テラーノベル
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ジェイド様の屋敷での生活は、復讐の冷徹な準備を進めると同時に
裏切りによって深く抉り取られた私の荒んだ心を、真綿で包むように少しずつ癒やしていく時間でもあった。
「……ロゼッタさん、こちらを」
ある朝、洗練された銀食器が並ぶ朝食の席で、ジェイド様が困ったような
それでいてどこか楽しげな苦笑いを浮かべながら一通の報告書を差し出してきた。
そこには、私の旧宅で繰り広げられている、あまりにも無様で醜悪な日常が詳細に記されていた。
「カシウス氏、早くも家計が火の車だそうです。彼は屋敷の維持費や使用人の給金、さらには固定資産税がどれほどかかるか、これまで一銭も把握していなかった」
「おまけにマリアは、ロゼッタさんがいないのをいいことに、あなたの私物を勝手に質に入れたり、捨てたりして屋敷内で騒ぎを起こしているとか」
「……まさに自業自得ですね」
怒りでティーカップを持つ手が小刻みに震えた。
あの屋敷にあるものは、私が選び、私が慈しんできたものばかりだ。
彼らは、他人の犠牲と献身の上に成り立つ幸せが
いかに脆く砂上の楼閣のようなものか、未だに理解できていない。
「それだけではありません。マリアは『アシュフォード侯爵夫人』としての社会的信用をいまだ自分にあると信じ込み、あちこちの高級宝石商に新しいツケを際限なく作っているようです」
「……もちろん、すべて僕が裏で支払い停止の手続きを済ませていますがね」
ジェイド様の薄い唇の端が、冷酷な弧を描いて吊り上がった。
その瞳は、獲物を袋小路に追い詰めた捕食者のそれだ。
「そろそろ、彼らが目を背け続けてきた『現実』という名の地獄を突きつけてやりましょう」
その「現実」を突きつける舞台となるのは、来週催される王宮主催の豪華な園遊会。
本来、不貞の噂が広まりつつある者は招待を制限されるはずだが
ジェイド様はあえて自身の絶大な権限を使い、カシウスとマリアに特等席の招待状を送らせたのだ。
ジェイド様は至極穏やかな、けれど背筋が凍るような冷たい声で続けた。
「ロゼッタさん。人は、一番高い場所にいると錯覚している時に突き落とされるのが、最も深い絶望と苦痛を感じるものです」
「ええ、ジェイド様。そうと決まれば…彼らに『自分たちはまだ貴族社会の主役だ』という甘い夢を見させ続け、最高の舞台で一気に地獄へ叩き落としてやりましょう」
◆◇◆◇
園遊会当日───…
私はジェイド様に優雅にエスコートされ、彼が私のために新調してくれた
夜空を映したような深い紺碧の豪奢なドレスに身を包んで、会場へと足を踏み入れた。
不倫騒動と離縁の噂が絶えない当事者である私たちが現れると
華やかな談笑に沸いていた周囲の貴族たちは一瞬で静まり返り、刃のような好奇の視線を注いできた。
そこへ、誰よりも派手でけばけばしいドレスを纏ったマリアと誇らしげに胸を張ったカシウスがやってきた。
彼らはまだ、自分たちの経済状況が破綻し
社会的地位が断崖絶壁に立っていることなど露ほども思っていない様子で
周囲に勝ち誇ったような歪な笑みを振り撒いている。
「あら、負け犬コンビで仲良くお出まし? ロゼッタ、まだジェイドのところに転がり込んでいたのね。身の程もわきまえず、恥ずかしくないのかしら」
マリアが金ぴかの扇子で口元を隠しながら、耳障りな高い声で笑った。
カシウスもまた、私をこれ以上ないほど軽蔑するような目で見下ろしてくる。
「ロゼッタ、君にはその質素な……いや、地味なドレスがお似合いだ。マリアを見てごらん、これこそが妻にふさわしい、真の貴族の輝きだ。君のような魅力のない女には、一生縁のない光輝だよ」
私は沸き立つ怒りを抑え、隣に立つジェイド様の逞しい腕をそっと握った。
ジェイド様は、彼らの醜い言葉など最初から耳に入っていないかのように、完璧な貴族の仕草で懐から一通の書類を取り出した。
「マリア。そしてカシウス氏。その輝きが……そしてその傲慢さが、いつまで続くか見ものですね」
「な、何よ、不気味な笑い方して……! 負け惜しみなら、今のうちに言っておきなさいよ!」
ジェイド様は、手にした書類を、まるでゴミを押し付けるようにマリアへ手渡した。
それは、彼女が今日見せびらかしているドレス、身に着けている大粒の宝飾品
そしてカシウスが新調したであろう靴に至るまで、すべての「支払い拒絶通知」の写しだった。
さらにその下には、これまでマリアがアシュフォード家の名義を騙って積み上げてきた
「莫大な負債の総額」を記した、冷徹な数字の羅列があった。
「……え、これ、何……?」
書類を目にしたマリアの顔から、一気に血の気が引いていった。
赤く塗られた唇が、がたがたと震え始める。
同時に、計算されたタイミングで会場の入り口から数人の武装した衛兵と、厳格な面持ちの法官が現れた。
「カシウス・ルミエール殿。およびマリア・アシュフォード夫人。貴殿らには、多額の債務不履行、およびアシュフォード侯爵家資産の不正流用の疑いがかかっています」
「……周囲の迷惑になります故、詳しいお話は別室で伺いましょうか」
「なっ……何のことだ! 俺は退位する予定だが、まだ法的には爵位保持者だ! 衛兵風情が俺に触れるな!」
カシウスが顔を真っ赤にして叫ぶが、ジェイド様は氷のような冷たさで、引導を渡すように言い放った。
「……カシウス氏、あなたの実家からは既に正式に除籍の通知が出ていますよ」
「は……?」
「あなたが『運命の愛』のために捨てると豪語したはずの爵位、今この瞬間、王命をもって国に返還されました。あなたは今、ただの無位無冠、かつ莫大な借金を抱えた犯罪容疑者です」
会場中に、割れるようなどよめきが広がった。
嘲笑と蔑みの視線が、今度は彼らに集中する。
「運命」という甘美な言葉に酔いしれ
全能感に浸っていた二人の足元が、見るも無惨に音を立てて崩れ去った瞬間だった。
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