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王国暦1850年花舞小枝の彩
どうしてこんな事になったのだろう……
薄れていく意識の中で必死に考えても答えは見つからない。うつ伏せに横たわる体は、上から砂袋でも乗せられているみたいに微かにも動かす事ができなかった。胸から流れていく夥しい量の血液が冷たい床に広がり水溜りのようになっていく。それは、自分がもう助からないのだという現実をまざまざと見せ付けてくるようだった。
死にたくない。まだ、死にたくないよ。だって、私には……あの人の……
刺された胸の痛み、そして手足の感覚が……徐々に無くなっていく。その時、視界の隅に金色の小さな物体が映り込んだ。それは亡くなった祖母から譲り受けた、花の形をしたブローチだった。肌身離さず身に付けていた大切な物だったのだけど、襲われた時の衝撃で中央に埋め込まれていた緑色の宝石が砕けてしまっている。
キラキラと輝く宝石の欠片は、まるで夜空を彩る星のように美しかった。手を伸ばせば届きそうな距離にあるのに……私にはもう掴む事ができない。しばらくその光景をぼんやりと見つめていたけれど、とうとう限界がやってきた。
目蓋が閉じて、目の前が真っ暗になる……そして――
私の意識は完全に途絶えた。
「――――さま!」
誰……?
「ク……ハ……おじょ……様!!」
「クレハお嬢様!!」
今度ははっきりと聞こえた。若い女性と思しき声が自分の名を呼んでいる。私はそれに導かれるように、ゆっくりと瞼を開けた。
最初に目に入ったのは白い天井だった。そこから徐々に視線を下ろし左側を見ると、バルコニーに面した大きな窓があり、太陽の光が優しく差し込んでいる。
「やっとお目覚めですね、お嬢様。もう9時になりますよ! いい加減に起きて下さいませ」
私を呼んでいたのと同じ声……? 振り向くとそこには、白いお仕着せに身を包んだ女性が姿勢良く立っていた。表情は少し呆れているように見える。
私は……どうなってしまったのだろう……
今自分が横になっているのは温かいふかふかのベッドだ。恐る恐る上半身を起こして周囲を見渡してみる。この部屋……とても見覚えがある。いや、見覚えがあるなんてものじゃない。ここは、幼い時から寝起きしている私の自室だ。そして……この長身の女性は、私の家に使用人として仕えてくれているモニカだ。ぼんやりとしていた頭が、だんだんはっきりしてくる。
どういうことなの……。悪い夢でも見ていたのだろうか。私は何者かに襲われて命を落としたはず。そっと胸に手のひらを乗せてみる。血が出ていない。あれだけ大量に流れ出ていたのに。上着の胸元をはだけさせ直に見てみるが、なだらかなそこには傷一つ付いていなかった。しかし、そこで妙な違和感を覚える。
胸がない……
いや、もっと具体的に言うならぺったんこだ。おかしい。胸はそこそこある方だったのに……。これではまるで幼い子供のような……って胸だけじゃない!? 自分の体を改めて見回すと、手の大きさも足の長さも、ひと回り以上縮んでしまっている。
「お嬢様!?」
モニカの呼び声を振り切り、私は勢いよくベッドから飛び降りた。そして、ドレッサーの横に設置してある姿見鏡の前に立つ。
――私の名前は『クレハ』
ジェムラート公爵家の次女で、歳は18になる。祖母譲りの銀色の髪に青い瞳はそのままだが、鏡に映っているのは……
「クレハお嬢様、今日で8歳になられるのでしょう。もう少しおしとやかになさらないと、奥様にしかられてしまいますよ」
「8歳……私が?」
「はい。本日はクレハお嬢様の8歳のお誕生日ではないですか」
鏡に映っていたのは、どう見ても18歳には見えない幼い子供だった……