テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ふとんがふっとんだ
*.꒰ঌ𝕐𝕦𝕚𝕜𝕒໒꒱.*
207
*.꒰ঌ𝕐𝕦𝕚𝕜𝕒໒꒱.*
235
雪が降っていた。
夜の街を、白い雪が音もなく覆っていく。
吐く息は白く、街灯の灯りだけが薄暗い路地を照らしていた。
その道を、一人の青年が歩いていた。
白衣の上から黒いコートを羽織り、片手には仕事帰りの鞄。
研究施設に勤める研究者――後に「博士」と呼ばれる男だった。
今日は帰りが遅くなった。
理事会との会議が長引き、気付けば日付が変わろうとしている。
「……寒いな。」
そう呟いた、その時だった。
「……?」
どこからか、小さな物音が聞こえた。
カサッ。
博士は足を止める。
音のする方へ近付くと、古びた段ボール箱が一つ置かれていた。
雪をかぶり、今にも潰れそうになっている。
中を覗き込んだ博士は、思わず息を呑んだ。
「子ども……?」
そこには、小さな男の子がいた。
三歳ほどだろうか。
黒髪は泥で汚れ、頬には乾いた涙の跡が残っている。
服は破れ、腕や足には痣や擦り傷がいくつもあった。
裸足の足先は紫色になり、寒さで小さく震えている。
そして何より、その黒い瞳。
何も映していないような、虚ろな目だった。
泣くことも、助けを求めることもせず、ただ雪が降る空を見つめている。
博士は静かにしゃがみ込む。
「君。」
少年はゆっくり顔を向けた。
視線は合う。
だが、その目には感情がなかった。
「名前は分かるか。」
小さな唇が、かすかに動く。
「……ない。」
「家族は?」
「……いない。」
その返事を聞いた瞬間、博士の胸が締め付けられた。
少年の声には、悲しみすらなかった。
諦めだけが残っていた。
博士は額へそっと触れる。
「熱が高い……。」
身体は驚くほど軽い。
まともに食事をしていないことがすぐに分かった。
このままでは朝まで生きられない。
博士は少年を抱き上げる。
その瞬間、小さな手が白衣をぎゅっと掴んだ。
「……ごめんなさい。」
弱々しい声だった。
「ぼく……じゃま?」
博士は目を見開く。
邪魔。
その年齢の子どもが、そんな言葉を口にするのか。
博士は首を横に振る。
「違う。」
静かな、それでいて優しい声だった。
「君は邪魔なんかじゃない。」
少年は少しだけ目を瞬かせる。
博士は抱き直し、コートで小さな身体を包んだ。
「もう大丈夫だ。」
「……。」
「一緒に帰ろう。」
その言葉を聞いた少年は、安心したように力を抜き、博士の胸の中で眠ってしまった。
研究施設・医療棟。
「先生!」
看護師たちが慌ただしく集まる。
「どうしたんですか、その子は!」
「路地で保護した。」
「すぐ治療を頼む。」
診察が始まる。
低体温症。
重度の栄養失調。
全身打撲。
古い傷跡。
火傷の痕。
看護師の一人が涙ぐむ。
「こんな小さい子に……。」
博士は何も答えなかった。
ただ、眠る少年の小さな手を見つめていた。
傷だらけの手。
それでも博士の白衣を離そうとしない。
「先生。」
助手が小声で尋ねる。
「警察へ連絡を?」
博士はしばらく黙っていた。
やがて静かに首を振る。
「まずは、この子を生かすことが先だ。」
翌朝。
少年はゆっくり目を覚ました。
真っ白な天井。
柔らかな布団。
暖かい部屋。
見たことのない景色だった。
扉が開く。
博士が、お盆を持って入ってきた。
温かなスープだった。
「起きられるか。」
少年はこくりと頷く。
博士はベッドを起こし、スプーンで少しずつスープを飲ませる。
熱すぎないように、何度も息を吹きかけながら。
「……おいしい。」
その一言に、博士は少しだけ笑った。
「それは良かった。」
少年は恐る恐る博士を見上げる。
「あの……。」
「なんだ。」
「どうして。」
「ぼくに、ごはんくれるの?」
博士はその問いに言葉を失った。
当たり前のことが、この子にとっては当たり前ではなかった。
「お腹が空いていただろう。」
「……うん。」
「だからだ。」
それだけだった。
少年は目を潤ませながら、ゆっくりスープを飲み続けた。
数日後。
体調が落ち着いた頃、博士は少年を中庭へ連れて行った。
研究施設の中でも数少ない、空が見える場所だった。
「雪……。」
少年は初めて見るような表情で空を見上げる。
白い雪を小さな手で受け止める。
「冷たい。」
その姿を見た博士は、自然と笑みを浮かべていた。
「君には名前が必要だ。」
少年が振り返る。
「名前?」
「そう。」
博士は少し考え、静かに言った。
「朔水(さくな)。」
「月の始まりを意味する『朔』。」
「そして、どんな形にもなれる『水』。」
「過去に縛られず、新しく生きてほしい。」
少年は何度も口にする。
「……さくな。」
「ぼく。」
「朔水?」
「そうだ。」
博士は優しく頷いた。
「今日から君は、朔水だ。」
その瞬間。
虚ろだった黒い瞳に、ほんのわずかな光が宿る。
「……ありがとう。」
それは博士が初めて聞いた、朔水の心からの笑顔だった。
その笑顔を見た博士は心の中で誓う。
(この子だけは、私が守る。)
その誓いが、いつか自分自身を最も苦しめることになるとも知らずに――。
コメント
1件
みぅだよ🤍🥀 読み終えた……。雪の夜に捨てられてた小さな子を、博士が拾って、名前をくれた話。一章にして、もう心臓がぎゅってなったよ。 「ぼく、じゃま?」って聞くところとか、おいしいって言った時の博士の笑顔とか……。特に「過去に縛られず、新しく生きてほしい」って朔水って名付けたところ、すごく綺麗で、泣きそうになった。 この子、絶対に幸せになってほしいな。次も読みたい🌙