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36 ◇邪推かもしれない
正義は由香と付き合っていた頃、一度祖父の家のことを聞いたことがあり
朧気に場所を把握していた。
駅近で大きな柿の木があると聞いていたため、電車に乗り散策がてら歩き探せば
なんとかなるだろうと思い、記憶を辿る。
すぐにその家を見つけた。
帰りは由香が乗ってきている車で帰るつもりだった。
柿の木を眺めながら家に着くと、りっぱな瓦屋根の付いた門扉が、玄関から少し
離れて立ちはだかっていた。
格子造りで、中の様子が垣間見える。
引き戸に手を掛け、声をかけようかどうしようかと迷ったが、子供たちがいて妻が
いるというシチュエーションに、自分の家に足を踏み入れるような感覚に陥り、気が
つくと小さな声でこんにちはと呟いただけだった。
そっと庭の様子を見ると門扉に近いところで、息子たち[13才と11才]が庭で
水を撒いて戯れていた。
それを横目に引き戸をゆるゆると開け、足を1歩踏み入れたところで、正義は
ぎょっとした。
視線を奥の庭の方に向けると……
妻の話していた遠縁の若者が佇んでいるのが見えた。
何を見ているのか?
その視線の先に目をやると――――
ゴロンと畳に寝転がっている妻を見ていたのである。
庭から続く広縁、そして広縁に続く和室が、門扉からつぶさに見てとれた。
部下に恋した気分でいる正義には分かってしまった。
若者が妻に好意を持っていることが……。
『はて、妻のほうはどうなのだろう?』
正義は急いで門扉から離れた。
息子たちの朗らかな話し声が聞こえてくる。
「美代志くん、見てみて~鳥が来てるよ」
息子たちは交互に若者に話し掛けたり、互いに話し掛けたりと、すっかり
遠縁の若者と打ち解けている様子。
3人は楽し気で賑やかしく、そこには身内だけに漂う暖かい空気感が
感じられた。
正義は思った。
さっきのは自分の見間違いなんだと。
自分が若い部下と親しくしているから、変なことを考えつくのだと
己の邪推を反省した。
……というより、そう思い込むことで心の平安を優先したのだ。
部下とのメールのやり取りが妻に見つかるまでは、妻はいつも
自分のことをやさしい眼差しで見つめていたし、自分の話すことを
熱心に耳を傾け聞いてくれた。
自分のたわいもない話にケラケラと笑っていた。
だがあの日から──
つんつんしたり浮気を疑うような発言や嫌味も言わないが、
何かが変わってしまった。
妻が自分を見つめることはなくなり、自分の話に積極的に耳を傾けることも
なくなった。
部下とは今もLINEをしたり、食事に行ったりしている。
そして、実のところキスもしたことがある。
……が誓って大人の関係にはなっていない。
だけど、浮気じゃないとは言い切れず、実際、会社へ行けば会うわけで
なかなか、今の関係を終わらせることは難しい。
言い訳にすぎないのは重々分かっているが……。
正義は、美代志や家族の様子を見ただけで踵を返し、ひとり侘しく家へ
帰っていった。
予想以外の場面に遭遇し、思っていた以上に驚いたせいで、なんだか
妙に皆の前に出ていけなくなったのだった。