小春! 数百万本のレインボーローズを届けるためにトラックの艦隊をチャーターしたわ! 四千億円を送るわよ! あなたの学校をベルサイユ宮殿にしなさい!)』
総額にして、驚異の『一兆円』。
世界の経済を裏で操る超弩級VIPたちが、小春ちゃんの卒業を祝うためだけに世界の生花市場を完全に破壊し、限界集落の高校へとそのすべての質量を送り込んできたのだ。
トラックの荷台が次々と開き、黒服のプロ集団が無言の連携で校庭に花輪を設置していく。
数分後。
そこにあったはずの土の校庭は完全に消滅していた。
視界を埋め尽くすのは、一本数十万円は下らない超高級な胡蝶蘭、遺伝子工学の結晶である青いバラ、そしてハリウッドから空輸された七色のレインボーローズ。
数千個、いや数万個に及ぶ超特大の『高級スタンド花』が、学校の敷地をベルサイユ宮殿の庭園すら凌駕する狂気の植物園へと変貌させてしまったのである。
「あ……あわわわ……っ」
校舎から様子を見に出てきた教頭先生が、その信じられない光景を前に膝から崩れ落ちた。
「ひ、一兆円の花輪……? わ、我が校の年間予算の……何万倍……? はうっ!」
教頭先生は白目を剥き、そのまま胡蝶蘭の山の中に顔を突っ込んで完全に気絶した。
『うわあああああああ!!! 校庭が花輪で完全に埋まったぁぁぁ!!!』
『教頭先生が花の海で溺れて気絶したぞwww』
『1兆円のスタンド花とかスケールがバグりすぎて脳が理解できないww』
『小春ちゃんの卒業式、完全に国家元首レベルの式典になってて草ww』
世界中の視聴者がこの狂気の卒業祝いに大爆笑し、ネットワークが限界を迎えているその頃。
俺――アキヤは、学校の正門前、胡蝶蘭のジャングルの陰に展開したマイ陣地(折りたたみ椅子)に腰掛け、ストイックにタッパーのフタを開けていた。
中に入っているのは、完璧な水加減でストイックに炊き上げられた『桜塩の玄米おにぎり』と、自家製の『大豆ミートの梅肉和え』である。
俺は、世界中の富豪たちの絶叫と、気絶して運ばれていく教頭先生を横目に、一切の感情を排した元・社畜の無表情で、大豆ミートを玄米おにぎりの中に押し込み、淡々と咀嚼し始めた。
バリッ、ゴリッ、モグモグ……。
(……ふむ。春の訪れを感じさせる桜塩のミネラルと、大豆ミートの力強い植物性タンパク質。さらに梅肉のクエン酸が、極度のカオス空間における脳の疲労を回復し、自律神経を極限まで研ぎ澄ます究極の兵站食だな)
己の肉体という名のロジスティクスを完璧に維持しながら、俺は水筒の熱いほうじ茶で喉を潤すと、五千万人を突破して世界の生花市場の相場を完全に破壊し尽くしているカメラと、目の前で呆然としている小春ちゃんにキリッとした真顔を向けた。
いつもの『限界言い訳タイム』の発動である。
「小春ちゃん、明日の式典に向けた防衛陣地の構築ご苦労。そして画面の向こうで、ただの植生配置に巨額の資本を投下して卒業祝いだと騒いでいる皆さまも、全員冷静になってください」
『出たァァァァァ!!!』
『1兆円の胡蝶蘭のジャングルを前にしても絶対にブレない男!!!』
『主の限界言い訳タイム・1兆円の卒業祝い完全スルー編ww』
『さあ、この完全にバグったベルサイユ宮殿をどうやって需品科の業務にするつもりだww』
俺は淀みない口調で、極めてフラットに言い放った。
「これは豪華な卒業祝いでも、感動的なサプライズでもありません。彼らが手配したこの大量の植物群は、春一番の強風から校舎という名のインフラを物理的に保護するための、極めて合理的な『高密度バイオマス防風林』の展開プロセスに過ぎません。VIPたちは、我が陣地の専属アシスタントとなる小春ちゃんの安全を確保するため、防風林の調達と設置工事を外部の資本(一兆円)によってアウトソーシングしたのです。胡蝶蘭や青いバラが選ばれたのも、単に空気抵抗を最適に分散させるフラクタル構造を持った葉の形状が、流体力学的に優れていたからに他なりません。ええ、すべては巨大資本による無駄遣いなどではなく、冷徹な『インフラ防衛プロトコル』と『環境適応型のバリケード構築』ですね。私が梅肉和えを噛み締めているのも、過剰な花の香りで嗅覚が麻痺するのを防ぎ、前線での生存本能を維持するための、需品科としての徹底した『対NBC(核・生物・化学)防護訓練』です」
「んなわけあるかあああ!!!」
ドゴォォォォォンッ!!!!
背後から、コンクリートの壁を叩き割ったような凄まじい破砕音が響き渡った。
小春ちゃんが、明日の卒業式のために学校から配られていた『特厚・卒業記念アルバム(高密度レザー装丁・超重量仕様、重量約五キロ)』を両手で大上段に構え、俺の頭頂部に向かってパーフェクトなフルスイングを見舞ったのだ。
五キロの硬質な鈍器が肉体に直撃した、大地を揺るがすような恐ろしい大爆音が、十勝の春の空へと虚しく響き渡る。
「ただのバイオマス防風林で、青いバラやレインボーローズを世界中から買い占めるバカがどこにいるんですか!! どう見たって、明日卒業する私をお祝いしようとして、金銭感覚のバグったおじさんとお姉さんが暴走して札束で殴り合ってるだけでしょうが!! 教頭先生が泡吹いて倒れてるのに、冷たい流体力学とかバリケード構築とかいうお役所言葉で粉砕するんじゃないわよ!!」
『小春ちゃんのキレキレ特厚アルバムスマッシュ炸裂www(音が完全に攻城兵器ww)』
『高密度バイオマス防風林(ただの1兆円分の超高級スタンド花)』
『流体力学的に優れたフラクタル構造(限界オタクたちの狂った推し活)』
『適応力バグおじさん、ついに1兆円の卒業祝いをインフラ防衛バリケードに分類しやがったww』
『言い訳が理不尽すぎて、卒業のエモい空気が一瞬でへし折られたわww今日も最高!!』
俺の理不尽極まりない軍事的な限界言い訳と、小春ちゃんの容赦ない卒業アルバムツッコミに、五千万人の視聴者たちは感動の涙から一転、大爆笑の渦へと叩き落とされた。
スマホの画面越しに、古民家で留守番をしている純白の神獣シロ様が、呆れたようにオッドアイの瞳を細めて「ミャウ(相変わらず分厚い本で叩かれても直らない鈍感下僕ね)」と喉を鳴らしているのが見えた。
限界集落を包み込むほどの花の匂いを、同じく留守番中の巨大ヒグマも「グゥ〜♪」と楽しそうに嗅いでいる。
どんなに莫大な金が動こうとも、彼らにとっては、このカオスで賑やかな日常こそが最高の宝物なのだ。
「……まぁ、理由はどうあれ。我が陣地の最重要防衛拠点(学校)が完璧な植物性バリケードで保護され、明日の式典に向けたロジスティクスが完全な形で維持されたのなら、作戦としては完全勝利だ」
俺はアルバムの凄まじい衝撃で痺れた頭をさすりながら苦笑し、春の風を感じながら、タッパーの玄米おにぎりと大豆ミートをゆっくりと噛み締めた。
激務に潰されて逃げ込んできた、この限界集落。
最初は一人で静かに暮らすための隠れ家(シェルター)だったはずが、今では世界一美しいオッドアイの神獣と、一兆円の花輪を投げてくる大富豪たち、そして特厚の卒業アルバムを振りかぶる専属アシスタントに囲まれた、世界一バグっていて温かい『絶対の聖域』になってしまった。
神獣の魅せる圧倒的な尊さと、元需品科のブレない大豆ミート咀嚼、および防風林の限界屁理屈。
春の足音が響き渡る卒業式前日は、鈍器のようなアルバムの快音と大爆笑に包まれながら、さらに強固になった絆と共に、明日の本番という名の未来へ向かって、どこまでも力強く走り出していくのだった。
コメント
1件
わあ、196話、読み終えました……! もう卒業式前日だってのに、一兆円の花輪の山が校庭を埋め尽くすって、この世界観ほんとにバグってますね(笑)。でもその中でアキヤさんが相変わらず「バイオマス防風林」とか言いながら玄米おにぎりを咀嚼してる姿に、逆に感動すら覚えました。小春ちゃんの特厚アルバムツッコミも爽快で、教頭先生が気絶するシーンは声出して笑っちゃいました。それでも、シロ様やヒグマがいる日常が「温かい聖域」になってるって一文が沁みます。明日の卒業式、どうなるんだろう……楽しみです🌸
ゆうき あきや
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#心理描写重視