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雨上がりの校舎は、いつもより静かだった。窓に残った水滴が、夕日に照らされてきらきら光っている。
成瀬(なるせ)悠真は、昇降口の前で立ち止まっていた。
帰るべきなのに、足が動かない。
理由はわかっている。
まだ、あの人を見ていないからだ。
「……遅いな」
独り言のように呟いた瞬間、後ろから声がした。
「成瀬」
低くて、少し眠そうな声。
振り向くと、そこに立っていたのは黒川(くろかわ)蒼だった。
同じクラスで、隣の席。
成績優秀で無愛想、なのに妙に面倒見がいい。
「黒川……」
それだけで、胸が少し苦しくなる。
蒼はいつも、距離が近い。
「傘、持ってる?」
「いや、忘れた」
「だと思った」
蒼はそう言って、自分の傘を成瀬の方へ傾けた。
肩が、触れそうなくらい近い。
「……近くない?」
「濡れるよりマシ」
そっけない言葉とは裏腹に、蒼は歩く速度を成瀬に合わせてくれる。
その優しさが、いちいち心臓に悪い。
成瀬は、蒼の横顔を盗み見た。
長いまつげ、少しだけ不機嫌そうな目。
——どうして、自分にだけこんなに構うんだろう。
「なあ、黒川」
「なに」
「俺のこと、どう思ってる?」
言ってしまった、と成瀬は思った。
勢いで聞いてはいけないことを。
蒼は、ぴたりと足を止めた。
「……急にどうした」
「いや、その……」
雨音が、また少し強くなる。
沈黙が長くて、逃げたくなる。
「成瀬はさ」
蒼が、ゆっくり口を開いた。
「自分がどう見られてるか、気にしすぎ」
「……悪いかよ」
「悪くない。でも」
蒼は成瀬を見た。
真正面から、逃げ場のない視線で。
「俺は、他のやつと同じ目では見てない」
成瀬の頭が、一瞬真っ白になる。
「それって……」
続きを聞く前に、蒼は視線を逸らした。
「今日はここまで」
「え?」
「続きは、また今度」
そう言って、蒼は傘を成瀬に押し付けた。
「傘、貸す。返すときでいい」
「ちょ、黒川!」
振り返った時には、もう蒼は雨の中を歩き出していた。
背中だけが、やけに遠い。
成瀬は胸を押さえた。
鼓動が、うるさい。
——他のやつと同じ目じゃない。
その言葉の意味を考えるだけで、息が詰まりそうになる。
次の日。
成瀬が教室に入ると、蒼の席は空いていた。
「黒川、今日休みだって」
クラスメイトの言葉に、胸がざわつく。
机の上には、成瀬宛てのメモが一枚だけ残されていた。
《放課後、昨日の場所で待ってる》
短い文字。
でも、はっきりとした意思。
成瀬は、その紙を握りしめた。
——昨日の続き。
聞いていいのか、怖い。
それでも、行かない選択肢なんてなかった。
放課後のチャイムが鳴る。
成瀬は立ち上がり、昇降口へ向かった。
そこには、昨日と同じ景色が待っているはずだった。
ただ一つ違うのは——
今日こそ、答えを聞いてしまうかもしれないということ。
蒼は、もう先に来ているのだろうか。
成瀬は、深く息を吸って、扉を開けた。
——そこで見た光景に、彼は言葉を失うことになる。