彼の秘書になって四年・・・
昼間は定正の行動はほとんど把握している鈴子だが、いまだに業務が終わってしまうと、彼のアフターの行動は謎に包まれていた
彼は毎日家に帰って百合と過ごしているのだろうか?それともアイス・ショーで見たような美女を何人も愛人に囲って日替わりで、蝶の様にあっちの花、こっちの花と飛び回っているのだろうか・・・
彼が心から信頼して、身も心も許す女性は存在するのだろうか?そしてそれは百合なんだろうか?
昼間の彼だけでは無く・・・夜の彼も・・・休日の彼も知りたい・・・
知りたくて仕方がない・・・
そんな事を毎日悶々と鈴子が考えていたある日の事だった
滋賀県、琵琶湖のほとりに建設中の「レイクサイド・エンパイア・ホテル」建設は、伊藤ホールディングスが巨額の出資を行い、定正がプロジェクト推進チームの総責任者を務めるものだった
ホテルの設計には世界的な建築家が名を連ね、琵琶湖の水面に浮かぶガラス張りのタワーは、単なる宿泊施設ではなく、国際的な文化交流の拠点となることを目指していた
今夜はそのオープニングパーティー、「琵琶湖星輝祭(せいきさい)」が目前に迫っていた
このパーティーで定正がスピーチで、ホテルのビジョンと日本の未来を語る予定だった
政財界の要人、海外の投資家、メディアが一堂に会する、定正の影響力を世界に示す舞台だった、鈴子は自分が作成したスピーチ原稿を何度も推敲し、定正の情熱と戦略を言葉に込めた、鈴子にとって、それはただの仕事ではなく、定正の夢を形にするための結晶だった
パーティー当日の夜、定正を初め、関係者はほとんど琵琶湖に行っているため・・・今現在、溜まっている仕事を片付けている鈴子のいる神戸のオフィスは静まり返っていた
そこに、専務の増田が慌てた様子で駆け込んできた
「鈴子、まずいことになった! 会長がスピーチの原稿を無くしたらしい」
「ええ?!」
鈴子の手元には確かにその原稿があった、定正が琵琶湖のホテルに直行し、すでに現地で最終準備に入っていることは知っていた、原稿は8時からのパーティーで彼のビジョンを世界に発信するための鍵だ
「今すぐ会長に連絡を――」
「いや・・・電話に出ないんだ、俺も会長のメートパソコンとスマホに連絡を入れているのだが、現地で投資家との会談に入っているらしい、メールで原稿も送ったが、確認する時間がないのだろう・・・しかし俺も今から別件で東京に飛ばないといけないし・・・」
「私が行きます!」
「おおっ!そうか!ありがたい!」
増田の声は安堵に満ちていた、鈴子の頭が急速に回転した、原稿がなければ定正のスピーチは台無しになる、だが、それ以上に、彼女の心は別の衝動に突き動かされていた
―百合は来ているのだろうか・・・こんな大事なレセプションには夫婦同伴が常識だ―
途端に定正の隣で美しく着飾った百合が想像できた、鈴子の心の中に嫉妬心がメラメラ燃え上った
―今すぐあの人に会いたい!―
「私、今からレイクサイドホテルに行って届けてきます!」
鈴子は立ち上がり、鞄に原稿を放り込んだ
「気をつけて行けよ、頼んだよ」
「大丈夫です!営業車借ります!」
オフィスのドアを勢いよく開けて駐車場へと駆け出す、会社の営業車のエンジンをかけると、アクセルを踏み込んで道路に飛び出し、琵琶湖への夜道の高速道路を、鈴子の車は疾走した
すっかり辺りは日が暮れて闇に包まれ、ヘッドライトが照らすアスファルトだけが、彼女の視界に映る、琵琶湖までは車で約1時間、鈴子の手はハンドルを強く握り、頭の中では原稿の内容が反芻されていた
―我々は、単なるホテルを建てたのでありません・・・未来の日本の姿を、ここに刻んだのです・・・―
勇ましい定正の姿が鈴子の脳裏に何度も反芻した・・・そしてそれを誇らしそうに見つめる百合・・・
自分がなぜこんな行動を取っているのかまったく理解できない
―あの人に会いたい・・・定正さんに―
ただそれだけの想いが鈴子を突き動かしていた
鈴子の想い人は、父親ほども歳の離れた雲の上の人の様な・・・神様のような存在なのに・・・
それでも鈴子は神様が一時でも気まぐれを起こして地上に舞い降りてくれる時を・・・
ずっと期待せずにはいられなかった
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