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一体何が始まるというのか? 今は奴の姿は此所には無い。
『ちょっと待っててね』と耳が腐る台詞を言い残し、此所から出て行ったからだ。
時間にして五分少々も経っていないと思うが、この“焦らし感”が悠久の刻にも感じられた。
『今日は軽めの“痛み”にするわ』
頭の中でそれが反芻し、悪寒が止まらない。
痛みに軽めも糞もある筈が無い。
気付けばじっとりと脂汗が滲み出て、止まらないのは何も湿度のせいのみではなかった。
怖れている。俺は心底恐怖を感じている。
勿論これは俺の中で分離した別人格だろうが、身体迄はそうはいかない。共有しているのだ御互いに――
……急に何だ?
そう言えば食事はどうなったかだと?
何故そんな造作もない事を聞く必要がある?
何時も通り、“ほどとおりなく”終了した……それだけだ。
……直飲みだと!?
思い出したくもないわ! おぞましい……。
何だその期待に満ちた眼は?
一から十まで逐一説明せねば分からないのか?
分かった……ならば教えてやろう。
つまり今日は“直”で水分、と響きの良い代物ではないが、補給を強制的に施されたという訳だ。
脚立越しにな……。
これも生きる為の別人格が、俺自身が望まぬとも受け入れてしまったのだ。
***
「お待たせ~」
待ってない。毎度理解に苦しむが、俺が何時お前を待ち望んでいるというのか。勘違いもここまでいくとノーベル賞ものだろう。
女がこれ以上無い程の、醜悪な笑みを浮かべながら戻ってきた。
俺を蹂躙する為だけの、手に持つ“ブツ”はタオルで覆い隠され、皆目伺えない。
その目に見えぬ“現実”が、また俺をより一層の不安を掻き立てる。
「ウフフフ」
今日の調教という名の、理不尽な拷問。
余り“痛くない”らしいが確かに。もはや肉体の痛みは出し尽くした。
あれ以上の痛みは存在しないだろう。
最初に極限の痛みを経験したのは、ある意味ラッキーだったのかもしれない。
これから先は“アレ”に比べれば、それ以降は全て“取るに足らない”事を思うと、少しは気も楽になるというもの。
やはり俺は神に選ばれし存在なのだ。
別人格は所詮は幻。俺の輝かしい経歴の汚点にすらならない。
“しかし何故だろう?”
「さあ……今日も楽しもうね」
女だけが嬉しそうに、俺に近づいてくる。
“分かっていて尚、こんなにまで不安を感じるのは――”
「ウフフ……ジョンは耳まで綺麗なのね。ピアスとかはしないのかしら?」
女は俺の芸術的な曲線を描く耳を、うっとりとした表情で擦りながら、そんな馬鹿な事を聞いてきた。
当たり前だ。そんな無駄な装飾によって着飾る等、自分に自信の無い凡人がする事だ。
分不相応な装飾によって、さも自分が特別だと思い込む馬鹿は多いが、凡人は凡人にしかなり得ない。
特別なのは装飾の美しさのみであって、自身では無い。これは全ての装飾に同じ事が云えよう。
俺にピアスや指輪等、必要無い。贈呈されたそれらは全て質屋行き。
俺そのものが芸術品なのだ。何処に着飾る要素が有ろうか?
真の芸術とは、自然体が最も美しいのだ。
「だ、か、ら……」
意味深な吐息を耳元に、女が俺の耳朶を軽く噛む。
「――っうぅ!」
瞬間、痺れるような悪寒が走った。
これは第六感と言ってもいい。
俺は気付いてしまったのだ奴の意図に――
「ジョンにピアスをプレゼントしてあげる」
予感的中。
美の極致に在る俺に無駄な事だが、確かにこれなら“余り痛くない”だろう。
余計な装飾を、望まぬとも“強制的”に施されるのは遺憾だが、これ迄の事に比べれば、それは造作もないイージーゲーム。
俺は顔には出さないように安心した。
奴を下手に煽ってはいけない事を、この身で実感している俺の最善かつ最良の選択。
即ち“フェイス オブ ノーマル”
俺の最も得意とする表情表現だ。