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桜が舞い散る四月、僕は真新しい制服に身を包み
期待と不安が入り交じる気持ちで高校の門をくぐった。
正直
中学時代から悩まされている赤面症のせいで
友達が出来るか不安だったが、出来なくてもいいとすら考えている。
流れるように体育館での入学式を終えて教室に戻る。
(もし目の前で症状が出たら、また離れて行かれるかもしれないし、だったら最初から深く関わらなければいい……)
そんなことを考えながら自分の教室に向かうと、僕は黒板に書かれている名簿順に自席に腰を下ろす。
観察するように顔を動かさないで辺りを見渡すと
すでに色んな人と人で固まっていた
その中でも、1人際立って目立っている人がいる。
その人は、このクラスには他にはいないほどの長身で、爽やかな声と笑顔を振りまいている。
まるで芸能人のような存在感を放っていて、
とてもじゃないが僕と同じタイプの人間には見えない……
完全なる陽の者だろう。
すると担任が教室に入ってきて、全員が自席に着席する。
「はい、改めて皆さん入学おめでとう!今日から3年間このクラスの担任をします、川浪です。担当教科は音楽です」
黒板に名前を書き終えると、川浪先生は話を続けた。
「じゃあ、これから自己紹介をしてもらうから、出席番号順にお願いね」
そう告げると、出席番号1番の人が立ち上がり自己紹介を始めた。
僕はその人の話を聞きながら、自分の番が来るのを待っていた。
生徒が名前と趣味などを話すと
それに先生がアクションを取って
他の生徒もそれに反応して、和気あいあいとした雰囲気で自己紹介は進んでいく。
そんな中で、自分の順番が来るまでの間
周りにバレないように背筋を伸ばし
鼻からゆっくり息を吸い込んで
口からゆっくり息を吐き出して、お腹を凹ませる。
そして、遂に僕の番が回ってきた。
僕は席から立ち上がり、名前と趣味を簡潔に話す。
「奥村晋、趣味は読書とドラマ鑑賞です」
そう告げ、よし、普通に言えた…
と安堵したのも束の間
横で傍観していた|担任《川浪先生》から
「奥村くん、話すときぐらいマスクを外したらどう?」
と言われてしまう。
「あ……いや……」
僕は咄嗟にそう呟いたが
周囲からも「なんでマスクしてんの?風邪?」だの
「ドラマって何見るのー?」など好奇に満ちた声が上がり始めて、
僕は蚊の鳴くような声で
「違…っ」「ドラマは…とか」と口を動かすが
ボソボソと言ってしまったせいで「ごめん今なんて?」と聞き返される。
もちろん、悪意は無い。
だからこそタチが悪い。
そんな周囲の好奇の目に晒されるのが辛かった。
予想していなかった事態に言葉が詰まる。
すると先生に出席簿で頭を軽く叩かれ
「マスクしてるから聞こえづらいのよ、奥村くん」と呼んでくる。
最悪だ。
何か言わなきゃいけないのは分かってる。
それでも一度注目されると、言葉なんて喉の間に突っかえているみたいに嗄れて
俯いて何も言えなくなってしまう。
早く自己紹介を終わらせて、この場から逃げ出したかった。
そんなとき、そんな雰囲気を一蹴するように、爽やかでよく通る声が教室に響いた。
「先生ー、無理強いはよくないって。奥村くん困ってるじゃん」
それはさっきの長身の男子だった。
クラス中が一斉にその声の方へ視線を注ぐ。
「自己紹介とかちゃちゃっと終わらせて帰りたいんですけどー?」
その瞬間、一気にクラス内の空気が張り詰めて沈黙に支配された……かのように見えたが
それは僕の思い込みだった。
次の瞬間には教室の空気が和らぎ
「ちょっ、それ単に沼塚が早く帰りたいだけじゃん~!」「本音漏れてんぞー」と笑い始める男女。
その沼塚のおかげで、僕の自己紹介は早く終わりを迎えることができたのだった。
そして僕は自分の席に戻ると、僕の正面に座っていた沼塚が、くるりとコチラを向いて
「あんな質問責めされたらびっくりするよねー」
困ったように笑ってそう言った。
それに僕は少しドギマギしながら小さな声で言葉を返した。
「……あり、がと」
「んーん、あっ次俺の番か」
すると沼塚は、僕の前の席の男子が自己紹介を終えたタイミングを見計らって、立ち上がった。
長くスラリとした足
その足から繰り出される大きな一歩一歩が、彼の存在を大きく見せていて
席から立ち上がり、正面を向き、教壇に向かって歩いて行くだけで
教室全体の空気が一変したような……
そんな不思議な存在感を放っていた。
「沼塚朔です!趣味はー…ゲームとか?あと漫画めっちゃ読む!俺喋んの好きだから気軽に話しかけてくれたら嬉しいな~よろしくね!」
その言葉には抑揚があり、力強くて聞き取りやすくて……
まるで歌でも歌っているかのようにスラスラと言葉が出てくる。
一体どんなものを食べて育ったら
こんなキラキラとした人間になれるのか
不思議で仕方ない。
僕含め、他の生徒も彼の自己紹介に聞き入っていて、教室の空気は彼のものになっていたと言っても過言では無い。
そして、沼塚が自席に戻り
それから他の生徒も順番に自己紹介をしていき、
あっという間に全員分の自己紹介が終わり
帰りのHRを迎えた。
そして帰りのHRで先生が、明日からの授業や学校生活について軽く説明し終わると、解散となった。
周りの人達は
「LINE交換しよ」
「あっインスタやってる?」
などと話して早速連絡先を交換しているようだった。
みんな孤立しないように必死なのがわかる。
それは僕の方にも来て、断ることもないのでなんとなくでLINEを何人かと交換した。
友達追加をして、スマホをポケットに入れると
僕はそそくさと教室を出て
足早に下駄箱に向かう。
すると「いたいた、奥村!」と聞き覚えのある声に呼び止められて振り向くと、そこには沼塚がいた。
僕は驚きのあまり固まってしまう。
なんでここに? いやそもそも何の用だ??
そんな疑問が頭を駆け巡るが、彼を見ていると自然と緊張で心拍数が上がってしまう。
「まだいてよかった~」と言う彼を不思議に思いつつも、足を止めて彼が追いつくのを待つ。
(な、なんだろ…)
「奥村さ、インスタとかやってる?やってたら繋がりたいんだけど」
僕は突然の申し出に一瞬言葉に詰まった。
でも、彼もきっと友達を増やしたいだけだろう……そう思い正直に答えた。
「あっ…うん、一応やってる」
すると「おっ、じゃあ繋がろ、奥村のQRコード読み取らせて?」と言うので
僕はズボンのポケットからスマホを取り出して
Instagramのアプリを起動する。
ホームを開いて自分のQRコードを表示させると、沼塚はスマホを僕のQRコードにかざして読み取った。
そして、すぐに友達追加の通知が届き、僕はそれをタップして確認すると
新しく追加された彼のアイコンには、僕もよく知る漫画のキャラのイラストが映っていた。
(あ、沼塚……も好きなんだ、これ)
僕は、そんな共通点を見つけて少し嬉しくなる。
そんなとき
沼塚のことを呼ぶ男子と女子たちの声が後ろから聞こえてきた。
「ねー、まだー?」
「カラオケ行くんだろ、早くしろー」
すると沼塚はそれに「おー、今行く!」と遠くに聞こえるぐらいの声で返事をして
スマホをポケットにしまいながら
「ありがと!じゃ、また学校でねー」と僕に言って走っていった。
僕はその背中を見て、本当に同い年なのか……と呆然としていた。
ハッとして僕も帰るか、と思い校門を出て帰路に着く。
僕は札幌から隣の市の小樽の高校にバスと電車を使って凡そ2時間かけて通学しているため
帰りはいつも18時近くになる。
まあ、今日は入学式ということもあって早めに終わったので、17時ぐらいには家に着けるだろう。
小樽の街は、海沿いにあって漁業を中心に栄えていて、大小様々なお店が立ち並んでいて活気に満ち溢れている。
そんな街並みを今日もぼんやり眺めながら、洗心橋と書かれた小樽駅前経由のバス停に並ぶ。
今は14時55分…
次のバスとなると15時01分だ。
僕はバスを待つ間
スマホでインディーズ小説が掲載されているアプリを開き、その中のミステリー小説を読んで時間を潰す。
ミステリー小説は、僕が唯一と言っていいほど
小学生時代からハマっているものだ。
そこからストーリーを読み進めていくうちに、気付けばバスが停車していた。
扉が開いたので、スマホをまたズボンのポケットにしまって、列に付いていく。
そして、リュックサックにリールで繋げた定期を取り出して機械に翳し、バスに乗り込む。
バスの中は空いていて、僕は1番後ろの座席に座って発車を待つ。
そして定刻になりドアが閉まった。
バスが動き出すと、先程までいた乗客がバス停ごとに降りて行き
また次のバス停で乗り込んでくる。
そんなことを何度か繰り返しているうちに僕の降りる停留所に着いたので降車ボタンを押した。
すると「次、止まります」というアナウンスが流れてきて
その数秒後、停車して扉が開いたのでピッと定期を翳してバスを降り
小樽駅に向かって歩き出す。
そして駅の中に入り
改札を抜けてホームに立つと、丁度電車がやって来るアナウンスが流れてきた。
僕はその電車に乗って座れそうな席を探すが、座るスペースは見当たらず
仕方ないので立ってスマホゲームをしながら電車に揺られる。
最寄りの札幌駅に着き、改札を抜けて駅を出る。
それかは横断歩道を3つ渡って
またバスに乗る。
ちょうど発車の5分前で、既にバスも到着していた。
それに乗車して、いつもの帰り道を進んでいく。
そして自宅に着き
扉を開けて「ただいま」とだけ呟き
玄関で靴を脱いでいるとリビングから母が出てきた。
「おかえり、入学式どうだった?」と笑顔で聞いてくる。
「まあ、普通かな」
「そう。友達できた?」
「LINEとか交換したぐらい」
中学時代、途中から赤面症のことがクラスにバレて白い目で見られるようになって
保健室登校をするようになってから
両親には凄く心配をかけたし、それを今も気にしてくれているのだろうと思う。
それに感謝しつつ、僕は母を安心させるように笑みを作って、自分の部屋に向かった。
そして部屋に入り、制服を脱いでスウェットに着替えると、ベッドにダイブする。
(今日は疲れた…)
まだ初日だけど、月曜日から新学期が始まる。
正直、友達が出来るかは不安だけど、まあ何とかなるだろう。
そして2日後の月曜日
「晋!起きなさい!」というお母さんの声で目が覚めた。
時計を見ると7時前だ。
僕は慌てて飛び起きてリビングに降りると、既に夕食がテーブルに並べられていて
テレビの前でネクタイを結ぶ父が僕に振り向いて「やっと起きたか」と笑ったので
「ごめん」と謝ると、母は僕の分のご飯を茶碗によそってくれて
「早く食べちゃいなさい」と言ってきた。
僕はすぐに席について、お母さんによそってもらったご飯をかき込むんだ。
父がネクタイを結び終え、席に着くと母がお茶の入ったコップを父の前に置く。
「晋、今日から新学期なんだから遅刻しないようにね」
母がそう言ってきたので僕はご飯を呑み込んで
「大丈夫だよ、もう高校生なんだし」と答える。
「そう?でも高校生になったからって油断しちゃダメよ」
と母は優しく笑った。
「うん、わかってるよ」
僕は皿の底が見えてきたご飯を平らげて麦茶で流し込むと「ごちそうさま」と言って
自分の皿をシンクにつけて、リビングを出て自室に戻る。
そして制服に着替えてリュックサックを背負い、
玄関に向かうと
母が「いってらっしゃい」と送り出してくれたので
「いってきます」と返して玄関を出て、登校した。
───学校に着くと、3日ぶりの教室には
既に何人かのクラスメイトがいて
僕はその中に沼塚もいることを視認した。
彼は今日も友達に囲まれて太陽のように笑っている。
本当に、僕とは正反対の人だな…
そんなことを考えつつ
自分の席に腰掛けて机の横のフックにリュックの持ち手を引っ掛けて
ふうっと息をつく。
すると、不意に沼塚と目が合ってしまい、目を逸らすと
「おはよ」と人懐っこそうな笑みを浮かべて挨拶をしてきたので「あ…お、おはよう」と答えれば
またすぐに他のクラスメイトと話し始めたので、
僕はホッと胸を撫で下ろす。
そして、そのままHRが始まり
先生が出席を取り始める───。
昼休み、僕はとあることに気づく。
母が作ってくれたはずのお弁当が見当たらない。
リュックの中を隅々と確認したが、あるのは教材と筆記用具、長財布、ファイルと水筒だけ。
(やばい…リビングに忘れた…?)
絶対そうだ
やってしまった……
新学期初日からついてない、と意気消沈したが
今日は五六時間目に体育もあるというのにご飯を食べないわけにも行かず。
僕は仕方なく、売店でなにかを買うことにした。
正直、お金は無駄に出来ないが仕方がない。
僕は売店に行くために教室を出る。
廊下に出ると多くの生徒が行き来しているのを横目に見ながら突き当たりを右に曲がり
階段を降りて1階のロビーまで降りると、売店がある場所まで歩いていく。
そして売店に着くと、パンやおにぎりなどの商品がズラリと並べられていて
白い白衣のような服をを着たふくよかな男性が立っていた。
(あ……あった)
僕はその中で100円とワンコインでお手ごろな
ラップの上から「キーマカレー」と直筆で書かれたシールの貼られた
三角に折られたパンを手に取ると「これ下さい」と言って
代金を払って、パンを片手に売店を後にする。
そして来た道を戻って行くと背後から
「あ、奥村も今からお昼ー?」
と聞き覚えのある声がして振り返ると
ポカリスエットとラップに包まれた焼きそばパンを持つ沼塚が立っていた。
(なんでこんな気軽に話しかけられるんだ、この沼塚ってやつは…っ)
しかもこんなに人がいる場所で、だ。
言わずもがな爽やかなイケメンの沼塚
それとは正反対な根暗陰キャな僕。
周りの女子からの視線が妙に痛いし
僕は突然のことで驚いて固まってしまうが、そんな僕に構わず彼は話し始める。
「よかったら一緒に食べない?」
「……えっ……いや……え、と」
上手く口が動かないし
色んな言葉が頭上でぐるぐると回る思考の渦に巻き込まれ、身動きが取れなくなる。
また女子がコソコソとなにか言ってる気がして
重症すぎて嫌になる。
僕は焦りから、また顔に熱を持ってしまう。
手も痙攣し出して、持ってるカレーパンが少し凹んでいるのもわかる。
片手で、マスクがズレて気づかれないように必死に抑える。
「ごっ、ごめん、ほ、他の人と食べて」
沼塚の顔も見ないでそう告げて
僕はその場から逃げるように走り去った。
背後から沼塚の声が聞こえたような気がしたけど、それすら振り切った。
そのまま廊下を駆け抜けて階段を上がり
そのまま自分の教室前の男子トイレに駆け込む。
もうどうしたらいいかわからなかった。
走ったからか
症状のせいなのかは分からないけど
息が上がってきて「はぁ、はぁ……」と
必死に呼吸を繰り返すが動悸は治まらないし
顔に帯びた熱も消えない。
(なにやってんだろ僕…沼塚は、きっと善意でぼっちの僕を誘ってくれてるだけ……)
(早く教室帰ってご飯食べよう)
そう自分に言い聞かせてトイレから出て 教室に向かう。
自席に着いて、リュックサックの底から水筒を取り出して
中に入った麦茶をごくごくと飲むと
『とにかく沼塚とはあんま関わらないようにしなきゃ』
僕はそう思うことで自分を納得させた。
そんなときだった───。
「ねえ、奥村見た?」と沼塚が僕を呼ぶ声が教室の外から聞こえてきた。
(うそ、また来た)
なんて思いながらも声のする方へ恐る恐る目を向ければ、教室のドアの前に立つ沼塚と目が合う。
僕と目が合うなり沼塚は近づいてきて
ここまで来て更に逃げるのは失礼だし
そんな勇気もなくて
僕は思わず目をキョロキョロさせてしまうが
そんな僕に構うことなく彼はズカズカと教室に入ってきて
僕の目の前で足を止めたかと思うと、
僕の机に両手をついて
「奥村…もしかして1人で食べたい感じだった?」
と顔を覗き込むようにして聞いてきた。
その距離感に思わずドキッとしてしまう。
「いや……そういう訳じゃ、ないけど…ごめん、人がたくさんいるところ、苦手で…」
と言って目を逸らすが、沼塚は気にせず続ける。
「そなの?なんかごめんね、そういうことなら、ここで一緒に食べてもいい?」
と言ってくるので、断るわけにもいかず
僕がコクっと頷くと
沼塚は自分の椅子を持ってきて僕の机にくっつけて「いただきまーす!」と焼きそばパンの封を開けて食べ始めた。
(なにが目的なんだろ……っ)
僕は心の中で思うが
どうしたらいいかわからず ただ呆然と、買ったパンをマスクの隙間から頬張った。
それに対し
「食べるときもマスクしてるんだね、でもちょっと取った方がいいんじゃない?食べにくそう」
と言ってきて「あんまり言わないで」と口籠る。
するとまた沼塚は焼きそばパンを頬張り
咀嚼しながら、それ以上は何も言わなかった。
僕はその沈黙に耐えきれず
「…なんで僕に構うの?」と聞いてしまった。
すると沼塚は口の中をモグモグさせてゴクリと飲み込んでから口を開く。
「え、普通に仲良くなりたいからだよ」
当たり前みたいな顔で言うので、僕は驚いてしまうが
「そ、そう……」としか言えなかった。
(……本当によくわかんない、僕以外にも友達なんてたくさんいるはずなのに、変な奴)
僕は心の中で思うが
沼塚のその純粋な笑顔を見ると、なんだか毒気を抜かれてしまう自分がいた。
すると、そのタイミングで昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴り響き
午後の授業が始まる時間になったことを知らせた。
僕は本を閉じて机の中にしまい込み
弁当の蓋を閉めてリュックサックに仕舞うと
教科書やノートを取り出して授業の準備をした。
沼塚に目を向けると、彼も前を向いて授業の準備をしているようだった。
(次は……現代国語か)
再び予鈴が鳴ると、担当の先生が入ってきたので 僕は、授業に集中した。
起立して挨拶をしたあと、出席を取り終えると
「じゃあ、今日はみなさんには朗読をしてもらおうかなと思います」
と先生は言った。
「教科書に載ってるお話をね。1人ずつ立って読んでもらおうと思ってます」
は?うそ……人前で読むなんて一番嫌なやつなのに。
醜態を晒すかもしれないという事態に僕は戸惑ってしまう。
だが無情にもことは進み
「じゃあ、席順にしようかな……はい、立って!」
と言われ、僕らは言われるまま指定された箇所まで、順々に読んでいく。
そして気付くと僕の番がやってきた。
「じゃあ次は奥村くんね。頑張って!」
無理に決まってるだろと思わず言いそうになるもなんとか堪えた。
僕は席を立ち、指定された箇所の文字を目で追って、声に出す。
しかし、僕は途中で噛んでしまい
周りの視線も感じてか、止まってしまう。
言葉を紡ごうとしたとき
「奥村くん、熱でもあるの?顔赤いわよ」
と言われ、たじろいでしまう。
「奥村、奥村!」
先生の呼び掛けに僕はハッとしたように我に帰り、慌てて「だ、大丈夫です」と言いその場を凌ぐ。
僕の声だけが教室に響き渡り静寂が訪れる。
それに先生は「もう大丈夫よ、座っていいわ。続き、じゃあ次の人お願いできるかしら?」と他の生徒に振る。
僕はしおしおと席に座る。
それに伴って席から立ち上がって朗読し始めたが、内容なんて入ってこなかった。
それは直球に「ヘタクソ」と言われるよりも僕の心に深く突き刺さるものだった。
さっきの先生の発言もあってか
顔に熱を感じ、赤くならないように落ち着かなくてはと思えば思うほどに顔に熱を帯び始める。
焦るあまり「奥村くん本当に大丈夫?具合悪いなら無理しないで保健室行くなりしてきなさいね」と心配されてしまう始末だ。
(どうしよう……早く、抑えないとなのに)
すると、沼塚が「先生、奥村熱あるっぽいんで保健室連れて行きます」と言って僕の手を引いたので
僕は驚きつつもそれについていくしかなかった。
教室を出て廊下を歩く中、僕は彼に手を引かれたまま、その背中に声をかける。
「ぬ…沼塚、手」
僕が呟くように言うと彼は足を止めて振り返った。
僕は俯きがちになりながらも「は、離して」と言うが
「せめて保健室だけ連れていかせて」と言われれば、素直に従うしかなくて。
沼塚は僕が歩くスピードに合わせてくれて
保健室に入ったが、中には誰もいなく
無人だった。
「あれ、誰もいない…」
沼塚はそう呟きながら、保健室のベッドの閉められているカーテンを開けて言う。
「…座る?」
促され、おずおずとベッドの端に腰かける。
すると「俺、先生呼びに行ってくるから待ってて!」と言って
カーテンをガシャっと閉めて保健室を出ていった。
残された僕は、緊張がほぐれたのか
誰もいないことをいいことに
皮膚にくっつくように外せないマスクを取って
「はぁ」とため息をつく。
それから暫くして扉が開く音がして、慌ててマスクを取ろうとすると
それをベッドから落として、カーテンの隙間を通ってベッドの外側の床に落としてしまった。
それに気付くも拾う前に
沼塚が「奥村ー?マスク落としてるよ。今、先生呼んできたから、大丈夫?」と言ってカーテンをガラリと開けてきた。
慌てて腕で顔から下を隠す。
「ご、ごめん、マスク、返してくれる…?」
片手で口から下を隠して、しどろもどろになりながら言葉を発し
もう片方の手を沼塚に差し出してそう言うと
「あっ…はい、これ」と言ってマスクを掌に置いてくれた。僕はそれを受け取ると、すぐさま口元をマスクで覆い隠した。
すると沼塚が僕の顔をまじまじと見て不思議そうな顔をしたかと思えば
「もしかしてだけどさ、マスクしてるのって」
「ごめん沼塚、もう教室戻っていいよ」
僕は沼塚の言葉を遮ってそう言った。
「……そか、お大事にね」
沼塚はそれだけ言って笑うと、背を向けて小走りで保健室を出ていった。
……絶対気使わせたな、と虚しくなって
やや震える両手で視界を覆った。
(…また、昔みたいに《《この顔のこと》》言いふらされたらどうしよう)
そんな不安を感じて、2日目にして高校をやズル休みしそうになっていたが
高校に到着して、授業を受けても
特に変わったことはなかった。
(…僕の気にしすぎ、だったのかな)
そう思うことにした。
1時間目を終えた5分休み
そんなことを考えて、ちょっとロビーの販売機でジュース買ってくるか、と思って席から立ち上がった。
スタスタとロビーに向かい、お目当ての自販機に小銭を入れて
最近よく買っている紙パックのカフェオレを買うと、それを取り出し口から取り出す。
新しい場所で、自由気ままに
好きな物を自分で買って飲めるという行為だけでも胸が踊る。
単純だ。
そんなことを思いながら内心ご機嫌で教室に戻る
が、教室の扉の前で女子二人が話し込んでいて
とてもじゃないが入れそうにない。
通りたいから退けてなんて言う勇気もない陰キャには最難関の壁だった。
するとそんなとき「奥村、やっほ」と、後ろから声がして
振り返ると、そこには昨日ぶりの沼塚がいた。
「あ……沼塚」
「教室入らないの?」
「……え、と…女子がいて、話しかけづらくて」
「任せて」
言うと、沼塚は僕の横を通って教室に入っていった。
(え……)
そして女子に一言声をかけると
女子が扉からどいてくれたので僕はそのまま教室に入っていく。
「あ、ありがと沼塚」
ぎこちなくそう言うと「んーん」と笑うので
陽の者っぷりに感心しつつ
自分の席に向かおうとすると、沼塚が僕の持っているカフェオレを指さして言った。
「それ、美味い?」
「え?あ……」
(そんなの僕の感想にしかならないが…??美味しいか、とか人それぞれすぎて美味しいって言って、不味いんだけど?とか返ってきたらどうしよう)
そんなことを悶々と考えながらも
「お、美味しいかな…僕は、好きだけど」
と答えると
「へぇー、俺も今日の昼はそれ飲んでみよっかな。ありがと!」
そこで会話は終了し、沼塚はまた他の生徒と話し始める。
(……急に話しかけてくるからびっくりしたけど、飲み物なに買おうか迷ってただけか)
しかし
それからというもの、沼塚はことあるごとに僕に絡んでくるようになった。
あるとき
「奥村おはよ~!」
またあるときも
「奥村なにしてんのー?」
僕が逃げても
「ちょっ、なんで逃げるの!?」
ってワンコみたいに
飛びかかる勢いで追いかけてきて
「奥村、今日の体育50メートル走一緒に」
「無理、沼塚といると目立つ」
冷たくあしらっても顔色一つ変えずに話しかけてくる。
沼塚は底抜けに明るくて、いつもクラスの人気者だ。
よく通る声に
いつもニコニコして人当たりがよくて
おまけに顔だって悪くないから男女共にモテる。
そんな沼塚が僕みたいな地味なやつに構うのが不思議でならなかった。
「ねえ奥村ってなんでいっつもそそくさ帰っちゃうの?家の用事とか?」
「ぬ、沼塚には関係ない」
「えー、せっかく同じクラスメイトなのにさ」
毎日のしつこいつきまといに耐えきれなくなった
ある日、ついに僕は言い放ってしまう。
「…他にも友達いるのになんでそんな飽きもせず話しかけてくるの」
沼塚は僕の剣幕に驚いたようで、目をぱちくりさせた。
でもすぐにいつもの笑顔に戻って言われた。
「だって、奥村と仲良くなりたいんだもん」
沼塚のその言葉は、なぜだか僕の心の深いところをぎゅっと締め付けた。
そうやって仲良くなって
友達になっても
僕がヘマすれば
僕が症状を出してしまったら
きっとまた離れていく。
「…そ、そんなの理由になってない」
「そうかな」
「……僕なんかといてもいいことないよ」
「なんで?」
「…なんでって」
「俺は奥村と喋るの楽しいよ、この前奥村が教えてくれたカフェオレも美味かったし!」
(教えた、覚えはないし沼塚が「美味い?」って聞いてきただけだろ…てか、ちゃんと飲んだんだ)
そう言いたくなるが
沼塚の笑顔はいつだって太陽みたいにまぶしい。
そのまぶしさがうらやましくて、少しだけ苦手だ
「ていうか奥村って、いつも白だけど黒マスクも似合いそうだよね~…ね、明日つけてきてくれない?」
「し、しつこいっ!」
いつもそう言っては逃げるよう目線を逸らす。
そんな日々を繰り返していた
ある日の昼休み
校内に予鈴が鳴り亙るとガヤガヤと弁当を持ち合わせたり購買に向かったり
生徒達の声や足音が、昼休みの教室や廊下に鳴り響く。
それをいつも通りの光景…と顔を顰めた。
僕はリュックサックからひとつの本と弁当を取り出し、教室の窓際の自席に座りながら一人昼食をとっていた。
本を取り出したのは、食事を早く終えて読書に没頭したいため。
もっと言えば、本で顔を隠すためでもあった。
そんなことを思っていると
購買から帰ってきたのか
沼塚は透明なフードパックに入った焼きそばと
それに輪ゴムで括り付けられた割り箸
それを片手で抱えて僕の前の席に着いた
かと思えば「奥村」と言って前の席の椅子に反対向きで座って僕に目線を合わせてきた。
僕は一瞬ドキッとして、箸を持つ手を止める。
「奥村、弁当なんだ…?この前は購買のキーマカレー買ってたよね」
と聞いてくるので 僕は目線を合わせられないまま
「えっ、うん……この前は、忘れちゃったから、買ってただけだし」と答える。
すると、沼塚は「自分で作ってるの?」と聞いてきたので
チラッと様子を伺うように目線を合わせて
「いや、母さんがいつも用意してくれてる」と返す。
「えっめっちゃいいじゃん、俺なんか自分で作るってこともしないし、両親共働きだから羨まし~」
「そう、なんだ…」
「奥村は料理とかするの?」
「料理…って言えるかわかんないけど、簡単なものなら」
「えー、奥村の作った弁当食べたいな」
「またそんなこと言って…」
そんなとき、沼塚の視線が本を置いている机の右側に寄った。
「な、なに?」
「…えっ?あー……読書好きって言ってたけど、それ、何読んでんのかなーって」
(…え、自己紹介のときの……あれ覚えてたんだ)
なんて考えながら、目線の先の小説に目をやると
表紙が見えないように伏せて置いていることもあって
奥村の方からは見えないのかと思い、適当に返事をする。
「これ…だけど」
そう言って奥村にも分かるように本を逆にして見せると、彼は驚いた顔をして
「えっ、それ俺が好きな漫画の原作じゃん!もしかして奥村も好きなの?!」
と目を輝かせて聞いてきた。
(…え、これ結構ガチガチな青春小説なのに、沼塚ってこういうのも見るんだ…っ、意外)
内心そう思いながら
「え?あ、う……うん。僕は映画から知って、最近買ったんだ」
自分でも驚くほど素直に答えると
「あっそれ映画もあるんだ…奥村はもう見に行ったの?」と興奮気味に距離を詰めて聞いてくる。
まだ映画には行っていなくて、と言おうとしたときだった。
教室の扉をガラッと開けて
沼塚とよく一緒にいる男子二人がこちらに歩いてくるなりセンター分けの男子の方が
「お前ががっきすぎて奥村引いてんぞー」
と笑いながら沼塚の背中に寄りかかる。
確か名前は新谷とか言ったっけ。
「あっ、いや……別に、引いてないけど」
僕が言うと、それに重ねるように沼塚は
「今いいとこだったんだけど!ね?奥村」と問いかけてくる。
それに、ああ、と苦笑いすれば
新谷が僕の方を見て「奥村っていつも一人でいるよな」と言ってくるので
「……え?」と思わず聞き返す。
それに乗っかるようにもう1人の黒マッシュの男子、久保が
「てかてか、気になってたんだけどなんでマスクしてるのー?」
と聞いてくる。
「それ!俺も気になってたんだよ」
新谷と久保の言葉に
僕は、またか……と思いつつも、どう答えたものかと考えているうちに
久保は続けて「目から下にコンプレックスあるとか?」と聞いてきて
僕は慌てて「いや、そういう訳じゃなくて……」と否定する。
また質問責めにされるのかな…やだな
無理やり外されたらどうしよう
と身構えると、それを静止させるように
「お前らその辺にしとけって」と沼塚が止めてくれた。
「なんで?気になるだろー?」と新谷が反論すると
沼塚は呆れたように笑って「お前らの方が奥村に引かれてるってば」と言って僕の肩に手を置いた。
沼塚が続けて「やだよな、奥村」と同意を求めてきたので
「…その、あんま聞かれたくなくて」と素直に答える。
すると沼塚は
「ほらね、お前らが無神経すぎんの!」と2人に向かって説教でもするみたいに言う。
こういうところが皆に人気な理由なのかな、とも思う。
それに新谷と久保がお互いを見合せたあとに僕に向かって
「確かにデリカシーなかったか…ごめんな!奥村」
なんて言って謝ってきた。
正してくれる人
僕に対してわざわざ謝ってくれる人
そんな人初めてで、正直びっくりした。
「え……そ、そんな頭下げないでいいよ」
僕は少し安心した気持ちになる。
「てか、話すの初めてだよな」
新谷がポツリと呟いた。
「そ、そうかも」
「ねね、俺らの名前わかる?」と久保に聞かれ
「そりゃクラスメイトだし…新谷くんと久保くんでしょ?」と返す。
「おお、よかった。てか下の名前で呼べよ」
と新谷は可笑しそうに言った。
「そ、そっか。」
「俺、新谷樹な」
「俺は久保薺、気軽になずって呼んでね!」
そして、久保が「そーだ、奥村のこと名前で呼んでいい?苗字呼びだとなんか他人行儀だし!」
と言うので僕は少し戸惑いつつ
「でも、すすむって言いづらくない…?」と聞く。
すると新谷が「じゃ、なんかニックネームつけたら良くね?」と言い出したのを皮切りに
久保が「マスクしてるし、まーくんとか!」
なんて言い出す。
それに沼塚も乗っかるように「安直すぎ」と笑う
そんなときだった
昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴り響き
その音を聞いた生徒たちは足早に自席に戻る。
流れるように新谷たちも『やべっ次の準備してねぇ!』『次なんだっけ?!』と言いながら次の授業の準備をし始めた。
その日の帰り、HRが終わると
僕はそそくさと帰り支度をし始めた。
すると、後ろから沼塚が近づいてきて「奥村」と声をかけてくるのでビクッと肩を揺らす。
「な、なに……?」と言って振り向くと沼塚はまた眩しいくらいの笑みを浮かべて言った。
「あのさ、今日一緒に帰らない?」
なんで僕に、と思って「樹くんたちと帰んないの?」と返せば
「あー、樹は彼女のこと待ってて、薺も委員会の仕事で居残るからさ」
「ていうか昼休みの続きも話したいし!だめ?」
と前のめりで聞いてくる。
確かに、さっきの続きは話してみたい…と思って
その提案に頷くことにした。
すると沼塚はまた嬉しそうに笑って
「んじゃ行こ!」と言って歩き出すので僕もそれに続く。
2人並んで校門を出て、いつものバス停まで歩く。
「そういえば奥村ってどっから来てるの?」
と沼塚が聞いてきた。
「えと、札幌からバスと電車乗って……2時間くらい」
「なんでそんな遠いとこから?」
「担任に進められて、オープンスクール行ってここがいいかもと思って…あと何より、中学の知り合いとか一人もいなかったから、心機一転望んで、かな」
「へえ…でもそれだと帰りとか絶対遅くなるよね?」
「……まぁね。そういう沼塚は?」
聞き返すと「俺は余市から来てんの、バスでね」と返ってきて
スムーズな会話ができていることに自分で驚く。
そしてバス停に着くとちょうどバスが停車していた。
僕たちはそれに乗車して、空いている後ろの二人用の席に座る。
窓側に座った沼塚が
「そだ、昼休みの続きだけどさ、奥村まだ映画見に行ってないなら一緒に行かない?」
と提案してきた。
「……え?」
「奥村が嫌なら無理にとは言わないけど」と言って少し寂しそうに笑うので僕は思わず
「や、じゃないけど……僕も、丁度見たかったし」と答える。
すると沼塚は嬉しそうに笑って「じゃあ決まり!いつ空いてる?」と聞いてくる。
僕はスマホのカレンダーを見ながら「いつでも空いてるけど」と言えば
沼塚は嬉しそうに「じゃ日曜とかどう?」と予定を立ててきた。
それに異論はなく頷けば「次は、小樽駅前」というアナウンスが流れ
「あ、着いたね」と沼塚が言って降車ボタンを押した。
そしてバスを降りた小樽駅前で
「じゃ、詳細はまたインスタで送るね」と言われたので「うん」と僕は短く答えると
大きく手を振る沼塚とは違って胸の前で手を軽く振って別れた。
(誰かと映画見に行くのとか、初めてだ)
その日の夜、風呂上がりに髪を乾かしていると
ふと今日の出来事が頭をよぎる。
そして、なんだか不思議な気持ちになった。
(まさか映画行くことなるなんて……まあ、共通の趣味があるって知ったら断る理由もないし)
そう思いつつドライヤーのスイッチを切ると ピコン とスマホが鳴る。
その通知は沼塚からだった。
【小樽築港の映画館行こうと思うんだけど、日曜の12時時ぐらいに改札のとこのベンチで待ち合わせでもいい?】
というメッセージが送られてきているのを見て、僕は小さく微笑むと【うん、いいよ】と短く返信してスマホを置いた。
そして、日曜日。
12時前、僕は待ち合わせ場所の改札を降りてすぐのベンチに腰掛けて、スマホを握って時刻を確認する。
(まだ11時50分か、ちょっと早すぎたかな)
と思いながら、ドキドキと胸を高鳴らせている。
(やばい、今になって緊張してきた…友達と休日に私服で遊ぶとか、中二以来だし……服とか、髪とか変じゃないかな…)
僕の服装と言えば黒のニットに白のタートルネック、ベージュのルーズパンツというごくシンプルな格好だ。
沼塚の私服とか見た事ないけど、あのルックスには何でも映えそうだな、と不安に思っていると
「ごめん!待った?!」と改札の方から最近よく聞く声がした。
振り返るとそこには案の定の沼塚がいて
それに僕は首を横に振って
「僕もさっき来たばっかだから」と言えば、安心したように笑った。
それがいつも以上に眩しく感じるのはコーデのセンスだろう。
ホワイトのパーカーが顔周りを明るく見せて
その上には黒いジャケット
デニムデパートパンツにスニーカーというシンプルなコーデが沼塚のルックスの良さを引き立てている。
それに僕は呟くように「やっぱ…沼塚ってスタイルいいよね」と零すと
「えーほんと?奥村も私服そんな感じなんだね」と沼塚が返すので僕は少し照れ臭くなりながらも
「変、かな。ごめん友達と映画見に行くとか、初めてだから…」と口を籠もらせると
「変じゃないよ?奥村に似合ってる」
なんて笑顔で言われて
「そ、そっか……」と安堵する。
そして、僕たちは映画館・イオンシネマ小樽に向かうべく6分ほど歩を進め
ウイングベイ小樽の二番街の四階にエスカレーターで登って行った。
すると、そのフロアは人で溢れかえっている。
僕はそれに面食らいながらも、沼塚と一緒にチケット売り場に並び、見る予定の映画のチケットを購入する。
そして、軽食コーナーでコーラ2つとキャラメルポップコーンを1つを買った。
スクリーンの中に入れば、薄暗い空間が広がっていた。
それに僕は物珍しさから思わず辺りを見渡す。
すると隣から沼塚が
「にしても、奥村の初めてが俺とか嬉しいかも」と小さく呟くので
「き、きもい言い方しないで」と返すと
沼塚はいつもの調子でひどっと笑みを浮かべる。
席を探して座り、映画が始まるのを待った。
周りにはたくさんの人がいて、ワクワクした雰囲気が伝わってくる。
すると映画が始まる前の注意事項や予告映像が流れ始めたので僕たちはそれを背景に談笑をする。
「でも、沼塚がこんなガチガチの青春系なやつ知ってるのは驚いちゃった」
ふと疑問に思ったことを口にすれば、彼はなんてことないように笑って言った。
「俺こう見えて少女漫画とか女児向け系の見るの好きなんだよね」
「え、そうなんだ……意外。」
「でしょ。てか奥村って全然趣味合うし、なんか運命感じるかも」
「なにそれ……」
僕が呆れて言うと沼塚は笑って。
するとスクリーンに映像が流れ始めたので、僕たちは会話を止めて前を向いた。
映画の内容は
主人公の女の子がある日、クラスメイトの男の子に恋をする話で。
2人は徐々に距離を縮めていきやがて両思いになる。
そんな2人の間に立ちはだかる障害を乗り越えて 最後は結ばれてハッピーエンドというありきたりな内容で。
でも、映像が綺麗だったり音楽も素敵で正直、映画館まで足を運んで見るのは初めてだった。
(いいな……好きな子の為に頑張る主人公)
スクリーンを見つめながら僕はそう思った。
ふと沼塚と僕の席の間に置いたポップコーンのカップに手を伸ばして
1つ口に放り込むと キャラメルの甘さが口の中に広がって。
もうひとつと再び手を伸ばしたとき
ふと僕の手に沼塚の手が重なる。
それに僕は驚いて、思わず「わ、ごめん」と声を上げて慌てて手を引っ込める。
すると沼塚は
「こっちこそ。これパクパクいっちゃうよね」
と笑いながら手を引っこめた。
「うん」
そう答えて、僕はまたスクリーンに視線を戻した。
そして数十分後…
上映が終わり、エンドロールが下から上へと流れると周りの人たちが続々と席を立ち始めたので僕たちもそれにならって外に出た。
「うはー、面白かった~!」と伸びをして感想を漏らす沼塚に
「うん、やっぱ映画館まで来て見るのはいいね」と僕も答える。
すると「まだ時間あるし、どっかでお茶しない?」
という誘い文句が飛んできて僕は少し驚く。
そして時計を見ると午後2時を回ろうとしているところだったので
もうなんだか帰ってしまいたいところだが
お腹がすいているのも事実。
「うん、行く」と言えば彼は嬉しそうに笑って歩き出した。
(なんか、不思議な感じ……)
隣を歩く彼を横目に見ながら僕は思う。
今までこんな風に休日にに出かけるなんて、久々すぎて。
しかもそれがクラスで人気者の沼塚だなんて、本当に現実かと疑ってしまうほどだった。
(意外なところで馬が合う人もいるもんだな…)
僕がそうしみじみと考えていると
「なに奥村?俺の顔見て」と言うので
「別に見てない」と誤魔化して歩みを進めた。
それから僕たちはモール内の喫茶店に入って、お互いに適当にアイスクリームと飲み物を注文する。
窓際の席に向かい合って座ると
目の前の沼塚が、アイスコーヒーを口に運んでから口を開いた。
「ん、つめた」
その顔はとても上機嫌で。
僕もマスクを外してアイスクリームを食べようとしたとき
(…どうしよ、緊張してまた顔が赤くなったら…っ)
と内心焦りながら、アイスにスプーンを刺してマスクの前で止める。
が、なんとか工夫してマスクを外さずにアイスを口に運ぶ。
そんな僕の様子を沼塚はじっと見つめていて、それに気づいた僕が目線を上げると彼は口を開いた。
「奥村っていつもマスクしてるけど、それいつから?」
周りはマスクなんてしてないのに、四六時中マスクして
今だってマスクの鼻先を摘むように掴んで、
スプーンが侵入を許すだけの隙間を空けて
アイスクリームを食べるやつが
目の前にいるんだから
そりゃ、そう訊ねられるのも無理はなくて。
でも僕にはそれを話す勇気がなかった。
だから代わりに出たのは曖昧な答えで
「…中学ぐらい」
それに僕は胸が締め付けられるような気持ちになると同時に
やはり食べにくさを実感してスプーンを下ろした。
「ごめん、こんな食べ方してたら沼塚まで変だと思われるよね」
慌ててマスクを外そうと震える手を紐にかける
(自爆行為すぎる、でもそうしないとまた…っ)
そう思った時、沼塚が急に僕の腕を掴んで制止させてきた。
それに驚いて視線をあげれば、そこには彼の真剣な表情があって。
そのまま彼は僕に言った。
「奥村は変じゃないよ」
その声ははっきりと聞こえ、頭の中で強く復唱される。
そんなこと、初めて言われた。
他人の言葉に|殊《いと》も簡単に存在価値を奪われることはあっても、今みたいな言葉をかけられて価値を感じそうになったのは
今日が初めてだ。
「で、でも……」と僕が零せば彼は続けた。
「俺は変なんて思わないから。それ、ずっと前から付けてるんでしょ?」
それに小さく頷けば
「今日一緒に過ごして改めて思ったけど、奥村ってすごく優しいし面白いじゃん」
「いやどこを見てそう言ってるの……?結構冷たいこと言ってると思うんだけど」
「ははっ、自覚あるのがやさしー証拠」
そんな僕の様子に沼塚は続けて言った。
「まあ、だからそのマスクも、何か理由があるのかなって勝手に思っててさ」
はにかんだような笑顔に思わずドキッとする。
「…ただ映画見ただけだし、それに優しいのは沼塚の方だよ…っ、僕みたいな暗い男に気使って……」
それに沼塚は続けて言う。
「そんなんじゃないって。奥村は俺と話すの嫌?話しかけても逃げられるし、でも今日は一緒に遊んでくれて、どっちなのかなと思って」
「…!…嫌ってわけじゃなくて…僕、人の目見て話すの苦手で、それに沼塚みたいないつも中心にいるような人間が、飽きもせず話しかけてくるし…冷たくしたら離れてくと思って」
「でも、それならわざわざ休日に会ってくれたのは…奥村も俺と仲良くしたいと思ってくれてるんじゃなく……?」
彼の真っ直ぐな瞳に吸い込まれそうになる。
その沼塚の問いは、図星でしかなかった。
実際、共通点があると知って、食いつくように沼塚と遊ぶ約束をしたのは確かだ。
でも、素直になれなくて
思わず下を向いて口を動かす。
「……っ、そう、かもしれない…けど」
彼はそんな僕に優しく声をかけてくる。
「俺は奥村と友達なりたいなって、今日再確認したんだけど……だめ?」
その言い方はずるいと思う。
僕が嫌だと思ってないのをわかって言っているんだ。
(沼塚は、やっぱり学校にいるときと変わらず、誰にでも、こんな僕にでさえも優しいとか……絵に描いたような善人だ)
「また、こうやって趣味の話…できるなら」
そう答えるので精一杯だった。
そんな僕に彼は嬉しそうに笑って言う。
「ほんと?じゃあ改めてよろしくね奥村!」
僕はただ、沼塚と目線を合わせ
小さく「うん」と答えたのだった。
そして喫茶店を出た後、僕たちはモール内をブラブラして、気づけば夕方になっていた。
「もうこんな時間か」と沼塚が呟くのを聞いて
僕は時計を見て驚く。
「ほんとだ……電車早く乗って帰んないと」
「だね、俺は小樽行きの方からバスで帰るから…あ、札幌の方が来る時間早いね。ここで解散かな」
「うん、じゃあまた」
「ねえ奥村、また誘ってもいい?」
「え?う、うん、沼塚がいいなら」
僕が返事をすれば「やった」と彼は嬉しそうに笑って「また、学校でね~」と手を振ってくれた。
それに釣られるように、沼塚に手を振ってから改札を抜けて
新千歳空港行きと電光掲示板に表示された2番ホームに着くと
丁度電車がやってきて、僕はそれに乗車した。
そして壁に背を預けて電車に揺られながら心の中で今日1日を振り返る。
(楽しかった、な……)
最初は不安だったけれど、沼塚はとても優しかった。
普通は変だとか、からわかわれるようなことも
『変じゃないよ』と肯定してくれた。
非日常すぎて、今日はなんだか変な気分だ。
僕はその感情に蓋をするようにマスクを深く付け直すのだった。
「あら、おかえり。今日、お友達と映画行ってきたんでしょう?楽しかった?」
家に着くとエプロン姿で料理をしていたであろう母が玄関まで来てそう言った。
「うん、思ったより」
短く答えれば
「ふふ、その顔じゃ、良い友達ができたみたいね。もうご飯できるから、手洗って着替えてきちゃいなさい」
と満足気に言って、僕の返答も聞かずまたリビングへと戻って行った。
嬉しそうに笑う母を見て、心底安堵する。
そして洗面所に向かうのだった。
その後、夕食を食べ終えて自室に戻った僕はベッドに横たわりスマホをいじっていた。
(沼塚は……もう家かな)
なんて思いながら、メッセージアプリを開くとそこには沼塚からのメッセージが届いていた。
『奥村もう家ついた?映画も楽しかったし、今日は奥村のこと知れてちょっと嬉しかったよ』
という文面で。
その下に
ありがとうという手書きのようなフォントと共に
犬の顔が合成されたユニークなキャラクターのスタンプが送られてきてて
そのシュールさにクスッとしてしまった。
それに僕は
『うん、僕も楽しかった。今日はありがとう』と返信する。
するとすぐに既読が付き
送信したメッセージに親指を立てたグッドの絵文字でリアクションが返ってきた。
(沼塚って犬、好きなのかな)
なんて思いながらスマホを閉じて部屋着に着替えるとベッドに横になった。
そして毎日恒例の一人反省会が脳内で始まる。
沼塚みたいな、ああいう陽キャ属性?の人間は中学の頃もいた
今のクラスメイトの飯田みたいに声の大きさだけでその場に威圧感を与えるキングのような人間もいたし
群れた女子ほど怖いものはなかったっけ。
まあ、なにより恐れてたのは目から下を見られることだったけど。
『……でも、沼塚があんなふうに言ってくれるなんて思わなかったな』
社交辞令かもしれないけど
友達になれたからには
僕を肯定してくれた沼塚のためにも
この赤面顔は、絶対に見せられない。
──そんな事を考えながら、僕はそのまま眠りについた。