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(ひいいいいいい~!?)
声にならない叫び声を上げ、痛みも忘れ立ち上がる。
「あっ、立った。大したことない感じ?」
男の人が動物園のパンダでも見るような目つきで呟く。
けれど私はそのリアクションに反応するよりも、まだ腕に残る感覚に意識がいっていた。
(私、いったい何を押さえつけたんだろう……。なんか嫌な予感しかしないんですけど!?!?)
おそるおそる、私が腕で押さえつけた、ボンネットの真ん中あたりを見つめる。
するとそこには、車に疎い私でも知っているドイツの超高級車のエンブレムが後ろに倒れた状態で、その存在を主張していた。
(これってこんなふうに上を向いてたっけ……? いやいや、写真とかで見るやつはまるでどこかのご隠居様の印籠のようにドドーンと正面向いてたよね? ……ってことは…………)
「……折っちゃった……!? えっ!? う、うそっ……!!」
「ん? いやそれは……」
男の人が何か言いかけるのも聞かず、私は頭を思い切り下げた。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 言い訳にしかならないだろうけど、ほんっとうにわざとじゃないんです! 不慮の事故で……。あ、いや、だからといって責任はすべて私にあるんですけど、わかってるんですけど、でも……」
「……」
「……とにかく、本当に本当にほんっとうにごめんなさい!!!」
頭の中で、『ごめんなさい』という言葉と同じくらい、『弁償』という文字がグルグル回る。
そもそも、この車にはいったいどれくらいの価値があるのだろうか。
車に興味のない私には、そもそも一般に流通している車の値段すらわからない。
けれど私が傷つけた車はきっと、普段私が目にするような車の何倍もの値段はするのだろうというくらいの想像はできる。
そんな車のボンネットを、私は揚げ物の油で汚し、缶チューハイを倒したのだ。
今は暗くてよくわからないけれど、きっといくつも傷やへこみがついているだろう。
そして何よりの事実として、エンブレムを折り曲げてしまったのだ。
(私の貯金っていくらだったっけ……? 足りる? 足りない? っていうか、足りたとしても明日から貯金ゼロ円生活とか……!?!?)
あまりに絶望的な未来しか思い浮かべず、頭がくらくらしてくる。
とりあえず弁償は分割でお願いしなければならない。
私は男の人がどれくらい怒っているか、その表情を窺おうとうっすらと目を開けた。
すると──
「っ!?」
すぐ目の前に男の人の顔があり、驚いた私は後ろに大きく仰け反った。
ガンッ!
(ひいっ!?)
背中が思い切り車にぶつかり、派手な音を響かせる。
「あらら……。もしかして君、クラッシャー系?」
「……なんですか、そのクラッシャー系って……」
「え? そのまんま。物を壊すのが日常になってるみたいな、そういう人」
「…………」
「なんてね、冗談だよ、冗談」
そう言ってカラカラと笑う男の人に、私は小さくため息をついた。
笑えない冗談に付き合えるほど、今の私には心に余裕はない。
頭の中はもう、弁償額の『0』の数がいったいいくつになるのだろうと、そのことで頭がいっぱいだった。
「……はあ」
上の空な返事で頭を抱える私の顔を、男の人が再び覗き込む。
「……もしかして尻もちついた拍子に頭打った?」
「あっ、いえ違います! ……ちょっと弁償のことを考えていて」
「……ああ、そうだね。それはちゃんとしてもらわないとね。大人として?」
「それはもちろん、させていただきます。ただ……」
ちらりと車に視線を送り、窺うように男の人に視線を戻す。
「修理代……結構かかりますよね?」
「うーん、よくわかんないなぁ……。ボンネット一枚いくらだろ?」
「ボ、ボンネット一枚!? もしかして修理じゃなく交換しないといけないんですか!?」
「さあ? でもその方が気持ちよくない?」
実家の田舎では、近所のおじちゃんやおばちゃんが、車を修理して気持ちよく乗れるようになったと言っていたのは聞いたことがあるけれど。
高級車は違うのだろうか。
(……いやでもいずれにせよ)
非はこちらにあるわけだし、相手の要望にはできる限り応えなければとは思う。
ボンネットの交換がいくらなのかわからないけれど、車の値段がわかれば、大まかにでもわかるかもしれない。
そう思った私は、ひとまず男の人に聞いてみることにした。
「あの……私、車のことよくわからないんですけど、この車っておいくらくらいなんですか?」
「えーっと……確か……」
しばらく逡巡したあと、男の人は私に向かって指を3本立てて見せた。
「300万……」
「ははっ、君、ホントに面白いね。ゼロいっこ足りないって」
「………………えっ」
(ゼロがいっこ足りないって今言いました……!?)
「さ、さんぜんまん!?!?」
「うん、4000はいってないはず。多分だけど」
「…………」
未知の数字に、頭がクラクラする。
思わず後ろに倒れそうになったけれど、3000万という数字がなんとかそれを押しとどめてくれた。
(……高級車だし修理代に2,30万は余裕でかかるかもとは思っていたけれど、これもゼロがひとつ少ないかもしれない……)
「大丈夫? なんか顔色悪くなってるけど」
「あはは……はい……」
ゼロがあとひとつ追加されても払えるだけの貯金は、多分ある。
けれど、今の私の状況でこの額を一気に払うことには不安しかない。
(ここは恥を忍んで……)
私は意を決して男の人を見た。