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【プロローグ】
この世界は実に苦悩だらけだ
『晋くんは赤面症だと思われます』
医師にそう告げられたのは晋が中学二年生に上がった頃だった。
それは突然発症した。
赤面症……簡単に言えば、人前で緊張すると顔が赤くなる病気だ。
世の中には『あがり症』や『赤面恐怖症』なんて言われる病気があるが
その根本が『赤面症』だった。
しかし症状の酷い人は外に出ることを恐れたり
最悪だと外出すら出来ない。
そんな病気に自分がなるなんて夢にも思っていなかったし、家族も同じことを思ったろう。
だが医師の診断は絶対で、晋は赤面症を治すために通院する事になった。
そのお陰もあって
人前で発表するときや
授業で朗読などをする前には腹式呼吸をして
自分で緊張を解したりなど。
ある程度は普通に人と接することが出来るようになった。
それでも赤面症を完全に治すことは出来ず、家族以外の前ではマスクで顔を隠して過ごすのが日常だった。
そんな日々の中でも、別に誰かに虐められるということはなかったし
普通に友達もいた。
でもあるとき
昼休みに机に向かって一人小説を読んでいると
「なんで晋っていつもマスクしてんの?2年生の終わりごろからし始めたよな」
と、前方を歩いてきた男友達に聞かれた。
「別になんでもないよ、ただ、マスクしてると落ち着くから」
しかし男友達の「ふーん」という興味のなさそうな返事に、少しイラッとする。
「じゃあさ!ちょっとマスク外してみてくれよ!」
「……え?やだよ……」
「いいじゃん!ちょっとだけだからさ!」
そう言って、マスクに手を伸ばされて抵抗する間もなく、マスクを剥ぎ取るように外された。
「なんだよー、べつに普通じゃーん…て、お前、なんでそんな顔赤くしてんの?」
「か、返せよ……」
「…なんか、お前…キモくね」
「えっ……」
キモイ
そう言った男友達の言葉は、まるで鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。
それ以来、人の顔を見れなくなった。
元々人の顔を見るのは苦手な方だが、それでも少しは平気だった。
でも、さっきみたいに突然マスクを取られれば
当然、緊張から顔が赤くなるし
その顔を他人に見られて「おかしな奴」と白い目で見られる。
もうダメだった。
その男友達が周りの友達やクラスメイトに言いふらしたのか、次の日学校に行くと
廊下を通っただけで、教室の入口前で屯っている女子にコソコソと悪口を叩かれるようになった。
『ほら、あいつ…』
『「赤面症」なんだって』
『なにそれ?』
『顔真っ赤になるんじゃない?知らんけど」
『えー、変だよね~そんな人初めて見た』
そんな女子達の会話に、僕は耳を塞ぎたくなった。
聞こえてるっての…と、彼女らを見ていると
『なんかこっち見てるんだけど、こわ』
語尾に笑をつけてそう言われれば
ただ下唇を噛んでその場から後退ることしか出来なかった。
少しでも目を合わせれば「なんでマスクしてんだろ?」と不思議がられ、変なやつ扱いされる。
あっという間に「赤面症」というレッテルを貼られて、居場所なんて探すことさえ諦めた。
それ以降
周りから聞こえてくる悪口に耐えられなくなり
休み時間はトイレの個室に篭り
外にいるときはずっとマスクを外さず過ごすようになった。
マスクは僕にとって必需品で
周りと違う子供
両親も、そんな僕を見てがっかりしたことだろう。
そんなある日の夜、寝つきが悪くて目を覚ました
水でも飲もうかと思ってリビングに向かうと
リビングの扉が少し開いているのか、隙間から光が差し込んでいた。
もう寝ているはずの父と母がなにか言い合いをしているようだった。
(こんな夜中に、なに話してるんだろう…?)
珍しい、と思って、壁に身を潜ませて聞き耳を立てる
「晋の病気のことだけど───」
(え……僕の話……?)
急に自分の名前が会話に出てきて、心臓がビクッと跳ねる。
「あの子、ずっとあのままマスク付けて過ごすの?」
「……晋は病気なんだ。あれでも別にいじめられてるわけじゃないだろう」
「でも、あの子がこのままずっとマスク付けてたら、彼女は愚か、友達だってできないかもしれないじゃない!」
「考えすぎだ、もう高校生になるんだ、そのうち治るさ」
「……私たちの育て方がいけなかったのかしら」
「……」
母の涙声が聞こえた。
もう僕はそれ以上聞きたくなくて、音を立てないように慌てて部屋に戻った。
それでも頭にはさっきの会話が酷くこびりついて離れない。
(…ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)
唇を噛み締めて、布団のシーツを涙で濡らした。
泣きたいのはこんな子供を持った両親たちだろうに、僕は泣く資格なんて無いのに
溢れた生暖かい涙は一向に止んでくれない。
(僕が、みんなみたいに普通にできないから……変なやつだから、いけないんだ)
子供ながらにそう思い込み、僕は僕を責め続けた。
両親を心配させないために、マスクを外そうかと思ったときもあったが
今の自分にとってそれは虚像すぎて無理だった。
僕にとってマスクは皮膚と化していた
それほど、周りの評価を恐れ
赤くなってしまう表情を晒したくなかったのだ。
どんどん自分を卑下し、傷付けて
息をするので精一杯だった。
だが、そんな自己肯定感の低さは悪循環へと繋がるだけだった。
中学三年の国語の授業で、教卓の前に立って2分間簡単なスピーチをする、というものがあった。
来週には番号順に1人ずつ前に出て発表してもらうので準備しておくように、と先生に予告をされただけで、それは最早僕にとっての殺害予告だった。
クラスメイトから一斉に視線を浴びることは今までの経験上無いに等しい。
それをいきなりやれなんてのも鬼畜の所業だと思ったが、休んで逃げても後からどうせしなくてはいけなくなる。
そんなに学校も社会も甘くない
発表当日。
原稿はちゃんと用意してきた。
でも、一人、もう一人と発表をしていくのを見ているうちに、手は震えるし冷や汗が出てきた。
そして、自分の番が来る。
「じゃあ次、28番の奥村」
「は、はい……」
教卓まで歩いていき、クラスメイト達からの視線に緊張が最高潮に達する。
「はい、2分測るからね」
そのカウントダウンですでに頭が真っ白になっていた。
(無理、消えたい、死にたい)
「……っ、……っ」
(やばい、うそ、声、出ない……なん、で、文字…読まなきゃ、声に出さないと…早く、言わなきゃ…なのに…っ)
(やばい、顔また赤くなってない、?僕、大丈夫……?怖い、無理だ、こんな)
「……っ、……」
嗚咽が喉奥から漏れ出て
小粒の涙が目から零れた。
それをきっかけに、もう涙は止まることなく流れ続けて、僕は俯いてしまう。
それはマスクの間から侵入してきて口元まで水滴は降りてきて、しょっぱい味がした。
クラスメイトのざわつく声が耳に入るが
もう消えたさしか感じなかった。
こんな弱い僕の存在ごと消してくれとさえ思った。
『え、どしたどした』
『普通泣く?』
そんな声ばかりが聞こえてきた後、そんな僕の肩に手を置いて、先生は優しく言った。
「奥村くん、大丈夫?保健室行く?」
その優しさが今の僕にとっては
|仇《あだ》にしかならなかった。
「っ、……すみません」
僕は小さく首を縦に振って、原稿用紙し自分の机に置いて
逃げるように教室を出て保健室に向かった。
僕はどれだけ醜態を晒せば気が済むんだろう、と自分の醜さを再確認した。
あの後、保健室で熱を測らしてもらうと
さっきの教室での尋常ではない緊張のせいか、熱があって帰宅を命じられた。
マスクも涙でびちゃびちゃに濡れていたので洗ってから帰ることにした。
(もう時期、三者面談も控えてるのに……絶対こういう事があったって報告されて、また迷惑をかけてしまう)
「……っ」
家に帰ると当然両親に「晋、早退したの?」と聞かれて
僕は必死に笑顔を作って
「ちょっと体調悪くなっちゃって…はは、もう高校受験も近いし、勉強詰め込みすぎちゃったのかも!」
子供らしく笑って、取り繕う。
それが僕にできる唯一親を安心させる抵抗だった。
「大丈夫?あまり頑張りすぎずにね、何かあったらちゃんと相談するのよ?」
「うん、分かってるよ」
相談なんてできるわけがない
もう学校に行きたくない
なんて本音も、笑顔で必死に包み隠すしかなかった。
自室に戻って、学ランを着たままベッドに体を沈ませる。
もうどうしていいかわからず、枕に顔を埋めて声を殺して泣いた。
「ひっ……ぐ、っ……」
(もうやだ、なんで僕だけこんな目に合わなきゃいけないんだ)
そんな疑問が頭に浮かぶ
でもその答えは明白だった。
僕が「赤面症」だから
ただそれだけだった。
そんな中学校生活を過ごしていくうちに、自分に自信が持てなくなっていった。
心が不安定な状態のまま、志望校への入学が決まった────。