帝都での騒動から数ヵ月。帝国に少し遅い春がやってきた。内戦が勃発し、初手は奇襲攻撃により東部閥の領地を荒らし回った北部閥であるが、次の日に初雪が観測されて瞬く間に寒気が襲来。寒冷地でもある帝国北部は雪に閉ざされて、北部閥は引き続き大規模な軍事行動を起こすことが出来なかった。 対する東部閥も奇襲による混乱からの建て直しと軍備の再編に時間を取られ、内戦を引き起こしながらも双方冬の間は軍を動かせずに膠着状態に陥る。この事態を本来解決すべき帝国正規軍は大貴族達の思惑に阻まれて身動きが取れず、帝都防衛の名目で帝都に引きこもってしまう。それは同時にこれまで各地に存在していた抑止力が大きく低下することを意味し、魔物はもちろん野盗等の犯罪組織の跳梁を許すことになり帝国全域の治安は大幅に低下した。
こうなると自動的に裏社会の影響力が増すことになり、治安の悪化を助長していく。
そんな情勢下、暁は黄昏で大規模な軍備拡張を開始。これまで密かに蓄えられていた余剰金、いわゆるシャーリィのへそくりを一気につぎ込み、ライデン社の新規工場も更に数棟建設されることが決まる。
ドワーフのドルマンによって更に大勢のドワーフを雇い入れたこともあり、建設は急ピッチで進み冬が終わるまでに合計十棟の工場が黄昏に建設されたのである。
これらの工場にはライデン社の最新式の工作機械が次々と搬入され、黄昏で産出される豊富な石油と投入される莫大な資金を背景に、近代兵器の研究開発及び既存の近代兵器の大量生産を開始したのである。
マーガレット=ライデンとシャーリィの間で交わされた協定に基づき、莫大な資金援助の見返りとして兵器類の販売先を限定。ほとんど暁が独占し、更に後ろ楯である西武閥にも最新兵器を流して軍備拡張に拍車を掛けた。
しかし、シャーリィとしても直ぐに動きを見せるつもり無かった。内戦の勃発で復讐すべき相手であり黒幕のマンダイン公爵家はしばらくシェルドハーフェンへ手を出すことは出来ない、或いは限定的になると判断し軍備拡張に平行して勢力拡大に乗り出す。具体的には十四番街のトライデント・ファミリーに関与することでマフィア達の抗争に介入。と同時に、八番街への勢力拡大を目指す。ここは同盟者であるオータムリゾートの支配下である六番街、七番街に隣接しているため、双方の連携を密に出来るメリットがあったし、何より八番街はシェルドハーフェン最大の工業地帯でありライデン社の技術を取り入れた工場も多数存在しているためだ。
八番街の支配者は“工業王”と呼ばれるブース=ブラットマン。先見の明の持ち主であり、ライデン社が設立された初期段階から積極的に接触してその新しい概念や機材などを手に入れてきた男である。シェルドハーフェンで流通しているほとんどの工業製品は八番街で生産されており、それらの利益を事実上独占している状態である。
とは言え、相手はオータムリゾートや海狼の牙が属する『会合』のメンバーの一人でありこれまで相手にして来たどの勢力よりも巨大な組織である。シャーリィも最初は敵対ではなく八番街にある工場数棟を間借りして生産活動を行いたい。もちろん利用料として相場より高い額を提示したのだが。
「なる程な。使わせてやっても良いが、条件がある」
「条件、ですか。それは?」
オータムリゾートの仲介でブラットマンとの会談に臨んだシャーリィに対して、真っ白な軍服に身を包んだスキンヘッドで肥満体の大男は葉巻の煙を吐き出しながらシャーリィへ視線を向ける。
「この瞬間から、暁が俺の傘下に加わる。それが条件だ」
「……私達は独立した勢力ですし、双方に敵対関係は存在しないはずですが?」
「分かってねぇなぁ、嬢ちゃん。お前の町、黄昏と言ったか。そこにはドワーフの工房やライデン社の工場があるらしいじゃねぇか」
「ええ、ありますが……」
「シェルドハーフェンにある全ての工場は俺の傘下に収まる。そう言う決まりがあるんだよ」
「聞いたこともありませんが?」
「そりゃそうだろうよ。俺に黙って工場を作った奴は、皆あの世に逝ったんだからな」
「また物騒なお話ですね」
「毎月アガリの七割を納めろ。前金としてお前のところに居る獣人のガキを引き渡せ。高値で売れるからな、最初の上納金代わりにしてやる。俺は寛大だからな」
どこまでも傲慢な態度を見せてもシャーリィは動じること無かったが、最後の要求でそれまでの無表情から誰もが見惚れる笑顔を浮かべる。
「正しく理解しました。貴方は私の敵ですね」
「正気か?新参で上手いこといってるからって調子に乗って無いか?いや、まあ良い。俺は寛大だからな、嬢ちゃんは殺さねぇようにしておく。滅多に見ない上物だからな」
「私はちゃんと貴方を殺してあげますから安心してください。では、ごきげんよう」
両者の交渉は決裂したのである。ブラットマンは直ぐに行動を開始。八番街で生産される工業製品を黄昏へ運び入れないように指示を出した。
だが、そもそもこの様な事態に備えて自給自足体制を確立している黄昏にはほとんど影響がなく、どうしても必要なものに関してはオータムリゾート、海狼の牙、花園の妖精達経由で入手することも容易かった。
「こんな遠回しなことしないで、その場でぶっ殺せば良かったじゃない」
現在は黄昏でリハビリに励みつつ愛娘を支えるヴィーラは実に彼女らしい提案をする。そんな母に苦笑いを浮かべながら、シャーリィは答えを口にする。
「裏社会と言えど、通さねばならない筋があります。あの場でブラットマンを始末することは簡単でしたが、それをすれば仲介してくれたお義姉様の顔に泥を塗る事になりますし、暁は信用を失います。裏社会において、信用ほど高価なものはありませんよ」
「そんなものかしら?」
「お母様ほどの力量があれば別の手段もあったかもしれませんが、非才の私にはこれが限界なのです。まあ、心配しないでください。私達は勝ちますから」
「貴女の勝利を疑っていないわよ。私は娘達が火遊びをしている様子をじっくりと見物するだけよ」
シャーリィ=アーキハクト二十歳。新たな戦いが始まろうとして居た。