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グレンシスの馬に乗せられ、思わず降りようとするティアのお腹に、太い腕が絡みつく。
「逃げる気か?」
唸り声で問うたのは、しっかりティアを抱き込むグレンシスだ。
「い、いえ……私なんかが騎士様の馬に乗るなんて恐れ多い」
「なら歩くとでも言うのか?冗談でも笑えない。ああ、言っておくが、アジェーリア殿下に逃げようと思っても無駄だぞ。殿下は大層お疲れで、ハンネ卿の屋敷まで一人ゆっくりと休みたいとのことだ。だからティア、諦めろ。俺と一緒に行くんだ」
そう言われてしまえば、ティアには拒否権などない。仮に嫌だと言えば、この森の中に捨てられてしまうだろう。
野犬に齧られたいのかと聞かれたら、嫌だと即答する。好き好んで、猛獣のおやつになんかなりたくない。
だからこのまま移動するしかないのだが、グレンシスはこの旅の責任者で、一番偉い。
騎士社会のことは疎いけれど、こういう場合は、部下の馬に乗せてもらうのが普通なのでは?という疑問がティアの頭にふわんと浮かんだ。
でも、有無を言わせないグレンシスの圧力によってティアは口を閉ざし続けている。
馬車はひどくゆっくりと進んでいる。護衛の騎士達の馬も、必然的に速度が落ちている。
「……なぁ、一度でも傷を癒した人間から触れられると、お前は体調を崩したりするのか?」
ポックリ、ポックリ。
気を紛らわす為に、ティアが馬の蹄の音を意味もなく数えていたら、グレンシスから、そんな問いが降ってきた。
「え?」
それがあまりにトンチンカンなものだったので、ティアは思わず間の抜けた声を出してしまった。気配で、グレンシスがちょっとだけムッとしたのがわかった。
けれど彼の怒りは、それ以上膨らむことはなかった。
「過去にその……なんというか、お前の不思議な術で癒された人間は、お前に触れることが禁忌とされていたりとかするのか?」
「………」
今度の質問はちゃんと理解したが、ティアは無言のままでいた。
なぜなら、2度目の問いには色んな意味を持っていて、迂闊に答えることができなかったのだ。
ティアが過去にグレンシスの傷を癒したこと。
触れるなと言った言葉を覚えてくれていること。
移し身の術を彼なりに理解しようとしていること。
さすが、騎士様。上手な質問の仕方だなぁと、ティアはある意味感心する。けれど問うた側は、無言でいられるのがとても苦痛だったようだ。
「ティア、答えてくれ」
グレンシスの声は苛立ちよりも、焦燥感が強かった。しかも、答えろ。ではなく、答えてくれと言った。
グレンシスは、ティアにお願いする立場ではない。威圧的に返答をもとめても許される。
(なんで、そんな言い方をするの?)
ティアの脳内にまた一つ困惑が追加されてしまったが、グレンシスの圧に負け、重い口を開く。
「そ、そんなことはないです」
「なら、なぜさっき、俺に触れるなと言った?」
「……」
間髪入れずに、グレンシスからそう問われ、再びティアは沈黙してしまう。
だって、好きだから。異常にドキドキしてしまうから。それを知られたくないから……これ以上勘違いしたくないから。
なんていうことを、口が裂けても言えるわけがない。
そんなことを吐露しなければならないなら、今すぐここから飛び降りるであろう。
でも、グレンシスはティアをがっしり抱えている。どう頑張っても、逃亡は不可能だ。
だからティアは嘘ではないけれど、どんなふうにでも取れる狡い言葉で誤魔化した。
「ちょっと、びっくりしただけです」
「なら、俺はお前に触れてもいいんだな?」
「えっ!?」
「よし、いいことにしよう」
勝手に結論付けたグレンシスは、片手でティアの髪に触れる。
今、グレンシスは手袋をしていない。ティアの怪我の応急処置をしてから、ずっと外したままだ。
触れられる部分からグレンシスの手のぬくもりが伝わってきて、ティアの心臓はバックン、バックンと忙しい。
暴れる心臓をぎゅっと押さえて身を縮こますティアを、グレンシスはどんなふうに受け止めているのかわからない。
けれど彼の大きな手は、ティアの髪を撫でたり、指に一房からませたり、手櫛で梳いたりと、好き勝手に弄んでいる。
さんざんティアの髪の感触を楽しんだグレンシスは、一先ず満足したようで、動かす手を止めると、ティアが一番触れて欲しくないことを口にした。
「……3年前、俺を救ってくれたのはお前だったんだな」
「はい」
今更、隠したところで、どうなる。でも、わざわざ口に出さなくても良いのに。
更に強く胸元を握りしめながら、ティアはグレンシスから言われたくない言葉を、先回りして口にする。
「……騎士様は、娼館育ちの私なんかに助けられて、がっかりしましたか?」
「まさか」
「っ……!?」
間髪入れずにそう言われたことのほうが、まさか、だった。
目を丸くするティアに、グレンシスは何も言わない。
しばらく無言で見つめ合う二人だったが、沈黙を破ったのはグレンシスだった。
「ははっ、なんて顔をしてるんだ」
可愛すぎるじゃないか。
間抜け面をしている命の恩人に向かい、グレンシスは低い笑い声をたてた。