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先生は切なそうに言う。
「私はいつからか彼が見えなくなった。このメモが現れたのも今日が云十年ぶりだ。私はきっと、もう彼に会うことはできない。」
俺は頷いた。
「でも、俺がいる。彼が死んだのは過去の話だから、助け出せるとは思っていません。でも、……もう一度だけ話をしてきます。そして福島先生、最後にお聞きしていいですか」
俺は真剣に問いかけた。
「アオイくん…いや、高良くんの自殺の原因を、知っていますよね」
──数分後。
俺は雨の中で、海と崖を隔てる柵の上に座っている高良くんを、今確かに目で捉えた。
「蒼井高良」
高良くんは静かに振り向く。
顔に、血が飛び散ったようについていた。
帰りたい。怖い。でも俺は踏みとどまり、もう一度声をかける。
「君は…君は、人を殺してしまったんだね」
高良くんは目を見開く。
「人を、殺してしまった。だから、自分が嫌いになった。血に塗れた自分が。」
彼は俯いた。手を開けば、赤黒い血が拭いようもないくらいこびり付いている。
哀しげな声が、雨の中なのに何故か明確に耳に届いた。
「洗いたかったんだ」
今度は俺が目を見開く。
高良くんは笑っていた。
「赤は、嫌いだから。」
彼の赤い瞳の色が雨に跳ね返った気がした。
ザーザー降っていた雨が、赤く変わる。
血の雨。
「綺麗になりたかったんだ」
俺は高良くんに近づく。
そして抱きしめた。
冷たい。海の中にいるみたいに。
でも暖かい。雨の中にいるみたいに。
「綺麗だよ。十分綺麗な、赤色だよ…」
高良くんは困ったように笑う。
「綺麗でも、赤は嫌いだ」
「いいの。嫌いでいいの。……高良くんはどれだけ、罪を償おうとするの?今まで何度、海へ落ちたの?」
「……ぜーんぶ、お前の自由だよ」
次の瞬間、腕の中の質量は消えた。
雨が止む。
海が凪ぐ。
それでも俺を包んだ暖かい雫が、今までの出来事を嘘では無いと告げていた。
俺はひたすら泣いた。これも、雨かな。
俺は福島先生に借りた文書を読んでいた。
蒼井高良について書かれた文書だ。
彼は昔、これを読んで高良くんの過去を知ったらしい。
文字を追う俺の指先が、微かに震える。
そこに記されていたのは、あまりにも残酷で、同時にあまりにも彼らしい、ある科学の暴走と破滅の記録だった。
高良くんは若くして数々の科学賞を受賞し、天才科学者としてもてはやされていた。
しかしある大雨の日、計算違いか不注意か、彼の興した実験は最悪の形で暴走し、周囲の人間を巻き込む大爆発を引き起こした。
多くの仲間が犠牲となり、その中心地は彼らの流した血によって文字通り赤く染まったという。
その血は空中で雨に混じり、まるで血の雨のように地に降り注いだとか。
文書には、当時の生存者の証言が断片的に残されていた。
『蒼井高良は狂ったように自らの手についた血を洗おうとしていた』
『あれは事故だと言っても、彼は一切耳を貸さなかった』
やがて彼は崖から海へ飛び降りたらしい。
あの頃はオカルトが信じられていた時代だ。
彼が怨念へ変わることを恐れた街の人々は、あの崖に長椅子と手洗い場を立て、蒼井高良を祀ったらしい。
ただその事件を知る人が少なくなると、わざわざあそこまで水道管を引いている意味が無いという理由から壊され、長椅子だけが残された。
その椅子も巡り巡って、現在はベンチになっているというわけである。
俺は文書を閉じ、思い出した。
職員室の前に貼られていたメモ。
『蒼井高良の眠る崖に』
「……もう1回、行ってみようかな」
数時間後にそこで見たものは、福島先生にも言わなかった。一生、俺の中に眠るんだ。
彼は全てが俺の自由と告げたが、俺は彼のアオイという苗字を名前だと思っていたので、やはり彼は過去の人なのだと実感した。
俺には何も、変えられないのか。
空は晴れていた。
海は凪いでいた。
雨男は泣いていた。
でも、最後は笑っていた。
コメント
1件
うわぁ…「洗いたかったんだ」「綺麗になりたかったんだ」っていう台詞が胸に突き刺さったよ。高良くんが自分を責め続けてるのが痛いほど伝わってきて、抱きしめたシーンで涙が出そうになった。最後の「雨男は泣いていた。でも、最後は笑っていた」っていう一文、すごく好き。このエピソード、赤と雨のイメージが一貫してて、言葉の選び方が繊細で美しかった。次の展開も気になるけど、今はこの余韻に浸っていたいな…