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チャンスの指に顎を軽く支えられたまま、
エリオットは息を浅く吐いた。
(……やば)
心の中で、小さく呟く。
(今日、調子悪い)
視線を逸らしたいのに逸らせない。
逃げたいわけじゃないのに、逃げ場がない。
(完全に、向こうのペースだ)
さっきからずっと。
カジノでもそうだった。
勝ってるはずなのに、主導権は取れなかった。
帰り道。
手の甲にキスされて、
“姫”なんて呼ばれて。
家に来てからも――
(……手、縛られて)
自分の手首に巻かれたネクタイを、わずかに動かす。
(お姫様抱っこまでされて)
思い出した瞬間、また少しだけ顔が熱くなる。
(何やってんだよ、ほんと)
小さく自嘲する。
普段なら、もっと軽くかわしてるはずなのに。
今日は違う。
(……なんで)
ちらっとチャンスを見る。
余裕の顔。
崩れない距離。
(崩せてない)
いつもなら、煽って、揺らして、
相手のペースを崩すのは自分の方なのに。
(全部、読まれてるみたいだ)
さっきの言葉が、ふと浮かぶ。
――“降りる勇気だ”
カジノで、チャンスが言っていた言葉。
(……降りる、勇気)
一瞬、思考が止まる。
(それって)
ゆっくり、息を吐く。
(今も、同じ?)
勝ち続けることじゃなくて、
引くタイミングを見極めること。
(このまま行ったら)
多分、負ける。
完全に。
この空気のままじゃ。
(……なら)
ほんの少しだけ、力を抜く。
抵抗するんじゃなくて、
張り合うんじゃなくて。
(引く?)
でも、それは――
(負けるってことじゃない)
考えが、静かに切り替わる。
(タイミングを変えるだけ)
チャンスの言葉を、なぞるみたいに。
(降りる勇気、ね)
エリオットはほんの少しだけ目を細めた。
さっきまでの焦りが、わずかに引いていく。
その代わりに――
いつもの、にこっとした笑みが戻る。
(……じゃあ)
小さく息を吐く。
(ここで一回、降りるか)
その選択が、次の一手になる。
そう思った瞬間。
エリオットの中で、何かが静かに整った。