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及川視点
目が覚めたとき、天井が自分の家じゃないことに気づいて、思わず固まった。
あ、そうか……岩ちゃん家だ。
身体が重い。
泣きすぎたせいか、心の奥までまだヒリヒリしている。
昨晩の涙の余韻が、胸の奥でまだ小さく波打っていた。
「起きたか」
キッチンから岩ちゃんの声。
髪が少しぼさっとしていて、いつもより柔らかい雰囲気だった。
眠そうなのに、ちゃんと俺を見てくれている気がした。
「ごめん…昨日、色々…」
「謝んな。言っただろ」
テーブルには湯気の立つカップが二つ。
インスタントの味噌汁。
それが妙に嬉しかった。
座ると、ふっと肩の力が抜ける。
自分でも驚くくらい、心が静まった。
「……なんか、不思議だね」
「なにがだよ」
「落ち着く…っていうか、こういうの」
岩ちゃんは顔を逸らしたまま、鼻で笑った。
少し恥ずかしそうに見えるその表情が、
何故か心を温めてくれた。
味噌汁を啜ると、身体だけでなく心まで少しずつ温まる。
これが“安心”ってやつなのか、と初めて理解できた気がした。
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その時、スマホがブルッと震えた。
一瞬で心臓が跳ねた。
――母さんだ。
画面を見るだけで、手が冷たくなる。
母さんからの通知はいつも、胸を締めつける。
「出るなよ」
岩ちゃんの声。淡々としているけど、真剣さが滲む。
「……うん」
通知は止まらない。
“今どこにいるの?”
“徹、返事をしなさい”
“すぐ帰ってきなさい”
“どうして黙って出て行ったの?”
心臓がギュッと締め付けられる。
母さんに全部見透かされているみたいで、怖くて動けなかった。
「学校どうする?」
岩ちゃんの声が現実に引き戻す。
「……行く。行かなきゃ、もっと怒られる」
言った瞬間、胸が痛くなる。
嘘じゃない。
でも、本当は行きたくない。
家にも帰りたくない。
でもそれを言ったら、終わってしまう。
岩ちゃんは少し黙って、俺を見ていた。
沈黙が怖くて、視線を逸らす。
嫌われたらどうしよう、いつもの癖が身体を縛る。
でも岩ちゃんは、ただ肩を軽く叩いた。
「じゃあ、行くぞ。ついてやる」
その言葉で、少しだけ力が抜けた。
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学校に着くと、いつもの景色が少し違って見えた。
ざわざわと視線が集まる。
「あれ、及川と岩泉一緒に来た?」
「なんか二人、雰囲気違くね?」
その全部が胸に刺さる。
教室に入ると、松川が立ち上がった。
「なぁ、及川――」
岩ちゃんが前に出て、短く一言。
「今日、そっとしとけ」
まっつんは驚いたけど、それ以上は何も言わなかった。
その沈黙が、逆に心に刺さる。
席につくと、再びスマホが震える。
“徹、迎えに行きます”
背中が冷たくなる。
視界がにじむ。
終わった――そう思った。
でも机の下から誰かの手が伸びた。
岩ちゃんだった。
スマホを伏せて、机に置く。
「大丈夫だ。お前は一人じゃねぇ」
その言葉で、心の奥で押さえ込んでいたものが一気に解放され、
涙が止めどなく流れた。
今まで張っていた“普通”の仮面が、音もなく剥がれ落ちた。
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放課後、部活も終わり、帰りの準備をしていると、岩ちゃんが肩に手を置いた。
「今日は家帰るな。もう少しここにいろ」
その一言で、家に帰る恐怖が一気に軽くなる。
誰かがそばにいるって、こんなに安心できるんだ。
家でも、学校でも、誰の前でも感じたことのない感覚。
“これが、初めて安心できる場所なんだ”
胸にぽっかり空いた穴が、少しずつ埋まっていく気がした。
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