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しかし、その日の午後
大学の中庭を急ぎ足で通り抜けようとした瞬間
中庭の角を曲がったところで、俺は誰かとガツンと肩をぶつけた。
カバンが肩からずり落ちそうになり、慌ててそれを掴みながら、悟は反射的に謝る。
「っ、わ、悪い!」
顔を上げると、そこには金髪の男が立っていた。
黒縁のメガネが特徴的な、どこか目立つ雰囲気の男だ。
男もまた、軽く頭を下げながら「悪いな」と短く呟いた。
その声は低めで、どこか滑らかで、かすかに掠れた響きを持っていた。
一瞬の出来事だった。
お互い軽く会釈して、すぐにその場を離れた。
俺はカバンを肩にかけ直し、講義棟に向かって歩き出す。
しかし、ほんの数歩進んだところで、なぜか足が少し重くなった。
さっきの男の声が、頭の奥で反響している。
あの声、どこかで聞いたことがあるような…。
そんな感覚が、胸の奥にチクリと刺さった。
誰かの声に似てる…?
俺は立ち止まり、振り返って男の背中を見やった。
金髪が陽光にキラキラと揺れ、黒いフレームのメガネが遠くからでもはっきりと目立つ。
男はすでに中庭の向こう、図書館の方へ歩いていくところだった。
その後ろ姿は、どこか軽快で、でも妙に存在感があった。
だから首を振って、考えを振り払おうとした。
いや、ただの思い過ごしだろ。
大学のキャンパスは、いつものように賑やかだった。
木々の間を抜ける秋の風が、落ち葉を軽く舞い上げ
学生たちの笑い声や足音が響き合っている。
俺はそんな喧騒の中で、なぜかあの金髪の男のことを頭の片隅に留めていた。
あの声、確かにどこかで…。
いや、でも、誰だっけ? 大学の知り合いか?
それとも、どこかで見た動画か、配信か? 記憶の糸をたぐり寄せようとするが、靄がかかったようにぼんやりとしか思い出せない。
俺はカバンの中からスマホを取り出し、時間を確認した。
次の講義まであと10分。
急がなきゃ、と自分に言い聞かせ、歩みを速める。
でも、心のどこかで、あの男の声が小さな波紋のように広がっていく。
普段ならこんな小さな出来事、すぐに忘れてしまうはずなのに、なぜか頭から離れない。
ま、いいか。どうせもう会うこともないだろ。
そう自分に言い聞かせ、俺は講義棟のガラス扉を押し開けた。
陽光がガラスに反射し、眩しく目を細めながら教室へと向かった。
◆◇◆◇
それから数日後…
朝のマンションの廊下は、静かで少しひんやりしていた。
俺はいつものように、大学の講義に間に合うよう急いで部屋の鍵を閉めようとしていた。
カバンを肩にかけ、スマホをポケットに突っ込み、ドアノブを引いたその瞬間
隣の部屋のドアがほぼ同時にガチャリと開いた音がした、わ
音のした方に顔を向けると、そこには見覚えのある金髪の男が立っていた。
この間、大学で不意にぶつかったあの男だ。
金髪は朝の薄い陽光を浴びてキラキラと輝き、黒縁メガネの奥の目はまだ少し眠たそうで
どこかぼんやりしているように見えた。
それでも、その瞳にはどこか人を引きつけるような鋭さが潜んでいる気がした。
胸の奥で、昨日の既視感が再びチクリと疼いた。
あの声、どこかで聞いたことがあるような…
でも、思い出せない。
「あれ、昨日ぶりっすね…?」
俺は気まずい沈黙を埋めるように、思わず声をかけた。
自分でも少し唐突だったかな、と後悔がよぎるが
口をついて出た言葉はもう戻せない。
声をかけた瞬間、男の視線が悟の方にスッと向く。
その目は一瞬、俺を値踏みするようにじっと見つめた。
気後れしながらも、なぜかもう一歩踏み込んでしまう。
「つか、お隣さんだったんだ、あんた、確か…同じ学部の田丸っしょ?」
昨日ぶつかった時にチラッと見た学生証の名前を、なんとか思い出した。
文学部、同じ学年のはずだ。
でも、こんな派手な金髪の男
もっと目立っててもおかしくないのに、今までほとんど意識したことがなかった。
なんでだろ、と一瞬考える。
すると田丸は、俺の言葉に軽く眉を上げ、口の端に微かな笑みを浮かべた。
「知っとるんか。ま、そやな、昨日引っ越してきたばっかやから…」
その声は、どこか軽快で、でも低めに響く独特なトーンだった。
関西弁のイントネーションが、俺の耳に妙に心地よく響く。
「え、こんな時期に?」
俺は驚きを隠せず、つい口に出していた。
大学の新学期が始まってしばらく経つこの時期
引っ越しなんてちょっと珍しい。
普通なら学期初めか、せめて年度の変わり目にするものじゃないか?
俺の頭に、田丸という男に対する好奇心がムクムクと湧き上がってくる。
田丸は、俺の質問に一瞬だけ目を逸らし、肩を軽くすくめた。
「まあ。そんじゃ。」
それだけ言うと、田丸はさっさと踵を返し、エレベーターの方へ歩き出した。