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#子育て
都築七美
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都築七美
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早朝のリビングに、二歳の湊の泣き声が響いていた。
「いやーー!!」
「もうっ……湊! 保育園行く時間だから!」
母親の沙織は汗だくになりながら、床に寝転がる湊へ服を着せようとしていた。
けれど、ようやく袖を通したと思えば、身体を反らして脱ぎ捨てられる。
「お願い……今日は着替えて……!」
その横で、夫の直樹がネクタイを締めた。
スマートフォンには、上司から《至急》のメッセージが届いている。
「ごめん……今日もちょっと早く出ないと」
沙織の手が止まった。
「……また? 最近、毎日そうじゃん」
「今日は外せない会議で――」
「育児も家事も全部こっち。私だって、パートだけど働いてるんだよ?」
「分かってる。でも――」
「仕事、仕事って……家族より仕事の方が大事なんでしょ」
直樹の表情が固まった。
「そんなこと……思ってない」
「じゃあ、なんで何もしてくれないの?」
直樹は何か言おうとして、結局口を閉ざした。
「……ごめん」
それだけ残し、玄関へ向かう。
(また、それだけ)
(私がどれだけしんどいか、本当に分かってる?)
ドアが閉まると同時に、湊がまた泣き叫んだ。
*
どうにか保育園へ辿り着いても、湊は沙織の首にしがみついて離れなかった。
「ママーー!!」
「朝からずっとこんな感じで……」
「まだ二歳ですからね。自我が強くなる時期でもありますし、もう少し様子を見ていきましょう」
「……はい」
また、その言葉だった。
発達相談へ行ったときも、「まだ個人差の大きい年齢だから」と言われた。
強いこだわり。
激しい癇癪。偏食。
(気にしすぎなのかな……)
それでも、母親として毎日そばで見ているからこそ、消えない不安があった。
(どうして、うちだけ……)
泣き続ける湊を預け、沙織は後ろ髪を引かれながら仕事へ向かった。
*
その夜、直樹が帰宅したのは二十三時を過ぎてからだった。
「ただいま……」
しわの寄ったスーツに、疲れ切った顔。
けれど沙織には、それを気遣う余裕など残っていなかった。
「ぎゃああああ!!」
リビングでは、湊が床に寝転がって泣き叫んでいる。
「……まだ起きてたのか」
「夕飯のあと寝ちゃって。それから全然寝なくて……」
直樹は散らかった部屋を見回した。
「俺が見るよ」
湊へ手を伸ばす。
「いや!! ママーー!!」
小さな手に払いのけられ、直樹が動きを止めた。
「……そっか」
その一言で、沙織の中に積もっていたものが弾けた。
「泣かせるなら、余計なことしないで!」
「……ごめん」
「なんで全部私なんだろ……。直樹、もっと気づいてよ」
「……」
「あなたは仕事だけしてればいいから楽だよね」
直樹の表情が固まった。
「……本当にごめん」
「“ごめん”じゃ困るの!」
「ぎゃああああ!!」
「もう無理……!」
沙織は湊を抱き上げ、そのまま寝室へ向かった。
*
ようやくリビングが静かになったあと、直樹は一人でシンクの前に立っていた。
山積みの食器を、黙々と洗っていく。
――あなたは仕事だけしてればいいから楽だよね。
その言葉が、頭から離れない。
「……沙織は、いつから俺の敵になったんだろう」
小さな独り言は、水音にかき消された。
*
深夜。
ようやく眠った湊を挟み、三人は川の字になっていた。
けれど沙織も直樹も、眠れてはいなかった。
そのとき――二人のスマートフォンが同時に鳴った。
「……何?」
沙織が画面を見る。
件名:《あなたの人生、少しだけ交換してみませんか?》
必要なあなたに、痛みを知る時間を――
Reプログラム体験を開始します。
「Reプログラム……?」
「え……」
隣で直樹も身体を起こした。
「沙織にも……来てる?」
「え?」
二人で画面を見せ合う。
まったく同じメールだった。
「何これ……気持ち悪い」
「誰かのいたずらか?」
「迷惑メールでしょ。削除しよ」
沙織が画面へ指を伸ばした瞬間――スマートフォンが眩い光を放った。
「え……?」
「うわっ……!」
白い光が、瞬く間に寝室を満たしていく。
「湊――!」
沙織は咄嗟に息子へ手を伸ばした。
けれど、届かない。
次の瞬間、二人の意識は光の中へ飲み込まれた。
*
鳥のさえずりで、沙織は目を覚ました。
「……朝……?」
身体を起こした瞬間、違和感を覚える。
腕が太い。
手も大きい。
「……え?」
恐る恐る声を出す。
「ちょっと待って……」
低い。
慌てて鏡の前へ駆け寄り、沙織は息を呑んだ。
「えぇっ!?」
鏡の中にいるのは――直樹だった。
「なんで……私が直樹になってるの!?」
「えっ!?」
その声に、隣で眠っていた直樹も飛び起きた。
「俺……沙織になってる……」
二人が呆然と顔を見合わせた、そのとき。
スマートフォンが同時に震えた。
《Re:Birthプログラム開始》
《人生交換:実行中》
「ままーー!!」
寝室へ駆け込んできた湊は、迷わず“沙織の姿”をした直樹へしがみついた。
「だっこーー!」
「うわっ、湊!?」
沙織も腕を伸ばす。
「ほら、湊。こっちおいで」
「いやーー!」
湊は直樹へさらに強くしがみついた。
(そうか……今の私は、湊には“パパ”なんだ)
胸がちくりと痛む。
「ていうか、今何時!?」
時計は午前五時半。
すると、直樹が申し訳なさそうに言った。
「……俺、今日も早めに会社へ行かなくちゃいけなくて」
「……え?」
「仕事内容は説明するから」
「待って。まさか……私が直樹として会社に行くの?」
「……たぶん」
「たぶんって……!」
*
一時間後。
沙織は直樹のスーツを着て、玄関に立っていた。
慣れない革靴に、仕事用のバッグ。
直樹の腕の中から、湊がこちらを見る。
「ぱぱ、ばいばい」
「……行ってくる」
駅に向かって歩き出す。
このときの沙織は、まだ知らなかった。
自分が「仕事だけしていればいい」と思っていた直樹の毎日が、どれほど重いものだったのかを。
コメント
1件
読みました……!朝のワンオペ育児の描写が本当にリアルで、沙織の「全部私なんだよ」という叫びが胸に刺さりました。直樹が「沙織はいつから俺の敵になったんだろう」とつぶやくシーンもすごく印象的で、どちらの気持ちも痛いほど分かるからこそ切なかったです。そして最後の入れ替わりで、今度は沙織が直樹の仕事の重みを身をもって知ることになる展開にドキドキしました。続きが気になります!