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「私のことっすね」
黒瀬さんは、さらっと爆弾を落とした。
「……はい?」
耳を疑う私をよそに、黒瀬さんは平然と続ける。
「取引先に付き合って、そういう店へ顔を出していたのは主に私です。坊ちゃんは、お酒も夜のお店も大の苦手ですから」
「黒瀬」
慧の声が低くなる。けれど、黒瀬さんはまったく気にしていない。
「それに、器用に遊べるような方じゃございませんよ」
「おい。余計なことを――」
「むしろ、ドン引くほど重くて面倒くさ――」
「黒瀬。そこまでだ」
「はいはい。失礼いたしました」
今の、絶対に反省してない。
(え……。お酒も夜のお店も苦手?)
(っていうか、ドン引くほど重くて面倒くさいって何!?)
ものすごく気になる言葉を聞いてしまった。
「ねえ、それってどういう――」
「神代社長、少々よろしいですかな」
尋ねようとした途端、別の招待客から声をかけられた。その後も、お偉いさんたちが次々と挨拶に訪れ、結局、答えを聞けないままパーティーはお開きとなった。
***
パーティーからの帰り道。車内の後部座席で、私は酒の回った頭を、白いシャツ姿の慧の肩へ預けていた。窓の外を、都会の夜景が流れていく。
「酔ったのか?」
「うーん。少しだけ……」
緊張が解けたせいだろうか。行きの車ではあんなに落ち着かなかったのに、今は慧の肩が妙に心地よかった。
「ねえ」
「何だ」
「私、少しは役に立てた?」
「十分すぎる」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「ふふっ。よかった……」
安心したせいか、言わなくてもいいことまで口からこぼれた。
「あんたが夜のお店に行ってるって聞いたとき……少しだけ不安になったの」
「何がだ?」
「妻役なんて、私じゃなくてもよかったんじゃないかって」
「……嫉妬したのか?」
覗き込むような瞳と、至近距離で視線が合う。
「……したなら、どうする?」
「っ……」
慌ててそっぽを向く横顔。
「ふふっ。何それ。嬉しいの?」
「……違う」
「嘘。今、絶対に嬉しかったでしょ?」
「酔っ払いの勘違いだ」
「そういうところが、いちばん可愛いんだから」
「……うるさい。酔っ払いは大人しく寝てろ」
ぶっきらぼうに言いながら、慧は私の頭を自分の肩へそっと引き寄せた。
(マンションに着くまで……今だけは、こうしていたい)
そう思ったところで、私の意識は眠りへ落ちていった。
***
深夜。マンションの地下駐車場。
「坊ちゃん。お手伝いしましょうか?」
「いや、いい。お前はもう帰れ」
「ですが……」
「大丈夫だ」
慧は、眠る玲奈を腕の中へ横抱きにしていた。完璧なお姫様抱っこだ。玲奈は何も知らず、慧の胸元へ頬を寄せ、すうすうと穏やかな寝息を立てている。
そんな彼女を見下ろす慧の目は、黒瀬がこれまで見たことのないほど優しかった。
(やれやれ)
(全世界に牙をむく坊ちゃんに、こんな顔をさせられるのは、奥様くらいっすよ……)
もちろん、口には出さない。
「ところで、坊ちゃん」
「何だ」
「あの噂の真相、本当にお話ししなくてよかったんですか?」
「ああ。今はまだ、な」
黒瀬が夜の店へ顔を出していたのは、接待だけが理由ではない。14年前、突然姿を消した玲奈を、慧は一度も忘れられなかった。
中学から渡米し、神代グループの現地法人を立て直して帰国した慧が、真っ先に始めたのが彼女の捜索。
二人が出会った町で聞き込みを重ね、倒産した父親の会社を手がかりに、本名と、父親の失踪後に祖母へ引き取られたことまでは突き止めた。だが、その先の足取りは途絶えた。
唯一の手掛かりは、弟の進学費用を稼ぐため、昼は会社員、夜は都内の店で働いているらしい――という噂だけだった。
「それで、“れな”だの“レイ”だのがいる店を、片っ端から回らされた私の苦労、分かってます?」
「分かっている」
「14年分の私情を、いつまで仕事のふりで隠すおつもりですか?」
慧は答えなかった。ただ、眠る玲奈を抱く腕に、少しだけ力がこもる。
「玲奈が知れば、重いと思われる」
「今さらでは……?」
「黒瀬」
「はいはい。これ以上は、野暮ってやつですね」
黒瀬は片手をひらひらと振り、その場をあとにした。慧は玲奈を抱え直し、エレベーターへ向かって歩き出す。
その横顔は、ようやく見つけた彼女を、今度こそ二度と見失うまいとしているように見えた。
コメント
1件
黒瀬さんの「私のことっすね」からの嫉妬シーン、すごく良かったです……! 夜の店巡りが実は玲奈さんを探すための14年分の私情だったって真相、胸がぎゅっとなりました🤍 お姫様抱っこで慧さんの優しい顔を見て「やれやれ」って思う黒瀬さんの視点も好きです。重い想い、ちゃんと届いてほしいな……