コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
***
始業時間より早く呼び出されていた真衣香が人事総務課のフロアに戻ると既に同じ課の先輩である八木が席についていた。
八木が時間通りに席についていることが珍しいのだが、八木もまた真衣香に気がついて珍しいものでも見かけたように目を見開いている。
「遅刻かよ、珍しいな」と呆れた声を出しながら隣のデスクを見た。
もう既に立ち上がっているパソコンと制服を着ている真衣香を交互に見て八木は言う。
「じゃ、なさそうだな。なんかあったか?」
そう聞くわりには、だるそうに肩をすくめて聞くので真衣香も声色を変えないよう努力して答えた。
「なにもありませんよ」
「あ、そう。課長がバタバタ戻ってきて外出したけど、お前一緒にいたんだろ?」
なにかあったのかと確認の言葉をかけてきたけれど、八木の中で答えはもう決まっていたらしい。
人事部長の甥っ子である八木は、総務課の主任という肩書きで真衣香とともに仕事をしている。
コネ入社だなんだと何かと噂をされるのは、気の抜けたやる気のない口調や、ほぼノーネクタイのスーツ姿。それにプラスしてサラリーマンにしては明るめの髪色が与える印象も大きいのだろう。
また、自由な言動や行動も大いに目立つ。
しかし、だ。
ここぞと言う時には中心に立ち仕事に参加しているし、今この瞬間の真衣香のように誤魔化せば見抜いてくる。
そんな人物だと真衣香は思っている。
仕事を押し付けられる形が多いのにもかかわらず、受け入れてしまうのは、認めてしまっているからなのだろう。
まさか、口に出すと調子に乗ってしまいそうなので言葉にはしないのだが。
典型的な〝仕事ができない人間〟ではなく〝仕事を敢えてしない〟実力ある部類のサボる人間だと思う。
(坪井くんとは別の意味で人の心に入り込んでくる人だよね)
頭の中に、ぽやん、と坪井を思い浮かべたところで八木が言った。
「営業部となんかあったろ、課長ボヤいてたし高柳さんのこと」
「ちょっと頼まれてた仕事ミスして……私が。でも一応解決しました」
真衣香がその問いに目を泳がせながら答えると。
八木は、へぇ……と声を出しながらパソコンを触っていた手を止め、腕を組んで愉快そうに真衣香を見て目を細めた。
そして、自分のデスクに置いてあった段ボールを片手で持ち上げ真衣香を手招く。
招かれるまま近寄っていると、また八木が話し出した。
「ま、解決したんならいーけどよ。これ頼まれてくれるか? 誰かさんが珍しく朝イチいねぇから仕事進んでないんだよな」
口角を嫌に上げニヤッと笑った八木が、相変わらずネクタイで締められていない首元から鎖骨を覗かせ真衣香に段ボール箱を渡した。
(いつも朝イチいないのは八木さんなんだけど……)
そう思っても、もちろん口にはできず。
ズン……っと、大きさの割に重さのある手元を見た。
「営業部2課、社員証ケース……ですか」
段ボールに貼り付けられた用紙の文字を読み上げる。
「そ、持って行ってこい」と、八木が真衣香の目を見て言う。
「あ、そっか。先週大量に注文書きてましたよね営業部から」
「繁忙期入ったからな。短期の派遣がどっと来たろ、昼からも制服届くけどまずそれ急いでくれって言われてただろが。行って来い」
「わかりました!」
普段怠けているようで、でも指示の出し方や自信の持ち方なんかは真衣香には真似できない。
だからサボってても文句なんて言えないし。 と、心の中で愚痴っていると。
「仕事内容が違うからな、不満なんていくらでも出るんだよ」そう、唐突に八木が言った。
「はい?」
段ボールを抱えながらフロアを出ようとした真衣香は何の話かと聞き返す。
「自分のやること全部、先回って終わらせるくらいでいろ。いいか? 言わせねぇようにすんだよ、お前は正確だけどトロイからな。突っ込まれやすい」
振り返った真衣香とは目も合わせずに八木は言った。
恐らく今回のことの助言だろう。
しかしそれ以上はなにも言わないし、パソコンからも目を離そうとはしない。
そうなると、これ以上の言葉を引き出すのは難しい人だ。
真衣香は「ありがとうございます」と小さく伝えた後、そのまま続けて「じゃあ行ってきますね」と軽く頭を下げ総務課を後にしたのだった。