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37 ◇軽やかで美しい踊り
ほどなくして水無月に入り、少しずつ開花のはじまっていた紫陽花が
見ごろになった頃、それとともにこの年の気温は例年になく高温で、暑い
日が続いていた。
由香は、美代志が仕事で留守の時も自分が有給を取って会社を休んだとき
など、時々庭の草花の水やりなどをするため、今は美代志の住まう祖父の家
に行くことがあった。
多忙な事務仕事の合間に少し骨休みしたくなり、久しぶりの有給を取った
由香は、夕方祖父の家へと向かう。
引き戸の門扉を前に、微量の音量を耳が拾い、引き戸に掛けた手を止めた。
庭で何やら動いている人物を発見……。
『誰だろう?』
そう思いつつも、美代志くんしかいないのにと、自分の疑問符を嗤う。
誰だろう? と疑問符を投げかけた相手は美代志で、彼は踊っていた。
素人にしては、リズムの取り方といい、腰や脚さばき、そして手の動きが
素人離れしていた。
ここで自分が声を掛けると、きっと彼は踊りをやめてしまうだろうと思えた。
そのため──
由香はその可憐で美しく、無駄なく次々に変わっていくパフォーマンスを
息を凝らし、見続けた。
この時の美代志の横顔は静謐で厳かな空気を纏っていた。
リピートするようにセットしていたようで、また楽曲がはじまる。
最初から見ていなかった由香は、もう一度彼の軽やかで美しい踊りを夢中で
見続けた。
それが何度目のパフォーマンスなのか、分からなかったが、次はなかった。
美代志が広縁に置いてあるCDプレーヤーを止めてしまったから……。
由香は美代志の後姿を眺めつつ、そっと静かにその場を離れた。
そして家の側に置いておいた車に乗ると、どうかエンジン音で自分がいた
ことに気づかないでくれと願いながら、静かに車を発進させた。