テラーノベル
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今日は、猫の餌を買いに外に出る日だ。袋はまだ残っているけど、あと数日分しかない。切らすわけにはいかない。
靴を履いて玄関を出る。道行く人は、俺のことをちらりと見ては目を逸らす。多分、幽霊でも見たと思ってるんだろう。でも実際、存在感は服にしかない。
スーパーまでは徒歩で五分。
通りを歩くと、子どもたちが指を差して走って逃げる。老人は杖を少し前に突き出して警戒している。俺はそれを避けるように、ゆっくり歩を進める。服の輪郭があるから、人は俺の位置はわかる。けれど、手を伸ばして触れる気にはなれないらしい。俺も、避ける必要はないが、なるべく衝突は避けたい。
スーパーに着くと、入り口で少し迷った。
自動ドアが開いた瞬間、周囲の人が一斉に立ち止まる。レジ袋を持った人も、買い物カートを押す人も、皆、俺の存在を認めつつも、距離を保っている。俺は靴を滑らせながら、猫の餌の棚まで進む。
「これだな…」
袋を掴むと、やっぱり手ごたえがある。存在を確認できる感覚が少しだけ安心させる。
一度手に取った袋を、他の人が避けるように通り過ぎていくのを感じながら、レジに並ぶ。順番が来ると、レジの女性が少し後ずさりしながらスキャンを始める。俺は笑って、静かに「どうぞ」と心の中で言った。
家に帰る道も、さほど変わらない。子どもがまた走って逃げる。俺は猫の餌の袋を抱え、服の輪郭で自分の存在を知らせながら歩く。
でもレンのことを思えば、このくらいの小さな困難は大したことではない。
玄関を開け、袋を棚に置くと、レンが跳ねるように駆け寄ってきた。
「お待たせ」
手を伸ばすと、レンは俺の掌に顔を擦りつける。俺の存在を信じてくれる唯一の存在だ。
今日も、なんとか無事に帰ってこられた。
服の輪郭だけでも、ちゃんと自分の場所はここにある。
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