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重厚な会議室。長机を囲む重臣たち。空気は張り詰め、議題は神殿再編という国家の中枢に関わるものだった。
「本件について、王子殿下のご意見を」
一斉に視線が集まる中で、アシュレイはゆっくりと顔を上げた。冷静で、揺るぎない眼差しがそこにあった。
「神殿の権限は分割する。監視機構は王家直轄へ移行――」
淀みない言葉を、誰もが聞き入る。完璧な王子の一歩後ろに、レオンは控えている。背筋を伸ばし、無表情で視線も動かない。
――外から見れば、非の打ち所がない騎士の姿。
(……落ち着け)
内側は、まるで違った。アシュレイの横顔が視界の端に入る。首筋――今朝、確かに見た痕跡。一瞬で、思考が引き戻される。
(……思い出すな、今は任務中だ)
意識を切り替えるために、呼吸を整える。完璧に戻すはずだった。
「レオン」
公の場で不意に呼ばれる。
「はい」
即応して視線を向ける。アシュレイが、ほんの僅かに振り向く。
「資料を」
短い指示は当然の流れだった。レオンは一歩前に出る。机の横に回り込み、書類を差し出す。その時、ほんの一瞬指先が触れる。確実にアシュレイの指が、わずかに絡むようにレオンの指に触れた。
(……っ)
心臓が、強く打つ。
ありえない。この場でこの距離で――それなのにアシュレイの表情は、何一つ変わらない。
「ありがとう」
淡々と、何事もなかったかのように対応される。レオンは、無言で一歩下がった。しかしながら思考が、完全に乱れる。
(今のは――故意だ。間違いない。分かっていて、やっている。しかも、誰にも気づかれない範囲で。悪質だ、あまりにも)
「では次に――」
会議は進むが、声が遠くに感じた。
集中しろ。そう命じるのに、アシュレイに触れられた指先の感触が消えない。温度がじわりと残る。
(レオン……んんッ、もっと強く抱きしめて…私を求めて)
昨夜の記憶が、鮮明に蘇る――触れた熱。絡んだ指。逃がさなかった距離。
「――レオン」
再び呼ばれた少しだけ低い声に、はっとする。
「はい」
視線を上げる。アシュレイが、こちらを見ている。ほんの僅かに目だけで。
「意見は」
一瞬、言葉に詰まる。完全に、思考が逸れていた。
「……現行案で問題ありません」
何とか繋ぐ。冷静に完璧に――のはずだった。沈黙、ほんの一拍。アシュレイの目が、細くなる。
分かっている、全部。
「そうか」
短く返す。それだけ。だがその声に、微かな含みがあった。
会議が終わるまで、あと僅か。レオンは一切の隙を見せない。完璧に任務を遂行する――外側だけは。
***
会議が終了した。重臣たちが退出していく。扉が閉まるその瞬間だった。
「……レオン」
名を呼ばれる。当然、逃げ場はない。
「はい」
アシュレイが椅子に座ったまま、こちらを見上げている。その目は、完全に愉しんでいるのが見て取れた。
「随分と、余裕がなかったな」
「問題ありません」
「そうか?」
立ち上がって、ゆっくりと距離を詰める。一歩、また一歩。レオンは動かない、動けない。
「公務中だぞ」
アシュレイは目の前まで近寄り、ぐっと顔を寄せた。
「それで、あの顔か」
低い声で囁かれたことで、レオンの喉が鳴る。
「……どの顔を指しているのか、分かりかねます」
最後の抵抗にアシュレイは、くすりと笑う。
「では教えてやる」
アシュレイの指がレオンの胸元に触れる。今朝と同じ場所、心臓の上を軽く押す。それだけでドクン、と強く跳ねる。
「これだ」
言い逃れは、できない。
「……生理現象です」
「またそれか」と言いながら、アシュレイは肩を震わせる。
「便利な言葉だな」
そのまま、さらに距離を詰める。ほぼ体が触れる距離に、レオンは息を呑むしかなかった。
「昨夜のことを思い出していたな」
断定された言葉で、レオンの視線がわずかに揺れる。
「……否定はしません」
ついに折れる。アシュレイの目が、満足そうに細まる。
「正直でいい」
そのまま、ほんの一瞬だけ唇が触れる――一瞬。誰にも見られていない、完全な死角。だが確実にレオンの思考が、完全に止まる。
「……殿下」
声が低い。危うい距離感と接触。アシュレイは一歩引く。何事もなかったように。
「今は公務中だ」
さっきと同じ台詞でも意味が違う。レオンは、深く息を吐く。
「……承知しています」
限界をなんとか抑える。その様子を見て。アシュレイが最後に一言。
「――後で」
視線だけで続きを告げた。レオンの理性が、そこでぎりぎりで繋がる。
「……はい」
短い返答をしたが、その声にはもう隠しきれない熱が混じっていた。
***
夜。すべての公務を終え、静寂が落ちる時間。王子の私室の扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
「……終わったな」
アシュレイが息を吐く。ようやく誰の目もない。誰の制約もない。
「はい。本日の予定は、すべて完了しています」
レオンはいつも通りに答える。姿勢も声も、全て完璧――昼間と、何一つ変わらない。それが、逆に腹立たしい。
「随分と、余裕だな」
アシュレイが呟く。
「余裕ではありません。制御しているだけです」
あくまで冷静を保つが、その言葉の裏にあるものを、アシュレイは知っている。
――ずっと、耐えていた。
昼の会議。触れた指先。あの一瞬。全部、押し込めて。崩れなかった。崩さなかった。
「……そうか」
アシュレイは、ゆっくりと歩み寄る。一歩、また一歩。レオンは動かない。受け止める姿勢で逃げない。その距離がゼロになる。
「なら」
低く、静かに訊ねる。
「今はどうだ」
視線が絡むほんの一瞬、レオンの喉がわずかに動く。
「……問題ありません」
(――まだ、保つつもりか)
アシュレイは、息をこぼす。
――面白い。同時に胸の奥が、じわじわと熱を持つ。昼間、あれだけ揺さぶったのにまだ崩れない。それなら――。
「そうか」
アシュレイの手が伸びて、レオンの胸元に触れる。そのまま、ゆっくりと滑らせる。鼓動の上をしっかりと触れる。
ドクン、と跳ねる。さすがに速い。
「これで、制御できているのか?」
甘い囁きに、レオンの呼吸が僅かに乱れる。
「……努力はしています」
正直だ。昼よりもずっと余裕がない。
アシュレイの指が少しだけ強く押して、さらに近づく。それは、呼吸が混ざる距離だった。
「なら、見せてみろ」
完全な挑発に、レオンの瞳が深くなる。それなのに動かない、触れない。なぜか越えてこない。
その理由は、分かっている――昼間、自分が「耐えろ」と命じたから。だから今も律している。それが、余計に火をつける。
「……くっ」
先に息が乱れたのは、アシュレイの方だった。胸の奥が熱い。じわじわと積み上がっていたものが、一気に溢れそうになる。
(……まずいな)
分かっている。主導権は、こちらにあるはずだった。揺さぶる側で崩す側だったはず。なのに耐えられていることで、逆に自分が崩れる。
「……レオン」
声が、少しだけ低くなる。
「はい」
即応。だがその声にも、もう余裕はない。互いにぎりぎりで均衡の上。
「もういい」
短く言う。
「――耐えなくていい」
一瞬、空気が変わる。レオンの瞳が、はっきりと揺れた。それが、引き金だった。気づいた時には腕が伸びる。迷いはなく、アシュレイの身体を引き寄せる。
「……んっ」
距離が消えて、さっきまでの均衡が一瞬で崩壊する。触れられた瞬間、アシュレイの呼吸が乱れる。
(――熱い。抑えられていた分だけ強い)
「後悔しませんね」
低い声で確認されたが、もう答えは決まっている。
「すると思うか」
レオンの口元がわずかに歪む次の瞬間、唇が重なる。昼のそれとは違う。確かめるだけじゃない。抑えきれなかった熱が、そのまま流れ込む。
「んんっ…っぁ!」
アシュレイの指が、レオンの服を強く掴む。逃がさないように。
「……殿下が、先に限界ですか」
レオンが息の合間に、かすかに笑う。アシュレイは何とか返す。
「悪いか」
「いいえ」
そのまま、さらに引き寄せる。もう遠慮はない。理性も均衡も全部、この瞬間に越えていく。
ただ一つ。確かなのは――もう、奪われないということ。
触れても求めても誰にも、遮られない。それだけで十分だった。
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