撮影の準備が整い始めた頃だった。
その日、奏太はゼミ室で脚本の読み合わせをしていた。
彩映が台詞を読む声を聞きながら、彼は不意に胸の奥に鋭い痛みを感じた。
「……っ!」
激しい痛みが、心臓を握り潰すように襲ってくる。
息が詰まり、視界がぐらつく。
「奏太?」
友の声が遠くで聞こえたが、返事をする余裕がなかった。
喉が焼けるように苦しく、肺がまともに空気を取り込めない。
――このまま、死ぬのか?
恐怖が体を駆け巡る。
誰もが驚き、動揺する中、あかりが駆け寄ってきた。
「奏太! 大丈夫!?」
彼女はすぐに彼の手を握り、懸命に声をかける。
「奏太、しっかりして!」
だが、意識はどんどん遠のいていく。
視界がぼやけ、目の前の光が暗闇に沈んでいった。
――俺は、ここで終わるのか?
まだ、映画を完成させていないのに。
まだ、みんなと一緒に生きたいのに――。
そして、意識が完全に途切れた。
気がつくと、奏太は見覚えのある部屋の中にいた。
カーテンの隙間から、やわらかな朝の光が差し込んでいる。
胸の痛みはなく、呼吸も落ち着いている。
「……病院?」
起き上がり、あたりを見回す。
しかし、これは病院ではなかった。
これは――自分の部屋だ。
だが、何かがおかしい。
机の上には、高校時代に使っていたノートが積み重なっている。
部屋の壁には、数年前の映画ポスターが貼られたままだった。
まるで、過去の自分の部屋に戻ったかのような感覚。
「……おかしい。」
スマホを手に取ると、画面には**「20××年3月15日」**と表示されていた。
それは、3年前の過去の日付だった。
「……どういうことだ?」
混乱しながら部屋を出ると、廊下の向こうから懐かしい声が聞こえた。
「奏太、朝ごはんできてるぞ。」
――父の声。
血の気が引いた。
父は、12年前に亡くなったはずだ。
でも、目の前には確かに生きている父がいた。
ダイニングテーブルで新聞を広げる父。
母がキッチンで朝食を作っている。
何もかもが、12年前の光景そのままだった。
「おい、どうした?」
父が笑顔で声をかける。
「……父さん……?」
震える声で呼びかけると、父は不思議そうに笑った。
「なんだよ、そんな変な顔して。」
これは夢なのか? それとも、本当に過去に戻ったのか?
混乱しながらも、奏太は考えた。
――もし、本当に過去に戻ったのなら。
今なら、まだ映画を撮る前の自分がいる。
病気のことを知る前の自分がいる。
そして、まだ亡くなっていない父もここにいる。
もう一度、やり直せるのではないか?
自分の未来を変えられるかもしれない。
映画を撮るチャンスもある。
もっと長く生きられる方法があるかもしれない。
「……もし、この時間が与えられたものなら。」
奏太は、心の奥で静かに誓った。
――もう一度、人生をやり直す。
――もう一度、映画を撮る。
――そして、大切な人たちと過ごす時間を取り戻す。
この時間を、絶対に無駄にしない。