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第三十二話:覇王の休息と、焦燥の女王たち
夜明けの光が、朧月館の白木を柔らかく照らしていた。
数時間前まで、ここは隠り世の理を揺るがす戦場であり、一人の男が「玩具」から「王」へと新生する祭壇であった場所だ。
「あるじ、お茶が入ったぞ。少し、ぬるめにしておいたわ。……ふふ、そんなにじっと見つめられると、妾も……その、慣れぬな」
玉藻が、かつてと変わらぬ所作で茶器を置く。だが、その指先は微かに震えていた。彼女の瞳に映る僕は、もはや守られるべき脆弱な存在ではない。至高の金角は、今はその輝きを抑えているが、僕の肌の奥で脈動する黄金の霊圧は、大妖怪である彼女をもってしても、無意識に背筋を正させるほどの威厳を放っていた。
「旦那様、本当にもう……どこにも行かないにゃ? あの化け物たち、また来たりしないにゃ!?」
お凛が僕の隣に潜り込むように座り、僕の衣の袖をぎゅっと掴んで離さない。その瞳には、安堵と、それ以上に「遠くへ行ってしまった主」への拭いきれない不安が滲んでいた。
「……あ、あるじ様。……あの、お怪我は……痛くない、ですか……っ?」
僕の膝元に、捨てられた子犬のように寄り添う一花。彼女は僕の掌に自分の頬を寄せ、僕が「本物の、温かい人間」であることを確かめるように何度も瞬きを繰り返した。
「ちょ、旦那様! マジで無事だったん!? その角、出力ヤバすぎでしょ……。ぶっちゃけ、アタシが不在の間に宿の結界ぶっ壊されるとか、マジでありえないし! 旦那様に何かあったら、アタシのエンジニア生命、マジで詰んでたとこだったし!」
そこへ、愛用のレンチを手にし、腰の工具袋を鳴らしたカノンが、慌ただしく部屋に入ってきた。彼女は宿の損傷をチェックしていたのか、頬に微かな煤をつけながらも、僕の無事を確かめて興奮気味に捲し立てる。独特の軽いノリは彼女の素の状態だが、僕を呼ぶ「旦那様」という言葉には、彼女なりの深い信頼と独占欲が込められていた。
「……旦那様……。……熱い……。……溶ける……でも、……いい……」
カノンの背後から、影のように静かに現れたのは小雪だった。彼女はほとんど言葉を発さず、透き通るような白い肌を、僕から溢れる黄金の霊力にさらして、うっとりと目を細めている。冷気を纏うはずの彼女の体が、僕の側にいるだけで微かに上気していた。
「みんな、心配をかけたね。……もう大丈夫だ。彼女たちは、僕の許しがなければこの敷居を跨ぐことさえできない」
僕がそう断言できるのは、僕の魂の深淵に、六つの「命の手綱」が繋がっている確信があるからだ。
その頃。
朧月館から遥か遠く、それぞれの領地へ強制送還された女王たちは、かつて味わったことのない屈辱的な「渇き」に身を悶えていた。
領地:翠嵐の摩天楼
「ああ……ああああッ! 熱い……中が、焼けるように熱いのよ……っ!」
翠の嵐が吹き荒れる摩天楼の頂上で、紅羽は豪華な絨毯を爪で引き裂きながらのたうち回っていた。
下腹部に刻まれた黄金色の『主の刻印』が、僕の鼓動と同期して激しく拍動し、彼女の天狗としての本能を根底から書き換えていく。
「どうして……奪われたことがこんなに『嬉しい』の……? あるじ様……。あの方の鎖が、もっと、もっと欲しい……ッ! 早く、私をまた踏み躙りに来て……!」
領地:鏡面海域
「……あ、あ……あ。あるじ、さま……っ」
果てしなく続く鏡の海。その中心に浮かぶガラスの宮殿で、瑞稀は自らの体を抱きしめて震えていた。
彼女が僕の心臓に流し込んだ毒は、今や彼女自身を縛り上げる「契約の鎖」となり、逃れようとする意志さえも黄金の霊力で溶かしていく。
「あの方の声が……聞こえないだけで、こんなに息が苦しいなんて……。……あるじ様、私は、あなたのもの……。今すぐ、その指で……私を壊して……」
朧月館:王の決意
「あるじ、顔色が優れぬぞ。まだ、あの方たちの毒が……?」
玉藻が心配そうに僕の額に手を当てる。
「いや、違うんだ。僕は……彼女たちを繋いでしまった。それは、彼女たちの業も、恨みも、すべて僕が背負うということなんだ」
「旦那様、マジで一人で抱え込みすぎ! アタシたちがいるって忘れてない? そういうの、マジでテンション下がるし!」
カノンがスパナを振り回しながら力強く宣言し、小雪は無言で僕の手の甲に冷たい唇を寄せた。
「旦那様! 旦那様がどんなに偉くなっても、あたしは旦那様の背中を流すし、ご飯も作るにゃ!」
お凛が僕の手をギュッと握る。
その時、宿の玄関の鈴が、ちりん、と小さく鳴った。
もっと古く、もっと底知れない「何か」が、この宿の門を叩いた音がした。
「……誰だ?」
僕は立ち上がり、金角に微かな光を宿した。
隠り世の王として覚醒した僕の前に、新たなる運命が姿を現そうとしていた