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「自分で貼れますから大丈夫ですよ…!」
「いいから」
有無を言わさぬ声と共に手首を取られ、包帯を巻くように丁寧に湿布を貼ってくれる。
その手つきは、本当に真剣で優しくて
指先がひどく優しくて胸が温かくなった。
「……ありがとうございます」
「…大したことはしてない。ただ、何もされてないならよかった」
ホッと肩の力を抜く尊さんを見て、申し訳ない気持ちと感謝が溢れてしまう。
俺のせいで、彼に余計な心配をさせてしまった。
「…尊さん……本当に、助けてくれてありがとうございます…っ、本当に心強いです」
「……いや、遅くなって悪かった。すぐに助けてやれなくて」
尊さんが視線を逸らしながら言葉を探すように少し間をおいた後、口を開いた。
「さっきの男、前に言ってた元カレか?」
「……」
否定すればいいのに口がうまく動かない。
隠す必要もない、けど、認めるのが少し怖かった。
代わりにこくりと一つ頷くしかできなかった。
「……そうか」
尊さんの表情からは何も読み取れない。
何を考えているんだろう。
(もしかして…怒ってる……?)
どちらにせよ自分のことで迷惑をかけてしまったことへの罪悪感が募る。
「すみません…まさか再会するとは思わなくて…しかも尊さんに迷惑かけてしまって…すみませ──」
「それ以上謝るな」
「で…でも」
「そんなことより、お前の体の方が大事だろ」
真っ直ぐな瞳が刺さるようだ。
言葉選びは単純なのに込められた想いの重さに息を呑む。
彼の愛が、真っ直ぐに伝わってくる。
「尊さん……」
(そうだ……もうあの頃の弱かった自分じゃない)
「本当に、ありがとう…ございます」
素直な気持ちが伝わったのか、尊さんが微かに微笑んだ。
その笑顔が、俺の不安を全て吹き飛ばしてくれる。
そしてふと気づけば車内は薄暗く夕陽が差し込み始めている。
もう、一日の終わりに近づいている。
今日という一日があっという間に過ぎていくのだと思った。
◆◇◆◇
更衣室で着替えを済ませ
今日レンタルで借りた浮き輪やレジャーシート、パラソルを店に返却すると
足取りは少し重かったが、心は満たされていた。
再び車内に戻り、少し溶けたかき氷を付属のスプーンストローでパクパクと口に放り込む。
冷たい甘さが、口の中に広がる。
かき氷というより、もはやシャーベットか。
──車窓の外はすでに深い藍色に染まっていた。
夕日は水平線に溶け込み、空と海の境界線が琥珀色に輝いている。
遠くで響く波の音が一日の終わりを告げるようで、どこか名残惜しい気持ちになった。
このまま時間が止まればいいのに、と願うほどに。
「このあたりでいいか……」
尊さんがゆっくりアクセルを踏み込む。
目的地のRVパークは海水浴場からわずかな距離の山裾にあり
舗装されたロッジのように整然とした区画が並んでいた。
敷地内は照明が少なく、星空がよく見えるよう工夫されている。
都会の喧騒からは完全に隔離された静寂が広がっていた。
静かで、とても落ち着く場所だ。
「……想像よりずっといい場所ですね」
駐車スペースに滑り込ませた尊さんの愛車はRVパークの中ではコンパクトなほうだった。
辺りを見渡すと、家族連れやカップルらしい車影がちらほら見える。
みんな、それぞれの時間を過ごしている。
「あぁ、一晩車中泊するだけなら十分だろ、防犯もしっかりしてるし」
「それに、ここなら星も見えそうですね」
「…ちょっと出てみるか」
そう言い、尊さんがエンジンを切り、エアコンの運転音が消えた車内は途端に静まり返る。
その静寂が、心地よかった。
上着を羽織って外に出る。
夜空を見上げると雲ひとつない漆黒に小さな光の粒が瞬いている。
忙しい普段の帰り道では決して味わえない贅沢な風景に胸が躍った。
都会の空とは比べ物にならないほどの星の数だ。
近くの自販機で俺が紅茶を、尊さんがコーヒーを買った。
車に戻ると、俺たちはすぐにバックドアを跳ね上げて、荷台の縁に腰をかける。
二人並んで座るのが、自然で嬉しい。
夜空の美しさに目を奪われながら
缶のプルタブを同時に開け、その冷たい飲み物を喉に流し込んだ。
「……夜になって寒さも増してきたな」
「はい…でもなんかいいです、こういう夜も」
いつもなら賑やかに話すが、何となく無言になってしまった。
お互いに今日一日の出来事を反芻しているんだろうか。
「……今日はいろいろあったな」
不意に尊さんがつぶやいた。
その声は柔らかい。
「そうですね……まさか海で…って、すみません!楽しい一日だったのに最後に変な空気にしちゃって……」
「別にお前のせいじゃないだろ。それに…」
尊さんは一旦言葉を切り、真剣な眼差しでこちらを見る。
「あのときのお前、微かに手が震えてた。なのに車戻っても無理して笑ってたろ」
「……!」
「…俺が気付かないとでも思ったのか?」
図星を突かれ返答に困る。
尊さんの洞察力には恐れ入るばかりだ。
隠し事なんて、通用しない。
「…尊さん…っ、俺のこと、見すぎですよ…」
苦笑いしてそう返せば
「お前から目離すと何があるかわかんないからな?」
「も、もう!俺そんな子供じゃないですよ!」
尊さんと話していると、自然と口元が綻ぶ。
彼の前では、素直な自分でいられる。
すると、尊さんはふっと笑って
俺の気持ちを汲み取ったように、頭を撫でてくれる。
「…俺は、そういうお前の自然な笑顔の方が何倍も好きだ」
「……っ」
思わず涙腺が緩みそうになるが、同時に笑みも溢れ出してくる。
この人は、どうしてこんなにも優しいんだろう。
「…本当に……優しすぎて、ずるいですよ」
空になった缶を床に置くと同時に、尊さんがそっと俺の手の甲に尊さんの手のひらを重ねてきて
その温もりが、再び俺の心を溶かす。
「ふっ…お前が涙脆いだけじゃないか?」
その温もりに胸の奥が熱くなる。
尊さんの温もりがじわりと身体中に広がっていくようだ。
(あぁ、この人といると本当に安心できる……全てを委ねられる)
しばらくそのまま星空を見上げていた。
無数の星たちが祝福するように煌めいている。
まるで、俺たちの未来を照らしてくれているみたいだ。
その時、突然強い風が吹き抜けた。
汗の引いた体がぶるりと震える。
「寒くなってきましたね」
「そろそろ中入るか」
二人で車内に戻ると、シートを倒して簡易ベッドに作り変える。
狭いスペースだけど、尊さんが予め後部座席に備えていてくれた毛布もあって、寝心地は良い。
お互いの体温が心地よい距離感だ。
車内で寝ることには少し不安もあったが、むしろその密着感が心強く思えた。
この狭さが、逆に安心感を与えてくれる。
「恋、もっとこっち寄れ。寒いだろ」
「…ふふ、尊さんの匂いがして…よく眠れそうです」
言われるままに尊さんの傍に寄り添い、同じ毛布に潜り込む。
密着する身体と体温がとても暖かくて安心した。
尊さんの匂いに包まれて、心が安らぐ。
尊さん独特の香りが鼻腔を満たす。
安心できる、大好きな匂いだ。
「そりゃいい。おやすみ、恋」
「…尊さんも、おやすみなさい」
目を閉じる直前、尊さんの手がそっと俺の頬に触れていったのを覚えてる。
まるで、キスをするかのように優しいタッチだった。
今日一日の出来事が走馬灯のように巡る。
元カレの登場もあったけれど、それ以上に尊さんと一緒にいる時間がどれだけ大切かを痛感させられた日だった。
明日は何をしよう。
きっと、残りの時間も最高の思い出になる。
そう思ったところで意識がふわふわと眠りの世界へ沈んでいく。
車のシートと毛布の柔らかさ。
耳元で低く響く尊さんの息遣い。
窓の外では静かな夜風が木々を揺らしている。
今まで経験したことのない「車中泊」という一夜がこんなにも心穏やかで幸せなものだなんて。
全ては、隣に尊さんがいるからだ。