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好きな人と同じ馬に跨り、身体を密着させているこの状況。胸がときめかないと言えば嘘になるが、それよりもティアは、グレンシスの一挙一動が怖くて仕方がない。
なぜならティアは、グレンシスがこの3年もの間、ずっとティアを探し求め、想いを馳せていたことを知らないからだ。
ぶっちゃけ態度が豹変したグレンシスに薄気味悪さすら覚えている。
そんなティアに向け、グレンシスは再び口を開く。ブラウンローズ色の髪を愛おしく撫でながら。
「ずっと黙ったままだが、何を考えている?」
「……別に、なにも……」
「そうか?その割には何か言いたそうだが?」
からかうようなグレンシスの口調に、ティアの眉間には皺が刻まれる。
(言えるもんなら、とっくに言ってますよ!髪触るのは、いい加減やめてくださいって!)
そんな憎まれ口を心の中で叩くティアに気づいていないグレンシスは、3年間の想いを凝縮した言葉を吐く。
「……ずっと探していた」
吐息交じりのグレンシスの言葉に、ティアの心臓は今までにないほど大きく跳ねた。
左胸の傷まで甘く疼いてしまい、ティアは臨終してしまう恐怖を覚え、思わずそこを叩いてしまった。
傍から見たらそれは奇行でしかないようで、グレンシスは怪訝そうな表情を浮かべて、ティアの手首を掴んだ。
「こら、こんなところで遊ぶな」
「あ、遊んでなんかいませんっ」
「じゃあ、何をやってるんだ?」
「……っ」
答えられないティアは手首を掴まれたまま俯こうとするが、グレンシスのもう片方の手に阻止されててしまった。
大きく温かい手に顎を持ち上げられ、強制的にグレンシスと目が合ってしまう。
「お前、あの時、髪色を変えていただろう?」
急に咎めるような口調になったグレンシスに、ティアはすぐに反論した。
「変えてなんかいません。ずっと地毛です。ただ、髪色は勝手に変わりました。だから、その……不可抗力です」
「勝手に色が変わる?そんなことがあるのか?」
「あるみたいですね。実際、私がいい例です」
「……へぇ」
淡々と答えれば、グレンシスは気のない返事をする。
しかし彼の表情は真顔で、一生懸命理解しようと努めているのだろう。
「ブラウンローズの髪色に金色の瞳。それしか手掛かりがなかった。だが、珍しい髪と瞳だからすぐにみつかると思った。……が、こういうからくりがあったなど、さすがに想像もできなかったな」
自分に言い聞かせるかのように呟いたそしてグレンシスは、ティアに向けてからりと笑った。
けれど、その笑顔は長くは続かなかった。
「お前の事を忘れた日は一度もなかった。また会えると信じていた」
グレンシスのその声は、決して大きくないのに、心の芯まで届きそうな強い意志に裏打ちされたものだった。
「……っ」
ティアの唇がわななく。まさか、ダイレクトにそんな言葉を受けるなんて、思ってもみなかったのだ。
冗談抜きにして、ティアは一瞬、息が止まった。多分、心臓も跳ねるのを飛び越えて、完璧に脈が飛んだ。
それくらい嬉しい言葉を向けられたのに、ティアは、年頃の少女のように頬を赤くしたり、『私もよ』と素直に気持ちを口にすることができない。
だって、3年前の出来事を思い出したからといって、それでどうなるというのだ。
ティアは、グレンシスに恋心を抱いているが、その先のことを望んではいない。
騒めき立つ恋心はきっと今だけで、旅が終わり、いつもの日々に戻れば、穏やかに風化していくだろう。
だから、もうこの話はいい加減やめてほしいし、勘違いさせる仕草も口調も、言葉遣いも今すぐ改めてほしい。
そんなことを切実に願うティアは、もう限界だったのだ。
驚きと、切なさと、嬉しさで、心がぐちゃぐちゃにかき乱されて、これまでの想いを衝動的に口にしてしまいそうになる。
それなのにグレンシスは、ティアのなけなしの自制心をぶっ壊すような言葉を口にする。
「ティア、ずっと会いたかった」
「……どうしてですか?」
とうとう我慢できず、ティアは尋ねてしまった。
私もですと、同意する言葉を口にしなかったのは、最後の自制心だ。
対してグレンシスは、ティアからそんなことを聞かれるとは思ってもみなかったようで、ややたじろいだ。
「え、いや……そ、それは………ありがとうと言いたかったからだ。そして、お礼をしたかった。……やっとそれがかなって嬉しい。ティア………お前、なにか、望むものはあるか?」
グレンシスの答えは、取り繕うような歯切れの悪い言い方だった。きっと、適当なことを考えながら口にしたのだろう。
でも、ティアは臍を曲げることはしない。
3年前、グレンシスの傷を癒してから、ティアが望んでいたことは、全部で3つ。
ずっとイケメンでいてくれること。元気で過ごしてくれていること。……そして、できることなら、自分を覚えていて欲しいと。
その全部が叶ったのだ。 だから、もう他に望むものはない。
「欲しいものは全部いただいていますので、お礼など不要です」
「貰っているだと?……俺はお前に、なにもやった覚えはないぞ」
グレンシスは身を屈めてティアを覗き込んだ。手綱を握ったまま、なぜかしかめっ面で。
(こっちを向くな。前を向け)
ティアは仰け反りながら、イケメン騎士様に向かって前方を指させば、かなり不満げではあったけれど、視線を戻してくれた。
移し身の術には、3つの禁忌がある。
一つ目は、長い苦痛を与える為に移し身の術を使うこと。
二つ目は、移し身の術を生業としないこと。
三つ目は、移し身の術を戦争の道具にしないこと。
言い換えるなら、ティアが術を使うのはすべて善意の行動で、金銭を求めるための行動ではない。
術を使えば体調を崩すし、傷を引き受ければ痛みを伴うけれど、ティアは術を使うことを躊躇わない。その理由は、いつも決まっている──
「私の願いは、いつも誰かの役に立ちたい。それだけです」
グレンシスの質問の答えにはなってはいないことに気付いたティアは、慌てて補足をする。
「人は産まれたら死ぬものです。でも、生きている限り、笑っていて欲しいって思うんです。辛いことや痛いことで時間を割いて欲しくないんです。幸い私には、傷を癒す力があります。だからこの力で、騎士様が充実した時間を過ごすことができたなら……その、お手伝いができたなら、私は、もう十分なんです。騎士様が、こうして生きていてくれることが、何よりのお礼なんです」
ティアは移し身の術を使う人間としての想いだけを、グレンシスに伝えた。
「……そうか」
長い沈黙の後、グレンシスはかすれた声でそう言った。
「はい……騎士様、お元気そうで何よりです」
ティアは、もしまた会えたら伝えようと思っていた言葉を、グレンシスに伝えることができて、ただただ嬉しかった。
一生分の幸せを先払いで貰ったかのように、今までにない程の大きな喜びを噛み締めた。