私は三十年騙され夫に再構築を勧めたが、実際そうするとは正直思わなかった。先日そうアドバイスしたときとは私の状況がまるで違う。結婚前からの夫の裏切りに対して無慈悲な制裁をしようとしている今、彼には奥さんの不倫を許さず身一つで家から追い出してほしかったと心から残念に思う。
秋山桔梗に対しては制裁するにはまず住所の把握が必要。場合によっては興信所の力も借りようかと思っていたが、もしかしてと過去に届いた年賀状をあさってみたら、普通に見つかった。しかも毎年届いていることまで判明した。必ず娘の秋山菫の全身写真を裏面に大写しにして。
隠し子の成長報告のつもりだろうか? しかも妻の私の目を盗んで、というこそこそした感じでもない。本妻のいる家に堂々とそれを毎年送り続ける神経が理解できなかった。
今年の元日に届いた年賀状に、
〈菫は14歳になりました。4月に中学3年生になります〉
と近況報告が書いてあったから、秋山菫は春に15歳になって、うちの菫より学年で一つ上のはず。
それにしても秋山菫はうちの菫とよく似ている。これならDNA鑑定するまでもない。秋山菫の父親は幸季だ。姉妹でも菫は父親似。次女の桔梗は私に似ている。離婚後は姉の親権を幸季に譲り、妹だけ私が引き取るというやり方もアリかもしれない。
毎年の隠し子の成長報告を見せられて、秋山桔梗に対する私の憎悪はさらにかき立てられた。何はともあれ彼女の住所は知ることができた。
私の夫に隠し子がいたとしても、相手の女を妊娠させたのは私と婚約する前の出来事。
結婚後に二人の関係がなかったことを喜んだこともあったが、幸季と秋山桔梗の関係が結婚後も継続していればよかったのにと今は残念に思う気持ちの方が強い。だって結婚後の関係なら不貞、つまり民法上の不法行為。圧倒的に攻撃しやすくなるからだ。
でも三十年騙され夫の妻は、結局結婚後も不倫していた。幸季たちももしかしたら、と期待する気持ちが多少はある。ただ結婚後も継続したという証拠が何もないから、現時点ではあくまで隠し子がいて元恋人に養育費を家計から送金していたことを攻撃対象とするほかはない。
不倫は心の殺人というが、幸季が結婚後は不倫してなかったとしても、私の心はとっくに殺されている。夫が結婚後も不倫していればいいと妻の私が願う程度には私の心は壊れている。
夫は本当のセックスを元恋人としかしたことがないそうだ。本当のセックスとは愛のあるセックスのこと。では、妻である私とのセックスは? 私をオナホだと思って、挿入だけして射精するまで腰を振っていただけだという。私は十五年も女として見られてなかったどころか、人間扱いさえされていなかった!
夫は私を道端に落ちている一円玉にたとえてもいた。私が夫と出会うまで未経験だったのは、道端に落ちている一円玉を誰も拾わないのと同じだと――
夫と元恋人は私のことを世間知らずのお嬢様だと馬鹿にしきっているが、復讐されて地獄に叩き落とされてから、私がオナホでも一円玉でもなく、一人の人間であり女だったということを思い知るがいい!
父の部屋の壁に鹿の首が飾ってあるが、同じように私の部屋の壁に二人の首を並べて飾るのが今の私の夢だ。
勇ましいことを言ったけど、実際はそれほど攻め手はない。ベストは幸季と父を仲違いさせて幸季を身一つでこの家からも会社からも追い出すこと。仕事で大失敗させて父に愛想を尽かせられれば一番いいが、職務能力を買われて父に次期社長として期待されている以上、それはないだろう。
でも幸季が父を敵に回す展開なら考えられないでもない。秋山桔梗は離婚した幸季との略奪婚を狙っている。
私が幸季に離婚を求めれば父は幸季の味方をして思い直すように私を説得しようとするだろうが、それは幸季の方が離婚を求めた場合も同じこと。父はあらゆる手段を使って幸季に離婚しないように圧力をかけるに違いない。十五年前に、私との見合いに応じなければ寝たきりで老人ホームに入居中だった彼の母親が困ったことになるがいいのかと彼を脅したように。
私と離婚するなら次期社長の座を放棄するだけでなく、父による強烈な報復も覚悟しなければならない。聡明な彼が秋山桔梗への恋愛感情のために、そのほかのすべてを捨て去る選択をするとは思えない。
彼ならきっと次期社長の座を確保したまま秋山桔梗と再婚できる道を探るだろう。幸季の立場になってその方法を考えた。答えは一つ。私が消えることだ。私が死ぬか、私の有責で離婚できれば、彼は堂々とほかの女と再婚できる――
そのときちょうど、秋山桔梗からのメールを着信した。今日は祝日だから夫も娘たちも在宅だったが、三十年騙され夫の結果報告と同じく見ずにはいられなかったので、トイレの中で届いたメールを盗み見た。
件名 彼の完璧な計画
from balloonflower1010@mahoo.co.jp
宛先 hitozumakiller0630@gjmail.com
日付 9月23日09時05分
人妻キラーさんへ
菜の花ママこと秋山桔梗です。お返事遅れて申し訳ありませんでした。
彼が奥さんに産ませた二人の娘の親権をどうするか。その返事がなかなか彼から来なくて、私もやきもきしてました。
昨夜、彼からようやく返事が届いたので報告します。以下、彼からの返事をそのまま引用します。
キョーちゃんへ
おれもキョーちゃんと早く家族になりたい。
ただ、障害がいくつかある。
最大の障害はやっぱりあいつ。もちろん妻のことさ。
あいつの有責で離婚して、この家からあいつだけ追い出して、おれが義父の養子になる。次期社長の権利を確保した上で、後妻として君をこの家に迎える。
これならおれも君も双方の子どもたちもみんな幸せになれる。
ここ数日、この作戦がうまく行くかどうか見極めていた。それで返事が遅れてしまったが、どうやら問題はなさそうだよ。
うちの菫と桔梗はもうおれの言いなりさ。
おれが落ち込んでる姿を見せて心配させて、お母さんにはお父さん以外に好きな人がいるようなんだとつぶやいたら、見事に本気にしてくれたよ。
あとはあいつの不倫とDVをでっち上げるだけさ。
気がついたらこの家に居場所はなくて、誰も味方になってくれず、あいつは後ろ指を指され泣きながらこの家を出ていくしかない。
おれは優しく声をかけてやるつもりだ。
「ここは君の家。いつでも子どもたちに会いに帰って来るといいよ」
でもきっと菫と桔梗がおれの代わりにあいつを追撃してくれるはずさ。
「浮気女、二度と私たちにその汚いつらを見せるな!」
「お父さんにDVまでしてたんだってね。この暴力女! お父さん、早く再婚して! 早く新しいお母さんをお母さんと呼びたい!」
今、九月。今年中にはあいつをこの家から身一つで追い出してみせる。
世間知らずなお嬢様だからな、もしかしたら絶望して自殺してしまうかもしれないが、おれを受取人にした高額な生命保険もかけてある。それはそれで悪くない展開だ。
そうなっても、特にかわいそうとは思わないな。あいつはシマウマで、おれはライオン。草食動物は肉食動物に食われなければならない。これは運命さ。 幸季
(引用ここまで)
人妻キラーさん、ということであなたの力を借りなくても彼は二人の娘の親権を取れそうです。どうもありがとうございました。彼の作戦が失敗したときだけ、また相談に乗って下さい。
とうとう秋山桔梗のメールに夫の名前が!
私は大いに動揺しながらも、一方でどこまでも冷静だった。
夫は何の非もない私をこの家から追放し、秋山桔梗との再婚を果たそうとしている。娘たちが唐突に私の不倫を疑い出したのも夫による策略だった。
これが夫の正体。絶望して自殺しなければならないのはおまえの方だ!
夫の作戦は失敗に終わり、秋山桔梗はそのうちまた救いを求めるメールを私に送って来るだろう。私はオナホでも一円玉でも、ましてやシマウマでもない。夫と秋山桔梗が自分たちをライオンだと言い張るならそれでもいい。ただし私は人妻キラー。ライオンを狩るハンターだ!
私はすぐさま返信した。
秋山桔梗が救いを求めて次にメールをよこしたときが、瀕死の重傷を負った二匹のライオンにとどめを刺す合図になるだろう。
心の中でそう結末を予言しながら――
件名 了解!
from hitozumakiller0630@gjmail.com
宛先 balloonflower1010@mahoo.co.jp
日付 9月23日09時27分
秋山桔梗さんへ
了解した!
幸季さんというあなたの彼はなかなかの策士のようだな。
敵は夫の裏切りに露ほども気がついていない世間知らずで能天気なお嬢様。
大船に乗ったつもりで、彼にすべてを委ねていいと思う。
万が一、あなたの彼の策略が妻に通用せず窮地に陥ったときはまた遠慮なく連絡してきてくれ。
おれは全面的にあなたたちの力になると約束するよ。
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