テラーノベル
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オフィスに響くエアコンの駆動音だけが、深夜の静寂を際立たせていた。
私は、小宮さんから聞いた柊渡という男の名前と、断片的な情報を頼りに、署内のデータベースを密かに遡っていた。
「……あった」
画面に映し出されたのは、二年前の未解決事件の記録。
被害者は、当時二十五歳だった女性。職業、看護師。
状況は凄惨だった。自宅マンションで友人と過ごしていた時、何者かに鈍器で殴られた。その上、薬物を打たれて死亡。第一発見者は、当時の交際相手――。
そこには、今より少しだけ表情のあった柊さんの写真が添えられていた。詐欺師時代のものなのか、高級そうなスーツで誰かと話しているシーンだ。架空の儲け話でもしているのだろうか。
彼はどうやらあの日から、止まった時間の中に生きているようだ。
記録によれば、事件から数ヶ月後、彼はそれまでの詐欺行為をすべて自供する形で自首した。しかし、彼の知能と人脈、そして人間の嘘を見抜く異常な才覚を差し出す条件として、一つの「取引」を持ちかけたのだという。
彼の犯した罪の執行猶予期間中の五年間、警察への全面的な捜査協力。そして婚約者殺害事件の捜査進捗を、隠さず自分に共有すること。
彼は正義のために警察にいるのではない。嘘を暴くための刃として自分を研ぎ澄ませながら、飼い犬のふりをして、犯人の喉元に食らいつく機会を伺っているのだ。
「……だから、二課にも行くのか」
私は独り言を漏らした。彼は本質的に詐欺師だ。知能犯を相手にする捜査二課にとって、彼の知識と経験は喉から手が出るほど欲しいものだろう。今日の朝に二課の刑事が彼と少し話したのち、どこかに消えていった。ここ数日同じような場面を何度か見ている。
背後に人の気配を感じ、私は慌てて画面を閉じた。
「南さん、柊はどこだ?」
振り返ると、二課の刑事、近藤さんが立っていた。一課の刑事たちとは違う、隙のない、どこか事務的で冷徹な空気を纏った男。
「柊さんなら、今は外出中ですが……」
「そうか。困ったな。至急、あいつに目を通してもらいたい案件があるんだ」
近藤さんは、私の階級など眼中にないといった様子で、苛立ちを隠さずに舌打ちをした。
「太陽光パネルの共同所有権を謳った投資詐欺だ。合同会社のスキームを使われていて立件が難しいんだ。主犯の経営者がなかなかの曲者でね」
柊さんを便利な道具としてしか見ていない、その物言いに胸がざわつく。私は少しだけ彼らを牽制するように、受話器を手に取った。
「呼び出します。すぐに戻るよう伝えますから」
コール音は、三回目で途切れた。
『やあ、事件かい?』
受話器越しに聞こえてきたのは、相変わらず飄々とした、けれどどこか疲れを孕んだ声だった。
「柊さん。二課の近藤さんが来ています。投資詐欺の件で、至急戻ってきてほしいそうです」
『投資詐欺? ああ、合同会社スキームの件か。証拠集めは専門外なんだが。分かったよ、すぐに戻る』
柊さんはそう言うと、不意に声を低くした。
『……南さん。君、僕の古いファイルを読み終えた頃だろう?』
心臓が跳ねた。見られていたわけでもないのに、彼はすべてを見透かしている。
「……待っています。柊さん」
私はそれだけを言って、電話を切った。
しばらくして、冷たい廊下の向こうから、聞き覚えのある足音が近づいてきた。
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