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『ん……。あっ——……』
艶やかな唇から漏れる甘い吐息。
「馨……」
馨は耳が弱い。
抱きしめて、耳朶を舐めただけで、身体を熱くする。
「馨……」
『雄大……さ……』
ツンと勃ち上がった乳首を親指の腹で揺らすと、馨が身を捩った。耳朶から首筋を通って鎖骨に唇を這わすと、彼女の身体が少し強張る。唇の行方に期待を込めて。
舌の先端をゆっくりと胸の膨らみに滑らせ、頂の少し手前で迷子になってみる。白く柔らかい肌に赤い足跡を残し、再び歩みを進める。
『あ……』
大きく舐め上げると、馨が仰け反り、声を漏らした。
『は……っ』
胸から腰を掌で撫でると、馨の方から身体を寄せてきた。そのまま、馨が圧し掛かり、俺は仰向けに身体を転がした。
『雄大さん……』
頬を赤らめ、涙を浮かべて俺の名を呼ぶ馨は、この上なくエロティック。
俺がしたように、馨が俺の耳朶を咥え、舐め、囁く。
『雄大さん…………』
彼女の掌に上半身を撫で回され、下半身がいきり立つ。
馨の唇が首筋から鎖骨に下りていき、同時に掌が上半身から下半身へと昇っていく。
「馨……」
『雄大さん……』
全身に馨の温もりを感じる。
「馨……」
真綿に包まれているような心地良さと、安心感。
『雄大さん……』
煩わしいことの全てを忘れて、馨に伝えたい。
「愛してるよ……」
上司だとか共犯者だとか、黛だとか桜だとか、どうでもいい。
「愛してる……」
俺が馨と結婚したい理由は、単純なたった一つ。
「愛してる」
馨が顔を上げて、俺の唇にそっと口づけた。
『私も……愛してる』
赤く色づいた頬を伝う一筋の涙が輝いて、とても美しかった。
『愛してるわ』
死んでもいい。
本気でそう思った。
だからこそ、目覚めたことを悔やんだ。
馨を抱いた記憶は麻酔が見せた夢だった。
重い瞼の向こうで俺を呼ぶ声がして、仕方なく眠りから覚めた。
「雄大!」
俺を呼んでいたのは姉さんだった。
血走った赤い目をして、俺を見ている。
「雄大!」
姉さんの声が頭に響く。
「うるせ……」
『うるさいとは何よ!』と怒るかと思ったのに、なぜか姉さんは泣き出した。
「良か——った……」
姉さんが俺の視界から消え、代わりに目の前が真っ白になった。
数秒眺めて、それが天井だとわかった。
どこだ……?
次の瞬間、激しい腹痛に襲われた。
痛みの箇所を探したいのに、手が動かない。足も。身体が動かない。
かろうじて、首を少し傾けることが出来た。
どうやら俺はベッドに寝ていて、横には泣きじゃくる姉さん。
病院……?
自分が病院らしき場所にいる理由と、腹痛の原因を考えたいのに、頭が重く集中できない。息も苦しい。
「なん……で……」
喉が渇いて、うまく発声できない。
思いきり空気を吸い込んでみたけれど、腹部の痛みが増しただけだった。
「槇田さん、私の声が聞こえますか?」
声と共に視界に割り込んできたのは、俺と同じくらいの年齢の男性。白衣を着ているから、医師だとわかった。
「指が何本かわかりますか?」
ドラマでよく聞く台詞。
医師は俺の目の前に手を出し、人差し指を立てた。
「い……っぽ……ん」
「これは?」と言って、今度は親指だけを引っ込めた。
「よん……」
「では、どうして病院に運ばれたか、憶えていますか?」
病院に『運ばれた』……?
『俺が……悪いんじゃないからな』
突然、声が聞こえた。
『あんたが悪いんだ……』
男は自分に言い聞かせるように呟いていた。何度も。
『黛の指示か』
俺はゆっくりと身体中に広がる痛みに耐えながら言った。
『黛に言われたのか。俺を殺せと——』
思い出した——!
日曜の夕方。
俺は馨の待つ家に急いでいた。
停職中に溜まった仕事を片付け、出張からの帰り道。
フラフラと歩いていた痩せ細った男とすれ違う瞬間、行く手を阻まれた。男が腰を丸めて、俺の懐に飛び込んできた。
最初は、男がよろけただけだと思った。
けれど、男は俺から離れようとせず、それどころか俺を押し倒す勢いで身体を密着させた。
その理由は、すぐにわかった。
息苦しくなり、下半身に力が入らなくなった。
立っているのがやっと。
そして、足元にぬるりと生温かく湿った感触。
ようやく、自分が刺され、溢れ出た血液が足を伝っていることがわかった。
男は傷口に話しかけるように、ぶつぶつと呟いていた。
俺は男の髪の毛を思いっきり引っ張って、身体から引き離した。
同時に腹部に刺さっていた何かも、引き抜かれた。
男には見覚えがあった。
俺と春日野の写真を撮った男。
見るからに不健康な青白い肌に、こけた頬。薄気味悪い笑み。
そのまま俺は道に倒れ込んだ。
意識が遠のく中、ジャケットのポケットからスマホを取り出し、パスコードを入力した。ホーム画面下の受話器のマークをタップし、発着信履歴から馨の名前を探した。
けれど、電話をかけた相手は姉さんだった。
「姉さん。あれを————」
伝えたかったことを伝えられたのかまでは、記憶にない。
「腹部を刺されたことは憶えていますか?」
医師の言葉で回想から現実に引き戻された。
「は……い」
水が欲しい。
口の中がべたついて、上手く話せない。
「それはいつのことかわかりますか?」
「日曜……日」
医師は顔を上げた。また、視界は天井で満たされる。
「手を握れますか?」
掌に何かが押し付けられ、俺はそれが何かも考えられないまま、握りしめた。
「足の指を曲げられますか?」
言われた瞬間、爪先が寒くなった。
布団をまくられたらしい。
先ほど同様、俺は言われるがままに足の爪先に力を込めた。
「精密検査の必要はありますが、視力も意識も問題ないようです。後遺症の心配もないでしょう」
「ありがとうございます」
姉さんが震える声で言った。
次に俺の視界に侵入してきたのは、看護師。四十代後半くらいだろうか。手慣れた動きで俺の腕から伸びている細いチューブのつまみに、注射器を差し込む。
「もう少し眠ってください」
急激な眠気に襲われ、俺は慌てて口を開いたが、舌がもつれて上手く発声できなかった。
「か……お——」
馨は無事か——?
次に目覚めた時は真っ先に聞かなければと思いながら、瞼を閉じた。