コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「教師って世間知らずだよな」
高校二年の五月。
進路指導が終わった帰り道で俺はボヤいた。
車道側を歩く二人の友人が興味を惹かれた顔をする。
「平野先生っていつも理想的な道徳論まじりに努力すれば夢は叶う、人生は幸せになるためにあるなんて言うけど、いかにも安全圏からの無責任発言て感じだよな」
「それな」
「わかりみ」
鼻で笑う友人二人に、俺は続けた。
「世の中は所詮運と才能、実家の財力とコネで決まるなんてメディアを見てればバカでもわかる。努力に意味はないし正義感を振りかざした奴は馬鹿を見る」
「だよなぁ」
「なのに昨日も偉人の苦労時代をドヤ顔で話しながらオレらも頑張れば、とかな」
俺は強めに同意した。
「そっ、偉人以上に苦労したけど成功していない人だっていっぱいいるだろ?」
「でも葦原、確か誰でも一万時間練習すれば成功できるって前ネットで見たぜ?」
「一万時間の法則だろ? あれ、嘘らしいぜ」
「マジで!? でもあれって実際に成功した人たちの練習時間を計算したら平均一万時間になったってエビデンスあんだろ?」
「平均だろ? つまり一万時間以上かかった人もいるしもっと少ない練習時間で成功した人もいるってことだ」
「あ……」
「それに成功者しか集めていないんだから一万時間以上練習したけど結局プロになれなかった人たちが計算に入っていないだろ? 前提が間違っているんだよ」
「んだよそれぇ~、オレちょっと期待していたんだぜぇ……」
「ご愁傷様」
「オレらが勝ち組なんて夢だよなぁ~」
「夢って言えば昨日金持ちになる夢見たぞ」
「悲しいなおい、そういうオレも彼女ができる夢見たけどな」
「オレより悲しいな」
「なんでだよ!?」
「喧嘩すんなよ……」
仲裁をしつつ、俺も今朝の夢を思い出した。
俺の好きな異世界転移モノの夢。
異世界の俺は知らない人たちと一緒に、知らない人を相手に炎の力で戦っていた。
でも、何故か夢から覚めた時はちっとも楽しくなかった。
そのせいか、自嘲気味に口を曲げた。
「まっ、俺らが勝ち組になろうと思ったらそれこそ異世界転移でもしないと無理だろ。俺なら文明レベル中世止まりの世界はごめんだけどな」
俺のジョークに二人の友人が笑ってくれた。
「それに勝ち組になれたら人生楽しそうだけど有名税の問題もあるし、俺らは賢く消費する側でいようぜ。ちなみにこれ昨日みつけた新人動画配信者なんだけど――」
俺の言葉を遮るようにパトカーが視界に割り込んできてぎょっとした。
歩道に寄せて停車したパトカーから二人の警官が降りてくると二人の友人を通り過ぎて俺に手を伸ばす。
「葦原国仁君だね?」
「君に聞きたいことがある。ちょっと署までご同行願えるかな?」
疑問形のくせに、警官たちは有無を言わさず俺の両脇を持ち上げ、パトカーに押し込んでいく。
「へっ? あの、え? え? え?」
状況を飲み込めず、俺は混乱した。
俺は警察のお世話になるようなことをしただろうか?
信号無視をした、ことはある。
道路のななめ横断をした、ことはある。
夏にコンビニで立ち読みしていたら雑誌に汗が垂れたけど素知らぬ顔で棚に戻した、ことはある。
だが、それを理由に警官がパトカーを走らせるだろうか?
それぐらいあの二人だってやっているだろう。
と、視線を向けると友人たちはぽかんと口を開けつつ、スマホを俺に向けてきた。
撮影していないで助けろよ、いや、相手は警官だけどさ。
これが知らないおじさんなら全力で抵抗するが、相手は国家権力。
俺もどうしていいかわからず、流されるがままに借りてきた猫のようにシートで体を縮めた。
「じゃあ友人君たち、彼は事情を聞いたらすぐに帰すから。君たちは早く家に帰って勉強しなさい」
警官がキビキビと言い含めると、それが合図だったかのようにパトカーは走り出した。
わずかな反動で背中をシートに押し付けられながら振り返った。窓の向こう側で、二人のぽかん顔が小さく遠ざかっていくと、言いようのない不安に襲われた。
いますぐ、あの場に戻りたくて仕方ない。
でも、運転席からの一言が俺の意識を引っ張った。
「異世界転移」
首を前に戻すと、運転席でハンドルを握る黒スーツの女性がミラー越しに、凛とした表情で尋ねてきた。
「この言葉に聞き覚えはないかい?」
俺が顔色を変えたことを肯定と取ったのか、女性はそれ以上は追及してこなかった。
聞き覚えと言うか、今どきの高校生で異世界転移モノを知らない人はいないだろう。
オタクじゃなくても、アニメなんて誰でも見る。
そして劇場化するほどの有名アニメを挙げろと言われれば、子供向けを除けば多くが異世界転移ものだろう。
オ●バ●ロードとか、転生した●スライムだ●た●とか、R●●ゼロから始める異世界生活とか、幼女戦●とか、この素晴らし●世界●祝福をとか。
なんで警察がいきなりラノベの話をしているんだと俺が不思議に思っていると、黒スーツの女性は極めて真剣な顔で口を開いた。
「今、君と同じ境遇の子たちを集めている。詳しい話は署で説明しよう」
――いやなんで警察が異世界作品好きを集めているんだよ!?
黒スーツの女性は仕事をしている感満々だけど、彼女が喋るほどに俺の疑問は加速する。
何か重大なすれ違いが起きているのではと。
犯罪者が乗せられるパトカーの中、左右を知らない警官に挟まれた窮屈なシート、前には謎の女性。
不安が加速する中でひたすら身を硬くしながら、俺は時間が流れるのをただ待ち続けた。
◆
三十分後。
パトカーは都内の警察署内の駐車場で停まった。
警察に扮した誘拐犯、という俺の妄想は杞憂だったらしい。
――まぁ身代金を要求されるような金なんてうちにないしな。
一応はホッと胸を撫で下ろしながら、黒スーツの女性に導かれるがまま、俺は警察署内を歩いた。
何かの相談に来ているのか、警察署内には意外と一般人の姿が多かった。
お年寄りを目にするとつい、「振り込め詐欺の被害にあったのかな?」なんて邪推してしまう。
警官相手に何か怒鳴っているギャル風の女性は、たぶん痴話げんかの相談だろう。うちの馬鹿彼氏を逮捕してくださいとか? どうだろう? よくわからん。
などと俺が妄想をたくましくしていると、やがて一般人の姿が消えた。
廊下ですれ違うのは警察官とわかる人ばかりで、高校の制服姿の俺は目立った。
場違い感が凄くて、他の警察官の視線が刺さるたび、ビクついた。
でも、みんな黒スーツの女性を一瞥してから視線を外した。
そのことから、この女性がそれなりに名の通った人物だと分かる。
「着いた。この部屋に入ってくれ」
とあるドアの横に立つと、黒スーツの女性は凛々しい顔で振り返りながら入室を促した。
ここは警察署内だし、話を信じるならラノベ好きが集まっているはずなのだが、何故か妙な抵抗感があって、俺は動けなかった。
ただのドアなのに、このドアをくぐったが最後、何かが変わってしまうような、何か後戻りできないような気がする。
頭の中で、誰かが「行かないで」と叫んでいる気がする。
そうして俺がまごまごしていると、彼女がドアノブを回し、押し開けた。
「ちょっ」
勝手にバンジー台を外されたように慌てた俺の視界に飛び込んできたのは、なんてことはない、十人程度の男子女子だった。
部屋は会議室然としていて、パイプ椅子に座っているのは俺と同じくらいの中高生。
私服の人も若くて、大学生か専門学校生だろう。
ひとり、ビジネススーツを着た三十歳くらいのおじさんもいた。
異世界作品好き、ラノベ好きを集めたとしたら、まぁ、妥当だろう。
別に鬼や蛇が出るわけでもなく闇の世界が広がっているわけでもない。
妙な肩透かし感と同時に、自分で自分が恥ずかしくなる。
よくよく考えてみれば、警察が捜査のために一般人に事情聴取をすることはあるだろう。
ただ警察に呼ばれて、待合室に連れていかれただけなのに、どうして自分はあんなにも不安だったんだろう。
日常の些細な事柄をいちいち非日常作品の冒頭に結び付けるような思考回路に、俺は厨二病かと自分にツッコんだ。
胸を軽く、足取り軽く、部屋に入った。
これが現実。
ファンタジーはおろか、一般人が何かの事件に深くかかわることもない。
どうせ、被害者か犯人がラノベや異世界アニメ好きで意見を聞きたいとか、事件現場が俺が最近異世界作品を買った本屋の近くだったとかで、話を聞きたいだけだろう。
そう、安堵した直後、誰かが立ち上がり、エネルギッシュな声が通った。
「柊木さん、その人もキカンシャですか?」
声の主は、驚くような美少女だった。
ぱっちりと開いた意志の強そうな大きな瞳に白いおでこを剥き出しにした中分けヘアーは肩口で切りそろえられ、活発そうな印象を受ける。
一見すると細身だが、手足は長く、背筋は真っ直ぐに伸び、華奢というよりもスポーツマンのように洗練され、磨き上げられた印象を受ける。
いかにも、スポーツアイドル全とした少女だ。
けど、それ以上に彼女の発した言葉が気にかかった。
キカンシャ? 機関車? 俺は人間だけど?
「そうだ。彼が今、都内にいる最後の帰還者、葦原国仁だ」
柊木と呼ばれた黒スーツの女性は頷いてから、俺に視線を合わせてきた。
「自己紹介が遅れたな。私は柊木九重。異世界対策組織、公安零課の課長をしている。異世界では魔王と呼ばれる男を逮捕した」
「は?」
大人の、それも警察相手に思わず首をかしげてしまった。
いや、だって考えても見ろよ。
いい歳した大人が、自分は異世界で魔王を逮捕したとか言うんだぜ? 頭おかしいだろ?
「あの、さっきから話が見えないんですけど、キカンシャとか異世界って何ですか?」
「説明が足りなかったかな? 我々は転移、転生、召喚、アバター、いずれにしろ、何かしらの方法で異世界へ行き、そして地球へ帰ってきた者を帰還者と呼んでいるんだ」
――あ~、そういう感じか。うん。
ようするに、これは警察協力のドッキリ番組なのだろう。
ドッキリ企画のターゲットになるなんて最悪でしかない。
放送日翌日、クラスの笑いものになったりおもしろ動画の素材にされるのが目に見えている。
「すいません。これ何かのドッキリですか? 悪いですけど俺テレビとか興味ないんでここカットしてくれます?」
両手でハサミを動かすジェスチャーを見せる俺に、柊木さんは探偵が試案するようにしてあごをひとなでした。
「ふむ、正体を隠したいタイプか、それともカマをかけられていると思っているのか。だが悪いな葦原少年。君と同じように、我々も天界の命を受けここに立っている。全員事情は知っているし、君と同じ当事者だ」
――うわ、今度は天界とか言っているし、引くに引けなくなっているのか? カメラどこだよ?
俺がピンカメラを探して会議室を見回すと、柊木さんがみんなに視線を投げた。
「悪いが皆、彼に見せてやってくれ。君たちのチートを」
――チートって、また雑な言葉を。
心底辟易しながら半目にした次の瞬間、俺のまぶたは限界まで持ち上がった。
十人が立ち上がると、その場が一瞬で非日常へと塗り潰された。
さっきの美少女が、何もない空間から神秘的な輝きを持った剣を抜き放ち、全身には青い光が立ち上った。
他の人も同じだ。
手品師のようにポケット、からではない。
何もない空間から剣を、槍を、弓を取り出し、手足を炎のように揺らめく幻想的な光で覆う。
またある人はかたわらに小さいながらもドラゴンとしか思えない生き物を召喚し、ある人は全身をSF映画に出てきそうなパワードスーツで覆い、ある人は体の一部が動物のように変化し、またある人は、全身がゲームアバターのようなソレに変わっている。
手品でなければCGか?
いや、俺はVRゴーグルをしていない。
立体映像?
ここまで精巧なものを作れるならVR技術なんていらないだろう。
それに空気越しに伝わる熱量、圧力、振動、頭ではなく五感で物理的に理解してしまう。
あれは本物だ。
異次元過ぎる出来事に俺は圧倒されていると、柊木さんが余裕の表情で胸を張った。
「もういいだろう。では葦原少年、自己紹介がてら見せてくれ。あまたの転移者達の中でも数えるほどしかいないSランク帰還者の君が持つ最上級チートを」
まるで別世界への水先案内人のように重々しい雰囲気を讃える柊木さんに息を呑み、俺は呟いた。
「俺、異世界とか行ったことないですけど?」